旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

路面電車

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【5】

《前回からのつづき》 ■1000形 第二次世界大戦が終わり、戦後の混乱も少しずつ落ち着き始めると、経済面での復興は少しずつ進み始めていました。1950年に勃発した朝鮮戦争は、日本の経済復興に大きな影響を与え、いわゆる朝鮮特需と呼ばれる状態になりました…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■500形 西鉄の軌道線を走った500形は、福岡市内線用の車両と北九州線用の車両の2つがありました。そして厄介なことに、同じ500形を名乗りながら、両者はまったく異なる仕様と性能をもったものでした。 こ…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■北九州線の主役、冷房装備の600形 筆者が赴任した1991年は、北九州線は翌年に廃止されることが決まっていた時期だと考えられます。すでにこの頃の小倉市街は自動車が多く走り、路面電車である北九州線の…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そして実際に通勤することになると、事前に教えられた通りに寮の近くにある「別院通り」というバス停から西鉄バスに乗ります。このバス停の名称は、寮のすぐ近くにある浄土真宗本願寺派の本願寺鎮西別院か…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2024年が明けた途端に、大きな災害が続きました。1日の能登半島地震では多くの被害が出て、今なお多くの方々が避難生活を余儀なくされています。2日には、東京羽田空港で着陸した日本航空機と、…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 西鉄北九州線ですが、筆者が門司にいた1991年当時はまだ現役でした。現役と言っても、翌1992年に砂津ー黒崎間が廃止になってしまったので、既に実質的な廃止直前の頃と言ってもいい頃でした。 そもそも西…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、日本の各地には路面電車が市民の足として活躍していました。人口100万人程度を超える政令指定都市の多くは、大なり小なり併用軌道が道路に敷かれ、そこには1両単車から2〜3両の連接車な…