旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産:キハ38形が繋いだ非電化路線のバトン【20】

広告

21.キハ38形のその後|47年の活躍と水島臨海鉄道・ミャンマー・ポッポの丘への行方

《前回からのつづき》

blog.railroad-traveler.info

 

この記事では、キハ38形が種車時代から数えて46〜47年にわたり活躍した実績と、2012年の久留里線引退後に解体されず、水島臨海鉄道への譲渡、ミャンマー国鉄への譲渡、そしてポッポの丘での静態保存へと分かれていった廃車後の行方を紹介します。
■ 47年の活躍──キハ38形の寿命と評価

 キハ38形に改造製作された7両のうち、最も古いキハ35 513を種者としたキハ38 3は、種車時代の落成である1965年から数えると、実に47年もの間を活躍したことになり、他の車両も46〜47年もの長きに渡って使われ続け、都市近郊の非電化区間における通勤通学輸送をはじめ、ローカル輸送までこなし続けた実績は大きいといえるでしょう。

■ 廃車後の行方:解体されなかったキハ38形

 7両のキハ38形は、2012年12月に運用を離れた後、廃車除籍となり、JR東日本の車籍を失いました。しかし、廃車となった鉄道車両の多くはそのまま解体されて姿を消していくのですが、キハ38形は解体されることはありませんでした。

■ 水島臨海鉄道へ譲渡──キハ38 104として再出発

 キハ38 1003は、JR東日本から岡山県にある水島臨海鉄道に譲渡され、ここで車内外のリフレッシュ工事を施された後、キハ38 104に改番された上で同社に車籍を編入、久留里線でともに走った僚車であるキハ30形2両とキハ37形2両とともに、再び走り始めたのでした。

 譲渡後、国鉄一般気動車色に塗られていましたが、今日では登場時の八高線色に再塗装され、1987年の登場時から八高線で活躍していた頃を彷彿させる姿で、岡山臨海部の輸送に活躍しています。

 そして、キハ38形の2〜4と1001、1002は、海を隔てたミャンマー国鉄に譲渡されました。

 

久留里線にキハE130形が配置されたことで、キハ38形はJR東日本での役目を終えて廃車されたが、多くは解体を免れ新たな道を歩み始めた。水島臨海鉄道にはキハ38 1003が譲渡され、再整備の後に同社に車籍編入され、車番を104へと改めている。加えて登場時の八高線色に復元されたことで、かつての姿を見ることができるようになった。同社にはキハ30形2両とキハ37形も譲渡され、さながら久留里線時代を彷彿させる姿を見ることができる。(出典:写真AC)

■ 1号車は「ポッポの丘」で静態保存

 残るキハ38形のトップナンバーである1号車は、再び鉄路の上を走ることはなくなりましたが、解体されずに房総半島を隔てた反対側、かつて木原線として国鉄・JR東日本の路線であったいすみ鉄道の近傍にある、いすみ市の「ポッポの丘」に静態保存され、廃車時の久留里線色を纏った姿で往時の活躍を静かに語っています。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい