旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

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6:準急「伊豆」と「あまぎ」の進化──新宿発着・増発・指定席化が生んだ伊豆ブーム

《前回からのつづき》

 

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この記事をまとめると
1953年に「あまぎ」は「伊豆」と改称され、翌年には「伊豆」と「いでゆ」が正式に定期列車となった。さらに新宿発着の新「あまぎ」も登場し、伊豆方面の準急は急増した。観光需要の高まりで利用者が殺到し、準急券の売れすぎによる混雑や座席確保の問題が深刻化したため、1959年には「伊豆」と「はつしま」が全車指定席化され、乗客の快適性と国鉄の運用安定を両立させる体制が整えられた。
 

 1953年になると、「あまぎ」はその名を変えて「伊豆」となりました。この後、1981年に登場する「踊り子」に統合されるまで、28年もの間に渡って運転される「伊豆」はこのとき誕生しました。

 「あまぎ」から改称された「伊豆」と「いでゆ」は、1954年に定期列車に格上げとなりました。とはいえ、「伊豆」は臨時列車でありながらも毎日運転されていたことから、実質上は定期列車だったものが、ここで名実ともに定期列車になったのでした。

 この年に、「伊豆」に名称が変わったことにより消滅した「あまぎ」の名が、復活することになりました。ただし、運転区間はかつての東京発着ではなく、新宿―熱海間に運転区間が変更されるとともに、当時は貨物線であった品鶴線を経由する列車としての設定になったのです。今日の湘南新宿ラインの元祖ともいえる新たな経路は、東京発着の列車では保養地である伊豆方面を結ぶ列車だけでは増え続ける利用者を捌くことができなくなったことや、渋谷や新宿といった山手線西側からの利便性を向上させ、さらなる需要を取り込もうとしたと考えられます。

国鉄が分割民営化されて設立されたJR東日本は、当時「副都心」と呼ばれた新宿へのアクセス向上をねらって、従来からの路線単位での運行系統から脱却した直通運転として湘南新宿ラインの運行を始めら。これは、東海道本線・横須賀線ー(品鶴線)ー山手線ー赤羽線ー高崎線・東北本線という異なる路線を1本の列車が転線しながら走るという画期的なものだった。しかし、この原型となった運行系統は1950年代に始められており、準急「あまぎ」が新宿ー(新鶴見)ー伊東間で運転されていた。今日では「踊り子」の新宿発着の列車が当たり前のように運転されているが、半世紀以上も前に同じような列車があったことは特筆に値するといえる。写真は185系の晩年期、武蔵小杉を発車し品鶴線を下る「踊り子」。イラスト入りのヘッドマークも懐かしい。(湘南新宿ライン・横須賀線(正確には品鶴線)をいく185系・特急「踊り子」 武蔵小杉ー新鶴見 2021年1月2日 筆者撮影)

 

 1956年にはさらに準急の増発がされます。他の列車と同様に土曜下り・日曜上りに東京ー伊東・修善寺間に「たちばな」が運転され、更に翌年の1957年にはすべて三等車で組まれた不定期準急「十国」も増発されるなど、伊豆方面への列車は活況を呈し、終戦の混乱も終わり復興が順調に進んでいたことを思わせるものでした。

 このように、毎年のように新たな列車を設定し増発していたのは、やはり東京やその近郊から近い観光地であることや、戦後の復興も進んで経済的にも発展しつつあったこと、そのことを背景に東京を中心として人口が増えてきたことなどを背景に、東京ー伊豆間の列車には多くの人が利用するようになり、増え続ける利用客に対応するため増発をしていたのでした。

 しかし、これだけ多くの人々が殺到し、列車の増発が続くとある問題を抱えるようになります。東京ー伊豆間の列車はこの時点ですべて準急列車であり、乗車券の他に準急行券を購入すれば利用できますが、この準急料金の設定は急行よりも安価でした。そのため、比較的気軽に乗ることができるので、当然これを購入するために多くの人が殺到したことは想像に難くありません。しかし、一定の歯止めもなしに売れるからといって売ってしまっては、数に限りのある座席に座ることを難しくし、更には定員オーバーとなって積み残しを起こしてしまう事態になります。

 国鉄は、東京ー伊豆間の列車の一部には、準急券の販売は列車を指定し、販売枚数にも制限を設けるといった方法を取りました。こうすることで、列車を利用する人々が座席に座ることができるようにし、快適な旅を提供しようとしましたが、それでも課題があったといえるでしょう。具体的には座席が指定されていないため、家族連れや少人数のグループで利用しようとしたものの、乗車したときには既にまとまった座席を確保できず、やむなく離れ離れになってしまったり、列車の指定がない準急券を購入した乗客が座席を確保したため、結局は座席定員以上の人が乗ってしまったりしたためだと考えられます。

▲1959年当時の東京ー熱海間の三等運賃・準急料金・座席指定料金

 

 国鉄はこうした状況を改善するため、1959年になると「伊豆」と「はつしま」は全車指定席の列車することに改めました。この2つの列車を利用するためには、乗車券と準急券のほかに座席指定券を購入し、列車と座席の指定をあらかじめ受けなければならなくなりました。利用者にとっては座席指定券を購入する分だけ余分な料金を払うことになりますが、それでもあらかじめ座席の確保が約束されているメリットがありました。

 国鉄としても、座席指定券の分だけ増収になるだけでなく、利用者に座席の確保を確約することで、乗車人員のコントロールができることになり、同時に苦情も減らすことができるなどのメリットがあったのです。

 この「伊豆」「はつしま」の全車指定席列車に改めたのに続いて、「いでゆ」「十国」「たちばな」も座席指定の列車に変更しました。そして、東京ー伊東間に新たに設定された不定期準急「おくいず」もまた、全車指定席制の列車として運転されたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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