旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

湯の街へ駆けた湘南特急──80系・153系・157系が紡いだ伊豆アクセスの歴史【12】

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 お詫び

2026年4月18日に投稿した記事について、内容が前後しているという誤りがありました。この記事について、順序を訂正した上で再度投稿させていただくことといたしました。ご迷惑をおかけしたことお詫びするとともに、改めて順序を訂正した上で、投稿させていただきます。

11.マルス導入と急行格上げが変えた伊豆優等列車:1965〜66年の愛称整理と実質値上げの実態

《前回からのつづき》

 

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この記事をまとめると

東海道新幹線開業後も伊豆方面の直通需要は強く、国鉄は在来線優等列車を即時廃止せず存続させた。臨時特急「ひびき」廃止で余剰となった157系は準急「伊豆」に転用され、設備の豪華さから2往復が急行へ格上げされ料金も上昇。残りは「あまぎ」に組み込まれ、伊豆方面の列車体系は再編が進んだ。さらに1965年にはマルス導入を背景に愛称整理が行われ、運用の合理化が図られた。

 

 新幹線開業により伊豆方面へ向かう人々にこれを利用してもらいたい思惑はもっていたものの、その料金差から従来通りに在来線を利用する人が存在することを、国鉄はある程度考慮していたようで、東海道新幹線の開業と同時に東京ー伊豆方面の各列車をいきなり廃止することはしませんでした。そんなことを強行すれば、たちまちに利用者や国民から非難の嵐を受けるのは予想されたからです。

 この新幹線開業によって、東京ー大阪間で運転されていた臨時特急「ひびき」に充てられていた157系が、列車の廃止によって余剰となってしまいました。その余剰化した157系を準急「伊豆」に転用するとともに、準急列車に充てるには「豪華すぎる」設備をもった車両であることなどから、「伊豆」のうち2往復については列車種別を準急から急行へと格上げました。これによって、「伊豆」を利用する場合、それまで急行よりも安価な料金設定だった準急料金ではなく、急行料金を支払う必要が生じてしまったのです。

 

準急・急行用としてつくられた157系は、日本を代表する観光地である日光へ向かう列車に充てるため、訪日外国人を意識して特急形並の設備をもった異色の存在だった。その157系は伊豆方面の列車にも充てられ、準急「伊豆」の2往復の運用に就いたものの、他の「伊豆」と比べて設備が大きく異なり「豪華すぎる」ことから、これを急行へと格上げすることになった。その後、急行形でありながら特急として使われ、183系へ置き換えるまで使われ続けた。(©VVVF, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 本来であれば東海道新幹線を利用してもらい、高価な特急料金で収益を上げたいのが本音だった国鉄も、157系という豪華な設備をもった車両を投入して急行に変え、少しでも料金の値上げによって収入を得ようとした目論見がなかったとはいえないでしょう。

 急行列車に格上げになった「伊豆」は、157系13両編成となり、伊豆急下田行きは7両編成、修善寺行きは6両編成とされ、それぞれに二等車となるサロ157形を2両ずつ連結しての運転となりました。それと同時に残った1往復半は「あまぎ」に組み込まれる形になり、「あまぎ」は2往復の不定期列車となったのです。後年、「あまぎ」が特急、「伊豆」が急行となったのに対して、この時点では逆の立場になっていたことがわかります。

 これまで、伊豆方面の優等列車は急行に格上げとなった「伊豆」を筆頭に、「あまぎ」「おくいず」「いこい」「いでゆ」と愛称の異なる列車が運行されていましたが、行き先には差異がなく、いずれも伊東・伊豆急下田行き、あるいは修善寺行きでした。これは、列車の愛称を変えることで誤乗車を避ける目的があったと推察されますが、運用管理の面では煩雑になりつつありました。

 1965年にこれらの列車の愛称について、整理統合が図られることになります。その理由として考えられるのが、国鉄の指定席予約販売システムである「マルス」の存在が挙げられるでしょう。今日ではJRの特急列車や新幹線などで、指定席特急券を購入するときに当たり前に使われているシステムですが、当時はまだ立ち上がったばかりのものでした。

 

▲1964年、東海道新幹線開業時の急行「伊豆」と準急「あまぎ」の編成図。当時、「あまぎ」と「伊豆」の関係は逆で、「伊豆」の方が格上であった。いずれも東京ー伊豆急下田・修善寺を結ぶ列車で、後の「踊り子」となる運転系統を確立していたことになる。

 

 1964年に最初の予約システムとしてマルス101が開発され、それまで駅の出札窓口で利用者から注文を受けた営業掛の職員が、鉄道電話で予約センターに空席を照会、予約センターの職員は高速で回転するテーブルから目的の列車の台帳を取り出し、そこから空席の有無を確認、空席があれば指定する号車と座席番号を駅へ知らせ、駅ではそれを切符に書き込むとともに、予約センターでは台帳に発券した号車と座席番号に予約済みであることを記載するという、人力に頼った原始的かつアナログの方法が採られていました。

 

国鉄の座席予約システムであるマルスシステムの稼働と展開によって、駅の出札窓口には「みどりの窓口」という名称がつけられるようになった。マルスシステムは、それまで人手によって、それも職人芸ともいえる方法で座席予約の受付、空席の照会、予約の処理、指定席券の発券といったワークフローをこなしていたが、担当する職員の養成に時間がかかること、駅の窓口と予約センターの間は電話による連絡に頼っていたこと、そして発券はすべて駅の係員が手書きで行っていたことから、時間がかかりミスも多かった。これを瞬時に行いつつ、誤発券を防ぐこと、そして膨大になった列車の予約管理を一元化することを目的に、マルスシステムが開発された。今日では当たり前となっていることだが、1960年代当時としては大がかりなプロジェクトでもあった。今日、有人の窓口が合理化などの理由により消滅しつつあるが、つい最近までは当たり前のそんざいだったといえる。(出典:写真AC)

 しかしこの方法では、予約センターの職員は高速で回転するテーブルから、目的の台帳を素早く取り出し、使い終わったら元の位置へ戻すという職人芸ともいえる我が要求されるとともに、電話による口頭での予約の決定や空席の有無を連絡すること、指定席券の発見も職員が手書きで切符に記入するため、聞き間違いや書き間違いといった人為的なミスが多発していました。

 こうしたことから、より合理的で確実、そして早い処理を目的として、国鉄は予約システムを開発したのでした。1964年に開発されたマルス101はその最初期のもので、オンラインによるコンピュータ処理で予約が可能になることから期待されました。しかし、このマルス101では座席は4列までしか対応できず、1列5席のアブレストになる新幹線の予約は不可能だったのです。

 

《次回へつづく》

 

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