旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

湯の街へ駆けた湘南特急──80系・153系・157系が紡いだ伊豆アクセスの歴史【14】

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13.ヨン・サン・トオ改正が決定づけた伊豆優等列車の転換点:急行整理・自由席導入・157系特急化(1968〜69年)

 

この記事をまとめると

1968年の「ヨン・サン・トオ改正」で準急が全廃され、伊豆方面の急行は「伊豆」(全車指定)と「おくいず」(自由席連結)に再編され、「あまぎ」「いでゆ」は廃止された。翌1969年には設備格差の大きい157系急行「伊豆」が特急「あまぎ」として格上げされ、下田直通の速達特急体系が確立。伊豆方面の優等列車はこの時期に現在の原型を完成させた。

 

《前回からのつづき》

 

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 1968年10月に実施されたダイヤ改正、いわゆる「ヨン・サン・トオ改正」は白紙改正とも呼ばれる大規模なものでした。このダイヤ改正ではご存知のように、それまで国鉄が運行していた列車を根本的に見直して特急列車を充実させて、全国規模で特急網を発展させようとするものでした。

 そして、1966年から進められてきた準急の整理と急行への格上げはさらに進み、このダイヤ改正をもってすべての準急は廃止されます。加えて急行もまた整理統合の対象になり、特急の増発によって急行の一部はこれに統合されていきました。

 伊豆方面の列車群も前年までにすべて急行に格上げされ、同時に列車名も整理されましたが、「ヨン・サン・トオ改正」では再び列車名の整理が行われます。それまで伊豆方面の急行列車は全車指定席となっていたものを、一部に自由席を設定しました。この自由席の設定により、全車指定席の列車を「伊豆」とし、自由席を連結した列車を「おくいず」に変えました。これとともに「あまぎ」と「いでゆ」は廃止になり、特に「いでゆ」は1949年に運転がはじめられて以来、多くの観光客を運んで親しまれてきましたが、19年の歴史にピリオドを打ちました。

 それまで優等列車は全車指定席とすることにより、利用客が座ることができる座席を確実に確保し、せっかく料金を払ったのに座ることができないといった苦情を防ぐとともに、サービス水準を維持することが目的だったといえます。

 しかし、この急行列車に自由席車を連結したことは、こうした確実な着席を約束せず、気軽に乗ることができるようにしたためだといえます。また、特急の大増発によって、それまで同じく全車指定席であったのを、自由席を連結するようになったことも、伊豆方面の列車群に影響を与えたといっても過言ではなかったのです。

 「ヨン・サン・トオ改正」の翌年となる1969年に、再度の再編が行われます。急行「伊豆」は157系で、「おくいず」は153系を充てての運行でしたが、前述の通り153系と157系では同じ急行形といえどもその出自の違いから、客室設備の違いの差があまりにも大きく、同じ急行でも「伊豆」は特急形に匹敵する設備をもって快適な移動ができたのに対し、「おくいず」は一般的な固定式クロスシートで変わり映えのしないものでした。

 

153系と157系は製造の目的が大きく異なり、前者は純粋な準急用、後者は準急でありながらも特急用並みのサービスを必要とした日光方面への観光輸送用であった。そのため、車内設備は大きく異なり、ヨンサントオ改正で伊豆方面を結んでいた「伊豆」と「ああぎ」は、同じ準急でありながら「伊豆」は特急用並の、「あまぎ」は変わり映えしないボックスシートと、同じ料金でもその差は歴然だった。しかし、これでは具合が悪く、料金制度に厳格だった国鉄はこの「ねじれ」状態を解消するため、「伊豆」を休校へ格上げした。これによって、「伊豆」を利用するときには準急時代の倍になる料金を必要とした。この後、準急は廃止する方針に転じ、多くは急行へと格上げになったが、その実態は急行料金を徴収することによる実質的な値上げでもあった。しかしながら、この方針転換が再び「ねじれ」状態を生むことになる。(©Shellparakeet, Public domain, via Wikimedia Commons)

 

 このような車両の設備に大きな差がある状態で、同じ急行として運行することに、国鉄地震も問題視するようになったといえます。急行形とはいえ、特急形に匹敵する設備をもった157系で運行するのであれば、いっそのこと特急に格上げしすることで、特急料金を収受すれば料金収入をより得ることができるからです。

 1969年にこの方針に沿って、157系で運行していた「伊豆」を特急へ格上げし、列車名も前年に一度廃止になった「あまぎ」として新たに設定しました。そして、準急から急行への格上げしたときとは異なり、「あまぎ」は東京−伊豆急下田間に限っての運転とし、停車駅も伊東線の網代と伊東、伊豆急行線の伊豆熱川・伊豆稲取・河津、そして終着の伊豆急下田のみとし、東海道本線の駅はすべて通過としたのでした。これによって、所要時間は急行時代は東京ー熱海間で1時間52分だったのが、特急格上げ後は同じ区間で1時間48分と僅かに短くなり、特急としての面子を保ちつつ料金に見合うような形態にしたのでした。

 1970年代に入ると、これまでのような大きな変化がなくなりつつありました。東京−伊豆方面間の列車群は、列車の設定で一応の完成をみたといっても過言ではないでしょう。

 

《次回へつづく》

 

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