旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく国鉄形 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【1】

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1.はじめに

 1987年の国鉄分割民営化から既に30年以上が経ち、時代も平成から令和へと変わった2019年のいまも走り続けている185系電車。長年走り続けてきた多くの国鉄形車両が、その任を全うして去っていった中で、貴重な存在となっている。

 今でこそ注目される存在となったが、登場当初はその車内設備の貧弱さから、特急形車両とするには相応しくないなどの批判も受けた185系電車であったが、民営化後に施されたリニューアルにより面目を一新するなど、常に時代に合わせた進化を遂げてきた。

 本稿ではもう間もなく引退していくであろう、湘南・伊豆の主である185系電車にスポットをあてててその活躍をふり返ってみたいと思う。

2.登場の経緯

 (1)湘南・伊豆方面の優等列車の概略

 185系が走ることになる湘南・伊豆方面は、戦前・戦後を通して首都圏から身近な観光地である。温泉も多くあるため、保養地としても利用されている実態があり、当然のことながらこれらの地を結ぶ交通機関としての鉄道は重要な位置を占めていた。

 これらの区間に本格的に優等列車が運転されたのは、第二次世界大戦後のことであった。戦前は東海道本線国府津から御殿場を経由する「山廻」であり、国府津-熱海間は支線にすぎなかった。また、戦争中は軍事輸送や貨物輸送が最優先となり、こうした観光目的での鉄道利用が厳しく制限されたため、当然のことながら優等列車の運転もされなかった。

 戦後になり、丹那トンネルの開通もあって東海道本線は、国府津から小田原・熱海を経由し三島に至るようになる。そして、戦後の復興も手伝って、これらの地域を結ぶ優等列車の運転が始められた。

 準急「いでゆ」「いこい」の運転が始められたことを嚆矢として、次々に湘南・伊豆方面への優等列車が運転され始める。そして、1950年には80系電車による準急「あまぎ」の運転が始められ、本格的な電車による優等列車が登場した。

 その後、準急は急行に格上げされていき、これらは153系・165系に置き換えられていく。一方、最初の電車準急である「あまぎ」は157系に置換えとともに、特急へと格上げをされていった。

(2)車両の置換と統廃合

 153系と157系ともに1950年代終わりの設計であり、常に長距離に渡る高速走行を強いられる運用など過酷な仕事であったため、1970年代に入ると老朽化が著しくなっていった。特に157系は準急用電車として開発されたが、他の準急用(後に急行形)電車とは一線を画する特急形並の接客設備をもち、当時としては画期的な一段下降窓を備えていた。
 しかし、この画期的な装備が仇となり、窓枠から侵入する雨水が車体の裾を浸食し、結果的に老朽化を早めてしまった。そのため、157系で運転されていた「あまぎ」は1976年に183系に置き換えられていく。

 

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根府川橋梁を通過する153系・急行「伊豆」。1949年の準急「いでゆ」の運転開始以来、多彩な列車が運転されるようになったが、1970年代までに列車の整理・統合が進められ、東京-湘南・伊豆方面の優等列車は、急行が「伊豆」に、特急が「あまぎ」に統一されていった。その急行「伊豆」も、153系の老朽化に伴う置換えとともに、特急「踊り子」へ統合されていくことになる。(©Shellparakeet [Public domain])

 

 一方、特急へ格上げされた「あまぎ」を除く急行列車は、年が進むにつれて整理・統廃合が進められた。最終的には「伊豆」に統一され、1981年まで153系で運転され続けた。しかし、こちらも車齢が高くなってしまったため老朽化が進み、新型車両へ置き換えられることになる。

(3)185系の登場と「踊り子」への統合

 急行「伊豆」で使われ続けてきた153系の老朽化が深刻化してくる頃、国鉄はこれらの車両を置き換えるととともに、急行「伊豆」を特急へ格上げした上で、特急「あまぎ」と統合することにした。車両を一新して、さらに急行と特急を統一することで、乗客へのサービス向上をアピールするねらいもあったといえる。

 また、この頃になると、数多く走っていた急行を特急へと格上げする事例が多くなった。一見するとスピードアップによる速達性の向上と、車両設備のグレードアップによるサービス向上にも見える。しかし、既に巨額の赤字を抱え込んでいる国鉄にとって、安価な料金設定の急行を数多く走らせるよりも、収益性の高い特急を走らせた方が増収につながる。

 ほぼ毎年のように運賃の値上げを続けてきた国鉄は、利用者離れも著しく運賃の値上げも限度があった。
 そこで、急行を特急に格上げすることで、より値段の高い特急料金で稼ぐ方策に出たのだろう。また、急行用と特急用の車両をもつよりは、どちらか一方に統一した方がコストはかからない。そうした意味でも、優等列車としては走行する距離が短い「伊豆」を「あまぎ」と統合する方が、効率と収益が上がると踏んだといえる。

 こうした様々な事情が背景となり、新たな時代の特急形車両として、1981年に登場したのが185系であり、それとともに「踊り子」の運転を開始することになる。