20.キハ38形と久留里線色の歴史|アクアライン塗装と房総ローカル線での終焉
《前回からのつづき》
| この記事では、久留里線に転属したキハ38形が、東京湾アクアラインをイメージしたクリーム色と青帯の「久留里線色」へ塗装変更された経緯と、房総のローカル線で通勤・通学輸送を支えた役割、そしてキハE130系投入により2012年12月1日に運用を終了するまでの歩みを紹介します。 |
■ 久留里線色への塗装変更──アクアラインをイメージした新装い
また、久留里線に転属後、キハ38形はその塗装を大きく変えました。国鉄形気動車のシンボルカラーともいえる朱色系の塗装をやめ、クリーム色の地色に青色のストライプを配した久留里線色に装いを変えたのでした。この塗装は東京湾アクアラインをイメージしたデザインとされ、この後、キハE130系に置き換えられるまでこの装いのまま活躍することになります。
■ 久留里線の性格:典型的なローカル線としての役割
久留里線は木更津から房総丘陵の東側に位置する上総亀山までを結ぶいわゆる「盲腸線」で、木更津の市街地を除いてほとんどが農業地帯を貫くように走り、久留里からは山間部に入っていく典型的なローカル線でした。
そのため、久留里線の主な利用者は市街地に住む人々の通勤と、沿線に住む高校生の通学の手段としての、生活の基盤を支える役割を担いながら、房総の地を走り続けました。

新春の朝、冷え込む中で木更津駅で発車を待つキハ38形。前面窓周りは黒色処理がなされ、一見すると大きな窓の印象を与えるが、これは塗装デザインがねらった効果だといえる。高崎配置時代はクリーム色地に赤い帯を巻いていたが、木更津に配転すると白地に東京湾アクアラインをイメージした青と緑色の帯を巻いた姿で一新された。キハ30形やキハ37形と組んで運用することが多かった。(キハ38〔車番不明・千マリ〕 木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)
■ ローカル線の宿命:人口減少と自動車化の波
しかし、ローカル線によくある事として、道路の整備が行き届くとともに沿線の人々の移動手段は自動車へと移っていき、鉄道を利用する人が減ると列車の運行を減らし、使いづらくなった鉄道からはさらに人々は離れていくという悪循環は、久留里線にも当てはまったといえるでしょう。
加えて農業が中心の地域を走る鉄道の宿命として、もともとの人口が少ないことや、そもそも鉄道を使って通勤をする必要がない仕事に就く人の割合が多いことや、少子高齢化が進むにつれて鉄道にとって「上得意」ともいえる学生の利用も減っていきました。
■ JR東日本の判断:キハE130系投入とキハ38形の終焉
結果として、大量輸送に適した鉄道は、こうした地域において常に赤字を計上することになり、国の公共企業体であった国鉄ならともかく、純粋な民間企業になったJR東日本は、こうしたローカル線にかけるコストを可能な限り減らさなければなりませんでした。
こうしたことが背景になり、JR東日本は久留里線にも経済性に優れたキハE130形の新製と投入を決め、キハ38形は房総の地を一緒に走り続けてきたキハ30形とともに置き換えの対象になり、2012年12月1日をもって全車が運用を離れ、20年以上に渡って慣れ親しんだ地で終焉を迎えたのでした。
《次回へつづく》
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