2.なぜ奈良線と関西本線は非電化のまま放置されたのか──国鉄の投資思想と気動車運用の歴史
この記事では、国鉄時代に非電化ローカル線で活躍したキハ10系・キハ20系をはじめとする気動車の歴史と、都市圏では電化が進む中で“例外”として非電化のまま残された奈良線の背景について解説します。
観光地輸送を担いながらも電化が後回しにされた理由や、当時の国鉄の路線事情を、現場の視点から振り返ります。
《前回からのつづき》
■ 国鉄気動車の主戦場は非電化ローカル線だった
国鉄の気動車は主として非電化ローカル線での運用が多く、古くはキハ10系、軽量化された車体をもち居住性を改善したキハ20系を主力としていました。また、全国に張り巡らされた国鉄の鉄道網の中には、著名な観光地への連絡輸送を担っている路線も多くありましたが、輸送密度の関係から非電化のままのところもあり、地方都市から観光地への輸送や、電化が進展する前は亜幹線も非電化のままの路線も多くあり、速達性が高い吸光や特急も気動車で運行されていました。
しかし、輸送量の多い都市圏では電化されている路線がほとんどであり、これらは通勤形電車である101系や103系が運用されていて、電車と比べて加速力が弱い気動車が入る余地はなかったといえるのです。
■ それでも“例外”は存在した──非電化のまま残された路線
ところが、世の中には必ずといっていいほど「例外」というのが存在します。国鉄の路線でもその例外というのがあり、大都市圏にあり輸送量もそれなりにあるにも関わらず、電化の対象外として非電化のまま残されていました。
その「例外」の一つとして、京都−奈良間を結ぶ奈良線がありました。
日本を代表する観光地であり、世界的にも有名な京都は政令指定都市の一つです。そしてもう一方は東大寺の大仏や奈良公園といった観光地を抱える奈良で、そのどちらも古の都、すなわち古都として多くの観光客が訪れる都市でもあります。奈良線はこの2つの古都を結ぶとともに、沿線には伏見稲荷神社や平城京跡など、歴史のある著名な史跡もあり観光需要も期待できる環境にありました。

国鉄(後にJR)奈良線は、京都と奈良という日本を代表する古都であり観光地を結ぶ路線でありながら、観光輸送どころか地域輸送としても脆弱な立場に置かれていた。競合する近鉄京都線は複線で電化、しかも特急まで運転されていたことで多くの人が利用していたのに対し、奈良線は単線非電化というローカル線の扱いであった。そのため、蒸機牽引の客車列車が運転されているという状態であったため、沿線の宅地化が進んで人口が増えると通勤通学輸送に対応しきれなくなるとともに、沿線自治体からも改善が要望されていくようになる。重い腰を上げた国鉄は気動車を吐乳してこれに応えたものの、その後再び「放置状態」になった。現状を見極めず歴史的経緯だけが優先された、国鉄の経営姿勢が垣間見える一例であったといっても過言ではない。(©Olegushka, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
《次回へつづく》
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