9.国鉄分割民営化と気動車600両更新問題──キハ35系が“代替不能”とされた理由
この記事では、国鉄の分割民営化が確定した1986年に浮上した“600両の気動車更新問題”と、ローカル線用車両の老朽化が進む中で、なぜキハ35系だけは代替が効かず、新たな通勤形気動車としてキハ38形が誕生したのかを解説します。
《前回からのつづき》
■ 分割民営化の確定と新型気動車600両の必要性
国鉄の分割民営化が確定した1986年になると、特定地方交通線の処遇もはっきりしたこともあって、ローカル線で運用することを前提とした気動車の新製についても確定していきました。
一方で、1960年代前半から半ばにかけて製造された車両はそのどれもが老朽化が進んだことで置き換えの対象となり、その数は600両と見積もられました。
これは、1980年代初め頃に新たな一般形気動車として開発されたキハ37形の製造中止、さらにはDMF15系エンジンの直噴化改造などの中止など、当時の国鉄が極めて混乱してしまったことにもその要因があると言えるでしょう。

DMH17系を始祖に持つ国鉄制式ディーゼルエンジンは、大きくて重く、そして燃費の割には力がないという動力用エンジンとしては致命的ともいえる欠陥を抱えていたと言える。民営化後、国鉄からこれらの車両を継承した旅客会社は、早い時期からエンジンの改造や換装による高効率で高性能なものへと転換させていった。大量のキハ40系を抱えていたJR北海道も、特殊な用途で使われる車両を中心に機関換装を進めたが、2011年の時点からは一般運用の車両もN-DMF13HZI(330PS/2000rpm)へ換装工事を進めた。(キハ40 1772〔旭アサ〕 滝川駅 2020年11月23日 筆者撮影)
そうした中で、使い古されてきた気動車は新車への置き換えがままならず、言葉通り老骨に鞭打っての運用が続けられたのでした。そうした状況で、車両の老朽化はさらに深刻なレベルへと進んでいってしまいました。その結果、需給見通しが立った時点で、置き換える対象とされたのが600両だったのです。
しかし、いきなり600両の新型気動車を製造する体力は、当時の国鉄にはなかったため、当座はキハ40形の配置転換や、急行列車の削減などによって余剰化したキハ58系をはじめとした急行形気動車で凌ぐとし、キハ54形やキハ31形などは最小限の数を国鉄の予算で作り、新会社へ継承させて少しでも負担を減らす方策が取られました。
キハ10系やキハ55系といった初期の気動車は、車両の構造が非常に似ていたこれらの車両で置き換えることが可能であり、当時の国鉄としても厳しい財政事情の中ではこれが最良とはいいえないまでも、最適な答えだったと言えるのです。
■ キハ35系だけは“代替が効かない”存在だった
ところが、この600両のうち、都市近郊で使われていたキハ35系については、キハ40系などの一般形気動車とはその構造が大きく異なっていたため、キハ40系はもちろんですが、キハ58系で代替することは実質不可能でした。
特に通勤形として設計されたキハ35系は、ロングシートを設置して収容力を重視した車内設備は、他の国鉄形気動車がこれを肩代わりするのは困難であることは明らかであることから、他の線区で使われているものと同様の新たな車両を新製しても、すぐに余剰化するなど無駄のない投資になると考えられ、キハ37形の設計思想をベースにした新たな通勤形気動車を製造することになったのです。
このような背景から、国鉄分割民営化を翌年に控えた1986年に、最後の通勤形気動車として設計・製造されたのがキハ38形だったのです。
《次回へつづく》
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