JR東日本
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄形淘汰のあとを継いだE257系 2020年をもって集約臨から185系が退くと、その後継として特急「踊り子」と同じく、E257系が就くことになりました。 E257系は2001年から中央東線の特急「あずさ」「かいじ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■183・189系無き後は国鉄形最後の特急形185系 167系の後継として集約臨輸送を担った183・189系も、時の流れとともに老朽化・陳腐化が著しくなっていきました。2003年から10年の間にわたって多くの小学生を…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急用から波動用へ転換 栄光の国鉄特急形183・189系が集約臨を引き継ぐ 2002年に集約臨の運用から外れ、167系は翌2003年に全車が廃車となってしまいました。しかし、神奈川県内の公立小学校の修学旅行は…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1965年に新製された167系は、関東地区対京阪神の増発用として田町電車区に配置、さらに翌1966年には山口県・広島県からの要望により、山陽地方用として下関運転所にも配置されて、修学旅行の生徒を輸送す…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■出力強化・勾配線区用165系の修学旅行用167系 153系を嚆矢とする急行形・修学旅行用の電車群は、主電動機に出力100kWのMT46を装備していました。この主電動機は国鉄初のカルダン駆動を採用した新性能電車…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■155系の成功を受けて増備された159系 世界的にみても、修学旅行という利用者が中高生と限定された前代未聞の設計で登場した155系は、資金の調達から車両の設計開発、そして製造、実際の運用に至るまで、…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 155系の特徴といえば、なんといっても修学旅行という特定された利用者と、その旅行形態に合わせた車内設備といえるでしょう。一般の旅客輸送とは異なり、製造費用は修学旅行で乗車する生徒の学校関係者の…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■前代未聞の「修学旅行専用設計」155系の登場 このように、修学旅行が学校行事としての位置づけが明確になったことで、学校関係者はもとより、修学旅行に参加する児童生徒をもつ保護者などからも、我が子…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今年もとうとう秋になりました。(この記事を執筆していたのは10月半ばのことでした)毎年のことですが、夏の暑さは尋常ではなく、気温も35℃を超える日も珍しくなくなりました。その分、秋に近…
《前回のつづきから》 ほくほく線は上越線六日町駅と信越本線犀潟駅の間を短絡する路線です。開業当初から上越線越後湯沢駅と信越本線直江津駅を列車の発着駅とし、特に越後湯沢駅では上越新幹線との接続を優先したダイヤ設定にしました。 この上越線と信越…
《前回のつづきから》 このように、1977年の「はくたか」は、食堂車もありスイッチバックもありで、今思うと楽しい列車だったのではないかと思えます。しかし、まだ幼かった筆者にとっては、長い旅路は少しばかり「飽き」がきてしまいましたが、それでも憧れ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その「はくたか」ですが、筆者にとって思い出深い列車の一つです。 まだ小学校に上がった頃か、幼稚園の年長だった頃か定かではありませんが、今は亡き父に連れられて乗ったことがあります。このブログで…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 この記事を執筆している時点で、早くも1月が終わろうとしています。昔から「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」と言われるほど、年度末に近づけば近づくほど時が経つのが早いものです。筆…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 学校生活の中で、行事と呼ばれる活動は子どもたちにとって楽しみの1つだといえます。運動会や学校祭など、規模の大きな行事は多くの方が経験してきたことだと思います。これら一見するとイベン…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、キハ35系は気動車としては異色の存在だといえるでしょう。 そもそも気動車は非電化の鉄道路線で運用することが前提です。非電化ということは、ごく一部の例外を除いて電化するほど輸送量が多く…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 房総半島の、とりわけ内房線の電化が比較的遅かった理由の一つとして、君津市の鹿野山にある国土地理院鹿野山測地観測所の存在があったと考えられます。鹿野山の測地観測所では、地磁気の観測を行っていま…
《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info 中原電車区に配置された101系はカナリアイエロー(黄色4号)に塗られ、それまでのぶどう色2号とは比べ物にならな明るいカラーになり、都心で使い古された中古車といえども旧型国電を押し出して新性能化に貢…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 小学校5年生の社会角の学習では、日本の産業について学習をします。その学習では、多くの場合「実物を見て学ぶ」ということで、工場見学を設定して出かけることがあります。今では様々な理由か…
〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info 国鉄バスをルーツに持つJRのバス。実のところ、首都圏の都市部に生まれ育った筆者にとっては、あまり縁のない存在でした。ドライブや旅行などで東名高速道路を運転していると、東京と名古屋や大阪を結ぶハイ…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道は高頻度、大量輸送を得意とする交通機関であることは、多くの方がご存知のことと思います。特に距離が伸びれば伸びるほど、そして輸送量が増えれば増えるほど、その威力を発揮するものです…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがようございます。 東京駅のホームは今も昔も数多くあり、首都東京の中心となる鉄道駅であることは変わりません。かつて国鉄時代は、まさに全国各地にある駅の「最高峰」であり、ここに勤める職員もまた管内から選…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 当時の列車番号は345M で、165系で組成された列車でした。 深夜の川崎駅に滑り込んできた165系の345Mには、すでに大勢の人が乗っていて、とてもではないが座席に座ってくつろいで乗るような列車ではなかっ…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 普段は鉄道に関するお話をさせていただいております、どちらかというと「書き鉄」なのですが、巣ごもりしながら書いてばかりも健康によくない(?)ので、ごくたまに撮影にも出かけます。 今回…
前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (12)終わりに 1981年に国鉄から、東海道・伊東線用の新型特急用車両として、185系が登場するというアナウンスがあったとき、いったいどのような車両なのかと子供心にワクワクしたものでした。鉄道趣味誌で…
前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (11)大きな転換、そして終幕へ 1983年に185系が登場し、新製配置されたのが田町電車区でした。田町と品川の間に設置されていた車両基地群のうちの一つで、列車に乗っていると幾重にも敷かれた留置線などに…
前回のつづきより 10−3 まだまだある、多彩な運用をこなした185系 東海道の185系もさることながら、東北・高崎・上越各線の185系もまた、多彩な運用に就きました。 すでに述べたように、「新幹線リレー号」としての役目を終えた185系200番代は、新たに設…
前回のつづきより blog.railroad-traveler.info 10−2 当時としては画期的だった、定員着席サービスの通勤列車「湘南ライナー」 少子高齢化の波は容赦なく押し寄せ、これまで鉄道にとってあたりまえともいえた通勤通学利用者の定期収入によるビジネスモデ…
前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (10)多彩な列車に充てられた185系 国鉄も末期になった1981年に登場した185系は、0番代は急行「伊豆」と特急「あまぎ」を統合し、特急「踊り子」としての運用に就いていきました。その間合いでは、153系が…
前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (8)リニューアルで面目を保った185系 民営化によりJR東日本に引き継がれた185系は、当初はそのまま大きく手を加えることなく使われ続けました。特に、民営化直後はいくら首都圏という「ドル箱」を抱えてい…