電車
国鉄末期、余剰となった郵便・牽引車が、1M方式という異色の構造で旅客車へと再生された――123系。改造から30年以上、老朽化と部品枯渇の波にさらされながらも、山口の地で今なお現役を貫く。瀬戸内色に染まり、地域の足として走り続けるその姿は、国鉄が遺し…
国鉄の牽引車が、民営化の波に飲まれながらも旅客車として再生された――クモハ123形600番台。冷房化、ワンマン化、幌付き貫通扉…度重なる改造を経て、富士の麓を黙々と走り続けた。静かなる功労車は、20年の時を経て、誰にも知られずその使命を終えた。だが、…
クモハ123形600番台は、牽引車クモヤ145形を種車として1988年にJR東海が改造・登場させた1M方式旅客車です。主電動機はMT46形を再利用し、発電・抑速ブレーキは未装備。検査体制の合理化とコスト削減を目的に、編成単位での運用管理へ移行した結果、牽引車の…
《前回からのつづき》 広島工場でクモハ123形の2〜4号車が改造が進められていたのと時を同じくして、もう2両のクモニ143形が吹田工場で旅客車化の改造が進められていました。この2両は落成後に5・6号車となりますが、1〜4号車が種車の構造をすべて改めて旅客…
《前回からのつづき》 クモハ123-1が長野工場で落成した同じ頃、広島工場(後のJR貨物広島車両所)では同じくクモニ143形を旅客車へ改造する工事が進められていました。クモニ143形の2~4号車の3両が、長野工場で進められたクモハ123形への改造を受けていた…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info クモハ123形の走行に必要な機器は、種車のクモニ143形のものを活用しました。 主制御器は電動カム軸式のCS44形で、この制御器は力行時に直列11段、並列13段、弱め界磁4段の計28段、発電ブレーキ20段の回路…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 長らく続けられてきた、鉄道による郵便・荷物輸送は、1980年代に入ると合理化の対象になっていきました。手小荷物輸送は、1970年代終わり頃に始まった宅配便に押されてしまい、輸送量は減少の一途を辿って…
《前回からのつづき》 長らく中央本線は塩尻峠を避けて南に遠回りするルートを走ってきましたが、辰野回りのルートは川沿いを走るためカーブも多く、列車は速度の制限を受けながら走らざるを得ませんでした。 しかし、線形が悪く速度制限が多くあるというこ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1980年代に入ると、これまで何度もお話してきたように、国鉄が抱える巨額の債務が社会問題となっていきました。国家予算に近い巨額な債務は、文字通り国鉄の財政事情は火の車となっていて、これを解消する…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄は、自らが所有する荷物車や郵便荷物車は、新性能電車の登場で余剰化した72系を改造することで賄いました。旧性能電車であれば、もともとが1Mシステムであるので、用途に合った車体に載せ替え設備を整…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 旧形国電時代のように、電動車1両単位でも運用できる新性能電車、いわゆる1M電車は、国鉄時代は長らくつくられることはありませんでした。 その理由として、1M電車を運用する線区が限られていたことです。…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 新性能化されるより前の浜川崎支線では、17級旧形国電のクモハ11形+クハ16形の2両編成が充てられていました。旧形国電は電動車1両で運用ができるので、Mc+Tcの1M1T、MT比は1:1だったため、ある意味では…
国鉄形の電車というと、どのような車両を思い浮かべるでしょうか。 最近まで活躍していた特急形の381系や185系もあれば、今なお走り続けている近郊形の113系や115系も挙げる方もいることでしょう。いずれも国鉄が設計した車両らしく、電装品をはじめ車体に至…
203系は国鉄の苦境の中で生まれ、民営化の波を越えてJR東日本に継承された“置き土産”だった。電機子チョッパ制御とアルミ車体という新機軸を導入し、営団の要請に応えた技術者たちの誇り。2011年、最後のマト55編成が退き、29年の歴史に幕を下ろす。交換部品…
1982年、203系は国鉄初のチョッパ制御×アルミ車体として誕生。混雑路線の複々線化に合わせて登場し、営団の要請に応えた“走る答え”だった。財政難の中、軽装車100番台で置き換えを完遂。民営化の波を越え、JRと東京メトロの時代も走り続けたが、2009年、E233…
高価な203系を少しでも軽く、安く――国鉄は“軽装車”100番台を生み出した。初のボルスタレス台車DT50系を採用し、屋根厚や連結器も見直して軽量化。保安装置はATCとATS-Sを両立し、地下鉄と地上線を自在に走破。民営化の波に飲まれながらも、203系は“官から民…
203系は、快適性と省エネ性能を両立した通勤形電車として誕生。暖色系の内装、冷房装置AU75G形、そして乗客に優しい座席配置――すべては“新しい国鉄”を印象づけるためだった。しかし、財政難の国鉄にとって高価なチョッパ制御とアルミ車体は重荷となり、1985…
203系はアルミ車体を採用しながらも、国鉄の“窓のトラウマ”を越えられなかった。過去の腐食事故から一段下降式窓を避け、ユニットサッシを採用。前面デザインは営団6000系と小田急9000形を折衷し、国鉄車両の画一的な印象を打破。それは、地下鉄にふさわしい…
地下鉄の過酷な環境に挑むため、国鉄は203系にアルミニウム合金製車体を採用。従来の普通鋼では重すぎて加速性能や省エネ効果が損なわれるため、軽量化は不可欠だった。高価で試験的だった301系の経験を経て、複数メーカーが製造可能なアルミ車体を選択。そ…
地下鉄の過酷な環境に挑むため、国鉄は203系を開発。高回転・高出力のMT60形主電動機とCH1A形チョッパ制御装置を搭載し、加速性能を重視した歯車比で地下鉄仕様に最適化。回生ブレーキの強化、軽量台車の工夫、そしてアルミ車体による軽量化――203系は、技術…
通勤地獄を切り裂くため、国鉄は高価な201系を量産し、電機子チョッパ制御の実用化に成功した。地下鉄の排熱問題に悩む営団の要請に応え、国鉄は203系を開発。軽量アルミ車体と大容量制御器CH1A形を搭載し、地下鉄に適した“走る答え”を送り出した。技術者た…
営団は地下鉄の排熱問題を解決するため、チョッパ制御車6000系を導入しました。国鉄も試験を重ねて201系で実用化に成功し、混雑路線の輸送力向上と旧性能車の置き換えを進めました。営団の要請に応え、1982年には203系が登場しました。
営団の申し入れを受けた国鉄は、101系や103系に電機子チョッパ制御を仮設し、各地で試験を重ねました。回生ブレーキの課題に直面しながらも、1974年の根岸線試験で高速域でも効果を発揮する方式を確立し、ついにチョッパ制御の実用化に成功しました。
常磐線の混雑緩和策として千代田線が建設され、小田急・国鉄との相互直通運転が始まりました。営団は省電力なチョッパ制御車両を導入しましたが、国鉄の103系1000番台は電力消費が多く、排熱問題も抱えていたため、営団は改良車両の導入を求めました。
戦後の首都圏では通勤混雑が深刻化し、国鉄は「通勤五方面作戦」で抜本的な輸送力強化に挑んだ。吊り掛け駆動の旧型車両から新性能電車への転換、複々線化や地下新線の建設により、中央・総武・常磐線などで快速と各停を分離。千代田線の開業も含め、通勤地…
高度経済成長期、首都圏の鉄道は通勤地獄と呼ばれる混雑に直面しました。吊り掛け駆動車では限界があり、国鉄は101系の投入と通勤五方面作戦を実施しました。快速と各停の分離、複々線化、新線建設により、鉄道は都市の膨張に応えるべく大改革を進めました。
《前回からのつづき》 JR九州が発足した後、継続して改造製作されたHk205編成以降は、僅かに仕様が変えられました。戸袋窓を廃止し、室内の座席もクロスシートを減少させてロングシートを多くしました。保守の簡略化と客室の収容人数を増加させることで、運…
国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…
国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…
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