旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

湯の街へ駆けた湘南特急──80系・153系・157系が紡いだ伊豆アクセスの歴史【エピローグ】

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《前回からのつづき》

 かつて、蒸気機関車が牽引する客車列車が山を迂回して走っていた時代から、伊豆への旅は人々の「悲願」とともにありました 。難工事の末に開通した丹那トンネル、そして戦後の復興を象徴するように登場した「湘南形」80系電車や最新鋭の153系。それらは単なる移動手段ではなく、日常の喧騒を離れて温泉地を目指す人々の期待を乗せた、希望の象徴でもあったのです 。

 

東京とその近郊から近い距離にある伊豆は、今も昔も多くの人が訪れる保養地であるといえる。その観光需要に応えるため、国鉄時代から数多くの優等列車が運転され続けてきた。都会での生活、仕事に疲れたとき、ふと思い立って手軽に訪れることができる伊豆は、列車で行けば2時間程度で向かうことができる。そうした人々を乗せて走り続けてきた列車たちのDNAは間違いなく受け継がれ、今日も多くの人を乗せて太陽に照らされ光り輝く東伊豆の海岸沿いを、名峰富士の麓から歴史ある西伊豆の温泉街へと走り続けている。(出典:写真AC)

 

 1964年の東海道新幹線開業は、鉄道の歴史における大きな転換点となりました 。超高速鉄道の登場により、熱海や三島といった伊豆の玄関口は東京からわずか1時間足らずの距離となり、旅の形は劇的な変化を遂げました 。かつて「湘南特急」と呼ばれ、在来線の花形として君臨した準急列車たちは、時代の要請とともに急行へ、そして特急へとその姿を変えていくことになります 。

 五島慶太が夢見た伊豆急行線の開通によって完成した伊豆半島東岸の鉄道網は、今もなお多くの観光客を南伊豆へと運んでいます 。かつての「あまぎ」や「伊豆」の系譜は、1981年に登場した185系、そして現代の「サフィール踊り子」へと引き継がれました。車両がどれほど進化し、窓の外を流れる景色が時代とともに移り変わろうとも、目的地で待つ温泉の温もりと、車窓に広がる相模湾の青い海が人々の心を癒やすことに変わりはありません。

 

40年以上に渡って「踊り子」で運用され続けてきた185系が引退し、その後を受けたのがJR世代の特急用車両であるE257系だった。もともとE257系は中央東線の「あずさ」「かいじ」用としてつくられた車両だったが、E353系がこれらに投入されることになり、玉突きで「踊り子」に転用されたいわば中古車両だった。他の線区では新型車両が投入されているのに対し、「踊り子」には転用車両とある意味「格下扱い」になったともいえる。これは、運転距離が他の線区の列車と比べて短いことも関係していると考えられるであろう。転用に際しては更新工事を施し全面的なリフレッシュをしている。しかし、車両の構造とはいえ前面のヘッドサインがLED表示になったことで、あの「かわいらしい踊り子」のイラストは「ドット感」満載のものになったのは惜しまれる。(戸塚-大船 2020年11月24日 筆者撮影)

 

 年度末の忙しさに追われ、ふと疲れを感じたとき、私たちは今も列車の時刻表を眺めることもあるでしょう 。そこには、かつての鉄道マンたちが情熱を傾けて築き上げた、関東の保養地へと続く鉄路が確かに息づいています。時代を超えて走り続ける列車たちは、これからもリフレッシュを求める人々の想いを乗せて、陽光あふれる伊豆の地へと向かい続けることでしょう。

 今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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