5:湘南特急「あまぎ」と80系電車の衝撃──伊豆観光を変えた速達性と技術革新
《前回からのつづき》
1950年のダイヤでは、80系電車で運転された「あまぎ」は、東京を12時50分に発車し、途中の熱海には14時19分に到着、ここまで1時間29分でした。一方、客車列車の「いでゆ」は14時00分に東京を発つと、熱海には15時52分に到着します。所要時間は1時間52分にもなり、途中、横浜に停車する違いはありますが、「あまぎ」と比べて33分の差がありました。
東京ー熱海間だけでもこれだけの差が出たことは、終着となる伊東や修善寺との間の所要時間もそれなりに多くなりました。言い換えれば、動力分散式である電車の本領を発揮し、優等列車の運用に就かせるにも十分以上の性能をもつとで、特急や急行にとって欠かすことのできない速達性をさらに向上させる可能性を示したのです。
「あまぎ」の運転が始まった翌月になると、新たに東京ー伊東間に「はつしま」が設定されました。「はつしま」は週末の下り列車のみの運転で、「あまぎ」のように電車ではなく客車によるものでしたが、伊豆方面の輸送力は増強されました。そして、「あまぎ」は特急並みの速さから、準急列車でありながら「湘南特急」と呼ばれるようになりました。
この「湘南特急」と呼ばれた「あまぎ」は、最新鋭の80系電車を運用に充てましたが、増備の途中であったにもかかわらず、14両編成という長大な列車でした。伊東・修善寺方に4両編成の付属編成と、東京方には二等車であるサロ85形2両を含めた10両編成の基本編成を組んでいました.。*1途中の熱海で分割併合されるダイヤで、ここで修善寺行きの付属編成は先に発車して丹那トンネルに入っていき三島に向かいました。東京方の10両編成は、修善寺行きが発車した後に伊東線に入って、伊豆半島の東海岸沿いを走り伊東へと向かいました。
一方、修善寺行きの付属編成は、三島駅で停車した後に駿豆鉄道駿豆線へ乗り入れますが、当時は直流600Vの電化だったため、少し変わった転線作業が必要でした。三島駅に停車した編成は、まず修善寺方のモハ80形の集電装置を下ろして通電を遮断し、東京方のモハ80形が1両でわずかに編成を押し込みます。そして、編成の中央に連結されたサロ85形の直上にある電車線にはデッドセクションが設けられており、ここで電気的な接続を切り離して修善寺方の電源を直流1500Vから600Vに切り替えます。修善寺方のモハ80形は再び集電装置を挙げて、電車線から直流600Vの供給を受けると、今度は東京方のモハ80形の集電装置を下ろし、修善寺方のモハ80形が編成全体を引き出して、東京方のモハ80形がデッドセクションを超え、直流600V区間へと入ったところでもう一度停車し、編成全部が600V区間に入ったところで、東京方のモハ80形は再び集電装置を上げて、編成全体が600Vの供給を受けて発車するというものでした。
直流1500Vで走る電車が電圧が低い600Vの区間で走ることができるのかという疑問が出てきますが、駿豆線は距離が短く最高速度も東海道本線のように速くないため、ここでは十分だったようです。

駿豆鉄道駿豆線(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)は、かつて直流600Vで電化されていたため、国鉄からの直通列車は機関車牽引の客車列車だった。しかし、東海道本線の電化が進んで80系が運用に充てられることになったが、国鉄は直流1500Vで電化されていたことからその電圧の差が問題だった。しかし、駿豆線は距離が短く最高速度も低いことから、性能は半減しても問題なかったため、1500V車がそのまま600V区間に乗り入れるという特異な運用が組まれていた。(出典:写真AC)
80系電車を使って運転された「あまぎ」が好評だったことから、1951年になると「いでゆ」と「はつしま」も客車から80系に置き換えられました。このうち「いでゆ」は臨時列車としての設定でしたが、毎日運転されていたことから実質は定期列車といっても差し支えないものでした。
加えて80系電車で運転されることになった「いでゆ」と「はつしま」には、そのスピードの高さをアピールするため、前面に掲げられたヘッドマークには、俗称であった「湘南特急」の文字が書き込まれるほどで、距離は短いながらも国鉄にとって期待の大きい列車だったことがうかがえるでしょう。
《次回へつづく》
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*1:資料によっては伊東・修善寺方に基本10両編成を、東京方に付属5両編成で15両編成を組んでいたとある。