旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【1】

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 人は生まれながらにして背負った運命というものがあるのかと思うことがあります。とにかく苦労の連続を強いられる人もいれば、裕福な家に生まれて先代の後継者に、本人の意思も関係なく決められていて自由のない人などなど。
 それは鉄道車両も同じことで、開発する時には使い途や使われる場所が予め決められ、それに見合った性能と設備をもたされて誕生します。本来であれば終生、予め決められた仕事をこなすために走り続けて、耐用年数が過ぎた時点で後継車が登場し増えていくとその使命を終えて去って行きます。
 ところが、周囲の環境が激変したことでその使命を変えられ、登場時の華やかしさも過去へと追い遣られ、その過去の栄光の輝かしき頃をも思い出させないような地味な仕事を黙々とこなすことを余儀なくされた車両たちがいます。
 今回の主人公はあまり語られることのない交直流両用車。なぜか、鉄道に焦点を当てた雑誌やウェブサイトは直流車を取り上げることが多く、交直流車や交流車はあまりスポットを浴びる機会が少ないように思えます。

f:id:norichika583:20180516233304j:plain<<br<>▲北陸新幹線開業前の北陸本線普通列車の運用に就く475系電車。急行形電車の特徴である1000mm片開きの乗降用側扉は車端部にあり、その間を窓がずらりと並ぶ。(筆者撮影)

 まあ考えてみれば鉄道車両に占める直流車の割合が多く、しかもバラエティーに富んでいることと、直流車は大都市圏を中心に使われている点がその理由かも知れません。交直流車や交流車はどちらかといえば地方都市を中心に使用されることが多く、ある意味目立ちにくく雑誌などでは話題性に乏しいのでしょうか。
 さて、その昔、国鉄→JRにも急行列車が在来線を走っていました。鉄分の濃い方なら「そんなの知っているよ」なんて叱られるかも知れません。いまやJRの在来線を走る急行列車は青森-札幌間を結んだ「はまなす」を最後にすべて廃止になり、在来線の優等列車はすべて特急列車になってしまいました。
 国鉄時代、特に1960年代は急行列車の最盛期で、特急列車と比べて安価な料金で、特急列車よりは停車駅数が多いために所要時間はそれに及ばないものの、それでも短い時間で移動できるので、庶民の脚として利用され数多くの列車が運転されていました。
 その頃の急行列車は昼行列車はもちろんですが、夜行列車も多数運転されていました。またその多くは長距離を走ることが前提だったので、座席車だけではなく簡単な料理を提供する食堂車(ビュッフェ車)も連結されているなど、特急列車を補完するには十分なサービスを提供していました。
 一例を挙げると、東海道新幹線開業前夜の1960年初めに、東海道本線には急行「東海」という列車が設定されていました。この列車、東京-大垣間を結ぶ列車で、その走行距離は優に300kmを超えるという今日では考えられないほどの長距離列車でした。その「東海」は電車化後は旧性能車である80系電車で運転されていましたが、新性能車である153系電車の登場で置き換えられます。その連結両数はなんと12両編成で、この当時の在来線列車としては長いものでした。やがて1961年には二等車(今日のグリーン車)を挟むように供食設備を備えたビュッフェ車を連結し、特急列車には及ばないものの長距離列車としてはこれ以上ないほどの設備を備えた列車でした。
 この急行「東海」を皮切りに急行列車で使用されることを前提として開発・登場した153系を始祖とする一連の車両を、国鉄では「急行形電車」と呼ばれていました。急行形電車は長距離を走ること、特急列車のようなリクライニングシートを備えた豪華な設備ではなく、旧型客車時代から連綿と受け継がれてきた背ずりが固定されたボックスシートを備え、できるだけ多くの乗客を乗せることができるように設計されました。言い換えれば、旧型客車の設備をそのままにしつつ、最新の技術を使った電車として設計した車両といったところです。

f:id:norichika583:20180516233516j:plainf:id:norichika583:20180516233526j:plain▲(左)国鉄の新性能急行形電車の基礎をつくった153系電車。東海道山陽線の急行列車で使用することを前提に開発・製造され、急行「東海」などで活躍し、晩年には「伊豆」で活躍。往年の長距離運用とはほど遠い近距離での活躍となった。(©Shellparakeet Wikimediaより)(右)車内は旧型客車から連綿と受け継がれてきたボックスシートがずらりと並び、その後の急行形電車も同様の車内設備となった。(© Shizutetsukikanshi Wikimediaより)

 153系電車はこのコンセプトに合わせ、車内はすべてボックスシートでした。もちろん、長距離列車として走るので、車両の端には洗面所とトイレが備えつけられていました。こうしたあたりは旧型客車とほぼ同じような設備でしたが、さすがに電車になったので乗降用の側扉は自動化されました。幅1000mmの片開きドアは、客車時代の幅700mmの手動開き戸に比べて乗客の乗降がスムーズになりました。そして何よりも自動扉になったことで、走行中に乗客が勝手に側扉を開けるなんてことがなくなりました。
 こうした車両設備は旧来からの客車を踏襲しつつ、シートピッチを広げ、車体幅も広がったことから座席幅も広くなったことで、多少なりとも居住性も向上しました。
 そして何よりも、電車となったことでその性能も向上し、運転速度が上げられたことが最も大きなことだといえます。旧来の列車は機関車が牽引することを前提とした客車列車でした。
 この機関車が牽く列車は、座席車だけではなく寝台車や食堂車、果ては荷物車など様々な車両を需要に合わせて組むことができる反面、停車時から加速する速さや運転速度は機関車の性能に左右されていました。そのため、加速は列車重量のある貨物列車に比べて速かったとはいえ電車に比べるとゆっくりしたもので、運転速度もせいぜい95kmにだったでした。153系電車では旧性能車である80系電車に比べて加速もよく、最高運転速度は110km/hと高速運転を可能にし、所要時間も大幅に短くすることを可能にしました。