電車
クハ312-3006〔静シス〕 沼津駅 2009年5月4日 筆者撮影 1999年からJR東海が在来線用の標準形式電車として増備した313系は、2014年までに539両がつくられたが、運用する線区の事情に合わせて多くのバリエーションが存在してします。 その中で、閑散線区で運…
《前回からのつづき》 かつて、蒸気機関車が牽引する客車列車が山を迂回して走っていた時代から、伊豆への旅は人々の「悲願」とともにありました 。難工事の末に開通した丹那トンネル、そして戦後の復興を象徴するように登場した「湘南形」80系電車や最新鋭…
1980年代に入り、長年伊豆方面を支えた153系は老朽化が進み、国鉄は急行「伊豆」と特急「あまぎ」を同時に置き換える新型車両を計画した。財政難の中で特急・急行・普通の兼用を求められ、1981年に185系が登場。広幅扉や転換クロスシートなど近郊形に近い設…
12.マルス導入と急行格上げが変えた伊豆優等列車:1965〜66年の愛称整理と実質値上げの実態 この記事をまとめると 1965年、マルス102の稼働と「みどりの窓口」開設に合わせ、伊豆方面の列車名は「あまぎ」へ統合され体系が整理された。翌1966年には残る準急…
東海道新幹線開業後も伊豆方面の直通需要は強く、国鉄は在来線優等列車を即時廃止せず存続させた。臨時特急「ひびき」廃止で余剰となった157系は準急「伊豆」に転用され、設備の豪華さから2往復が急行へ格上げされ料金も上昇。残りは「あまぎ」に組み込まれ…
東海道新幹線開業後も伊豆方面の直通需要は強く、国鉄は在来線優等列車を即時廃止せず存続させた。臨時特急「ひびき」廃止で余剰となった157系は準急「伊豆」に転用され、設備の豪華さから2往復が急行へ格上げされ料金も上昇。残りは「あまぎ」に組み込まれ…
1961年の伊豆急開業で東京〜下田直通体系が成立し、「伊豆」「おくいず」「あまぎ」が伊豆観光の主役となった。1964年の東海道新幹線開業で国鉄は乗り換え利用を促し準急削減を狙ったが、熱海・三島での乗り換え負担や料金面から直通列車の需要は依然強く、…
1961年、日光観光向けの豪華準急「日光」に使われていた157系が、東京を越えて伊東まで直通する「湘南日光」として運転を開始した。特急並みの設備を備えた異色の急行形電車が伊豆に乗り入れた背景には、日光と伊豆の観光需要を結びつける国鉄の戦略があった…
1959年、伊豆準急に80系の後継として新性能電車153系が投入された。カルダン駆動と空気ばね台車により高速性能と乗り心地が向上し、10両+5両の長大編成で伊東・修善寺へ直通した。二等車は「並ロ」を採用し、等級制の名残も見られた。同年、駿豆線が600Vか…
1953年に「あまぎ」は「伊豆」と改称され、翌年には「伊豆」と「いでゆ」が正式に定期列車となった。さらに新宿発着の新「あまぎ」も登場し、伊豆方面の準急は急増した。観光需要の高まりで利用者が殺到し、準急券の売れすぎによる混雑や座席確保の問題が深…
1950年、80系電車で運転された準急「あまぎ」は東京―熱海間を1時間29分で結び、客車列車より33分も速く“湘南特急”と呼ばれた。14両の長大編成で伊東・修善寺へ直通し、三島では1500Vと600Vを切り替える独特の転線作業も行われた。好評を受けて「いでゆ」「は…
80系電車は「湘南形」として知られ、戦後の輸送逼迫を背景に国鉄が開発した長距離用電車だった。従来の電車とは異なり全席クロスシート中心の設備と高い加速性能を備え、客車に匹敵する快適性を実現した。GHQの制約下で横須賀線用名目で製造されたが、湘南準…
戦後、旅客輸送は復員や買い出し客で逼迫したが、1949年に東京―伊東間で準急が復活し、観光輸送再開の象徴となった。準急料金が設定され、湘南準急「いでゆ」として愛称も付与されるなど国鉄の期待は大きかった。さらに修善寺直通も再開され、1950年には最新…
西伊豆の玄関口である沼津には、三島から修善寺へ向かう駿豆鉄道が開通し、1933年には東京から修善寺直通の列車も運転された。1934年の丹那トンネル開通により東海道本線は海岸ルートへ移り、準急列車も沼津まで延長され伊豆観光はさらに発展した。しかし日…
伊豆半島は山が海岸近くまで迫る険しい地形のため、東西移動が難しく交通の便が悪かった。特に南伊豆では鉄道開通が長年の悲願だった。東海道本線は丹那山の難工事を避け御殿場経由で開業したが、1920年に国府津―熱海間が開通し、熱海が伊豆の玄関口に。1928…
年度末はどの仕事も忙しく、鉄道マン時代の筆者も年末の繁忙期やダイヤ改正準備で慌ただしい日々を過ごしてきた。疲れを癒やすには温泉が恋しくなるが、近年の箱根は外国人観光客で混雑と高騰が進むため、落ち着いて過ごせる伊豆の温泉地に惹かれるようにな…
213系は国鉄が最後に設計した新系列で、財政破綻寸前の中でも新会社の負担軽減を目的に最新技術を導入して製造された“最後の国鉄形”だった。ステンレス車体やボルスタレス台車など私鉄並みの新技術を採用し、民営化後のJR各社の経営を支えた存在である。登場…
老朽化した119系の置き換えとして、213系5000番台はトイレ増設や半自動扉化などの改造を受け飯田線へ転用された。2両編成の1M1T構成は山岳路線に適し、2011年から豊橋〜辰野間の普通列車を中心に活躍した。しかし315系の増備により置き換えが進み、2026年3月…
213系5000番台はJR東海仕様として補機類を最適化し、狭小トンネルに対応する低屋根構造のC-PS24Aパンタグラフを採用した。関西本線では165系を置き換え乗降改善に貢献したが、扉位置が中央寄りのため「郊外型ワンマン運転」に不向きで、313系導入により撤退…
JR東海は、関西本線の輸送改善に向け、国鉄設計の213系をベースとした5000番台を投入しました。ゼロからの開発を避け、実績ある設計を流用することでコストと時間を削減。一方で、観光重視のJR西日本仕様に対し、通勤需要の多い自社線に合わせて車端部をロン…
205系は国鉄初のオールステンレス通勤電車として登場し、省エネ性能を評価されJR東日本で再生産された。南武線にも101系置換え用として新製配置され、クハ205-88を含むナハ4編成は地域輸送を担ったが、2009年の感電事故で一時離脱。山手線のユニット組み込み…
老朽車による高コスト体質を打破するため、JR東海はコスト意識を徹底した車両戦略を展開しました。その具体策が、回生ブレーキを備えた高効率なオールステンレス車「211系5000番台」の大量導入です。国鉄仕様を独自に改良したこの新型車両により、東海道本線…
厳しい経営環境に対応するため、JR東海は発足直後から「費用対効果」を極限まで意識した方針を打ち出しました。その象徴が、国鉄から継承した老朽車両の早期淘汰と、メンテナンス性に優れた新型車両への統一です。独自の標準化を進めることで運用コストを削…
マリンライナー運用を離れた213系は岡山地区のローカル輸送に転用され、山陽本線・伯備線・赤穂線などで地域の足として活躍した。ワンマン化改造や延命工事が施され、2016年には1編成が観光列車「ラ・マル・ドゥ・ボァ」へ大規模改造。内装刷新や木目調仕上…
瀬戸大橋線の海上環境で床下機器が腐食し故障が増えた213系は、利用減少やJR四国の車両使用料負担も重なり、2003年にマリンライナー運用を後継車へ譲った。クロ212形は全車が離脱し、残った編成は岡山地区のローカル用に転用。サハ213形には普通鋼製の先頭部…
クロ212形は485系などのパノラマグリーン車を踏襲し、大型曲面ガラスとハイデッキ構造を採用した観光仕様の先頭車として1988年に登場した。複雑な曲面デザインのため普通鋼製となり自重は33tに達した。財務上の理由から既存編成を崩さず新編成を組む形で増備…
1987年に登場した213系は岡山電車区に配置され、宇野線で備讃ライナーとして先行運用された。回生ブレーキ車に不慣れな運転士の習熟も兼ねていた。1988年の瀬戸大橋線開業で本来の役割を担うはずだったが、JR西日本は観光性を重視し、快速マリンライナーに全…
筆者が勤務した電気区派出は中央本線の八王子や南橋本などを担当し、特に八王子では貨物施設が多く日々多様な業務に携わった。勾配が続く高尾以西では115系が活躍し、山電として親しまれたが2015年に姿を消滅。2026年のダイヤ改正で立川・八王子発着も廃止さ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 211系は東海道本線だけではなく、横須賀・総武快速線にも投入することを想定していて、特に品川ー錦糸町間の地下区間では高い走行性能を確保する必要があったものの、113系と同じMT比ほどは必要とせず、そ…
213系は瀬戸大橋線向けに1M方式を採用し、CS59主制御器とHS65励磁装置による界磁添加励磁制御を搭載した。電動車1両で必要な電装品を全て搭載するため、主抵抗器容量が小さくなり、高電圧仕様のMT64主電動機を採用。補機類も集約され、国鉄初のSIVを装備した…