17.キハ38形の製造と八高線での活躍──国鉄最後の通勤形気動車が生まれた背景
| この記事では、1986年にわずか7両のみ製造されたキハ38形が、どのような経緯で誕生し、国鉄末期からJR東日本の八高線へと受け継がれていったのかを整理します。キハ35形の車体更新として生まれた背景、国鉄工場での改造製作、そして八高線でキハ20系・キハ45系とともに運用されながらも収容力の高さから生き残った理由など、キハ38形が“国鉄最後の通勤形気動車”として果たした役割を詳しく見ていきます。 |
《前回からのつづき》
■ キハ38形はわずか7両──置き換え目的とテストケースとしての性格
1986年にキハ38形は、全部で7両が製造されました。あまりにも少ない数に思えますが、国鉄はキハ35形をすべて置き換えることは意図してなく、あくまでも老朽化の激しい車両の取替用という位置づけであるとともに、次世代の通勤形気動車の有り様を模索したテストケースとも考えられるでしょう。
■ 国鉄工場での製造──技術継承とコスト削減のために
キハ38形の製造は短期間で揃える必要があるといった理由などとともに、製造コストを抑える必要性、国鉄自身の車両製造の技術を維持しながら新会社へ継承することを目的に、全車が国鉄工場で製作されたのでした。

キハ38形は一見すると新製車にも見えるが、実際には老朽化が激しいキハ35形を抽出して改造した『車体更新車』という方がより正確だろう。台枠や車体、室内設備はすべて真新しいものを用意し、台車や連結器などごく一部の部品が再利用された。こうしたことから、実質は新製車両といっても差し支えないものだったが、書類上はキハ35形のものを引き継いでいる。この理由として考えられるのが、巨額の債務を抱えた国鉄が車両を新製するというのは、政府や国民から見れば「莫大な借金を抱えていながら新しい車両をつくるのは矛盾している」といった批判を受ける恐れがあり、改造名義であればそうした批判もかわせることだろう。また、キハ38形は車両メーカーに発注するのではなく、全車が国鉄工場で製作されている。これは、工場の技術力維持と向上をねらうとともに、内製化することでコストを削減を可能にすると考えられたためといえる。(出典:写真AC)
■ キハ35形の車籍を引き継いだ“更新車”として誕生
もっとも、キハ38形は新製車ではなく、前述の通り老朽化の激しいキハ35形の車体更新という形を採ったため、車籍はキハ35形のものを引き継いでいます。そのため、もっとも古いものでキハ38 3の改造種車となったキハ35 513は1965年5月20日の竣工と、全車が1965年から翌66年にかけての車両だったのです。
■ 改造は全国5工場で分散実施
改造製作は全国の国鉄工場で行われたため、大宮、郡山、長野、鷹取、そして幡生の5か所で分散して進められました。
最初に竣工した1号車が1986年6月であるのを皮切りに、最後に完成した1003号車は分割民営化の約半月前となる1987年3月16日でした。言い換えれば、国鉄が最後に改造製作した気動車であることがいえるのです。
《次回へつづく》
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