旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【7】

《前回からのつづき》 383系が増備され、長野駅発着の運用がすべて置き換えられた後も、松本駅・白馬駅発着の「しなの」の運用は残り、381系は4往復のみに充てられるようになり、JR西日本の381系とは対称的に風前の灯になりつつありました。 それでも、1998…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info クモハ381形は1986年のダイヤ改正から「やくも」の運用に充てられ、国鉄が計画した通り「やくも」を6両編成に短縮させ、輸送力の適正化と臨時列車を含めた運行本数を増発を実現しました。 登場した翌年の1…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年にモハ381形を種車に改造によって製作されたクモハ381形は、この年のダイヤ改正まで運用されていた「やくも」の編成から、サロ1両を連結したまま6両編成に組み替え、そこから捻出された車両を使うこ…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は既にお話してきたように、急曲線が多く存在する線区において、特急列車の所要時間を短縮させるために、車体傾斜装置である自然式振子装置を装備した特異な特急形電車でした。 中央西線の「しなの」…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄分割民営化が具体化しつつあった1980年代半ば、それまで長大編成を組むことが当然とされていた特急列車にも合理化のメスが入れられていきました。 特急列車は「特別急行列車」を指し、「特別」である…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は急曲線を傾斜装置の一つである自然振子を使って、曲線通過時に生じる遠心力を緩和して乗り心地を損なわないようにするとともに、遠心力によって車輪の浮き上がりなどによって脱線することを防ぎ、…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄の分割民営化から今年(2024年)で37年目になります。民営化直後は国鉄から継承した車両のみで列車を運行していましたが、直後からは新しい会社にふさわしい車両を開発増備し、徐々に国鉄形…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【19】終章

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED76形は交流電機であるので、車体の塗装色は一貫して赤2号を身にまとい続けています。これは、国鉄が制定した塗色で、交流電機はこの色一色に塗装することになっていました。ところが、分割民営化直後は…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【18】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が保有する機関車は、基本的に貨物列車を牽くために運用されるものですが、門司区配置のED76形に限っては特例ともいえる運用がありました。それは、門司港駅と西鹿児島駅感を結ぶ夜行急行列車を牽く…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【17】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1990年代に入り、「みずほ」の廃止や「あさかぜ」の減便に始まり、伝統的な列車だった「さくら」と「はやぶさ」の車両を減数させ、二つの列車を併結させたことから、かつて栄光の列車としての面影は失われ…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【16】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 客車列車の視点で見れば、それまで長距離輸送が主体で、普通列車も長編成で長距離を走破するのが当たり前でした。そのため、列車の運転本数は1時間あたりにしても少なく、乗客の立場からすれば利便性が高…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【15】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1973年から製造された1000番台第2次車は、基本的には0番台第5次車とかわらないものの、高速列車用の機器を装備したことで区分されました。ただし、この頃になると20系客車はほとんどが寝台特急から退いて…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【14】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED76形は0番台94両、1000番台23両の合わせて117両が製作されました。製造期間も0番台が1965年から1976年の11年間、1000番台は1970年から1979年の9年間に渡ったため、製造するロットによって搭載機器や仕様…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【13】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■九州用交流電機の決定版ED76形とその軌跡 ED72形とED73形を嚆矢とする60Hz対応の九州地区向け交流電機は、鹿児島本線熊本以南と日豊本線系統という線路規格が低い路線にも乗り入れることができ、冬季に客…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【12】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■豪雪地帯・日本海縦貫線から押し出されてきたEF70形とED74形 交流20,000V60Hzでの電化は、九州だけでなく北陸本線でも実施されました。こちらは、九州の電化よりも早い時期だったので、国鉄初の量産交流…