《前回のつづきから》
新製配置以来、長らく直方区に所属して筑豊本線と篠栗線を中心に、筑豊・北九州地区の輸送を支え続けてきましたが、筑豊本線の一部と篠栗線が電化されることになり、2001年のダイヤ改正をもって30年弱も走り続けた地を去ることになりました。
筑豊・北九州地区で運用を終えたキハ66系は、この時点で新製から30年が経とうとしていました。しかし、機関換装などの改造工事からは10年も経っていなかったことと、まだ数多くのキハ40系をはじめとした国鉄形気動車が活躍を続ける中で、キハ66系を引退させ廃車にすることは考えられませんでした。また、キハ66系は一般形気動車としては破格の設備を備えていることから、JR九州はこれを活用しない手はないと考えたのです。
2001年のダイヤ改正をもって、キハ66系は直方を離れて新天地となる長崎鉄道事業部(旧長崎運転所)へ配置転換となり、佐世保線や大村線、そして長崎本線で快速列車や普通列車を中心とした運用に充てられました。また、すでにワンマン運転対応工事も受けていましたが、この配転によって新たに運賃箱や整理券発行機などが設置され、本格的にワンマン運転も始められました。そして、すでにこれらの路線で運用されていたキハ200系と同様に、塗装も順次「シーサードライナー」色と呼ばれる鮮やかな青色を基調とした塗装を身にまとうことになります。側面客室窓の下には白文字で大きく「SEA SIDE LINNER」のロゴ文字が書かれ、ドアは赤色になるなどイメージを大きく変えたのでした。
SEA SIDE LINER色となったキハ66系(写真AC)
また、沿線には観光地であるハウステンボスにへの輸送を担うことから、白を貴重に窓下腰板部をオレンジに、前面窓周りから下にかけては黒色に塗られた「ハウステンボス」色にも塗られ、この地で欠かすことのできない列車の運用にも充てられたのでした。
この間、JR九州の保安装置は、ATS-SKからATS-DKに更新されたことに伴い、車上装置もこれに対応したものに換装され、その後も長崎・佐世保地区を中心に運用されましたが、団体臨時列車に使われたりリバイバル列車としてかつての活躍の場であった北九州地区で運用されたりするなど、大いに活躍したのでした。
2014年になると、第二の住処であった長崎鉄道事業部長崎車両センターが、西九州新幹線の建設工事に伴い高架橋が建設されることから、佐世保地区に移転したため所属も佐世保車両センターへと配置換えになりました。
しかし、製造から40年以上が経過し、機関換装など改造工事を施されてからも相当な時間が経っていたこと、強出力エンジンを搭載し転換クロスシートを備えた一般形気動車としては泊の設備をもっていたことなどから重用されたこともあって老朽化が進み、佐世保転属の翌年である2015年に第4編成となるキハ66 4+キハ67 4が運用を離脱し、翌2016年に廃車・除籍となりキハ66系初の廃車がでました。
2020年になると、最新の技術を投じたディーゼルエレクトリック方式のYC1系が就役したことで、キハ66系の4編成が一度に廃車、さらに同年中には2編成も廃車となり、長年、全般検査などで検査や修繕などを受け車両の状態を保つ努力を続けてくれた小倉車両センターへ回送され、解体の運命を辿っていきました。
2020年から始まったキハ66系の運用離脱と廃車の動きは止まることはなく、同年12月には3編成が運用離脱してかつての住処であり運用の拠点だった直方車両センターと熊本車両センターへ疎開回送が行われ、事実上の運用離脱と廃車が前提となった保留車としてそのショッぐうが決まるまでの間、長きに渡って留置されることになります。そして、翌年3月には佐世保車セに配置したキハ200系が大分や熊本、鹿児島に配転されると、所要数が不足してしまったため2021年3月11日に直方と熊本に疎開留置されていた3編成が3月13日に再び佐世保に回送された上で運用に復帰しましたが、一時的な措置であったため長くは続きませんでした。
そして2022年以降、運用を離脱して疎開留置されていたキハ66系は次々に廃車となり、新製以来長らく全検などで整備を受け持っていた小倉総合車両センターに回送、 解体されてその姿を消してきました。
2023年には竹下駅で最後まで留置されていた車両も、小倉に廃車回送となり、系列消滅も眼の前に迫りましたが、その年の12月に小倉で普通鋼製の415系とともに撮影会に登場、国鉄色の第1編成とシーサイドライナー色の第3編成が、最後の花道を飾ることになりました。さらに2024年1月には「廃車解体直前撮影会」として再度その姿を見せ、多くの人のカメラに記録として収まったと思います。そして、この撮影会のタイトル通りに廃車解体が実施されれば、いよいよキハ66系は廃系列となり、1974年の新製以来50年、半世紀に渡る長い歴史に幕を閉じることになるでしょう。
登場時の国鉄気動車急行色に復刻されたキハ66系。屋根上にあった冷却装置やベンチレータはなく、スッキリとした印象になっている。(写真AC)
工業製品としてキハ66系を見た場合、50年というのは非常に長い期間に渡って運用され続けたことは、車両そのものが頑強につくられていたこと日常の保守管理を行う運転区所や、大規模な法定検査に携わった小倉総合車両センターの技術陣の高い技術力によるものといえます。民営化後に製作された新系列車両の平均寿命が20年程度であることが多いことを考えると、これは驚異的な長さであり、いかにして国鉄の車両設計が頑強な構造であったこと、実績と信頼性の高い機器を採用装備していたことの証左と言えるでしょう。
新幹線車両に匹敵する異例の接客設備をもち、強力なエンジンを搭載して、当時は非電化路線が多かった筑豊・北九州地区のローカル輸送に徹し、時には急行列車にも充てられたキハ66系は、多くの人々を運び続けました。ローカル輸送という地味な役回りは、華々しさこそないものの、地域の人々にとっては貴重な足であり、多くの人々を輸送したという実績を残しました。鉄道車両の重要な役割の一つとして、地域の人々を輸送し続けたことはキハ66系を語るうえでの功績であり、爆音を轟かせて走り続けた姿は永く刻まれ続けることでしょう。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
〈了〉
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