旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇を考える【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■2000年代以後、冷房能力の肥大化 これまで、国鉄時代から民営化直後の頃までの、鉄道車両の冷房化およびその装置の歴史についてお話してきました。1990年代には、JRと大手私鉄は冷房化率100%を達成する…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇を考える【6】

《前回からのつづき》 JR東日本やJR東海が小型軽量で簡易な工事で済む集約分散式冷房装置を用いたのに対し、JR西日本も集約分散式冷房装置を用いて冷房化を推進しました。しかし、JR西日本の場合、国鉄から継承した数多くの車両を当分の間も運用し続ける計画…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇を考える【5】

《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info ■非冷房車の冷房化が急がれた1990年代始めの頃 1960年代終わり頃から始められた鉄道車両の冷房化は、国鉄・私鉄ともに年を追うごとに進められていき、利用者はより快適な輸送サービスを享受することになりま…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■大手私鉄・通勤用車両の場合 特急用車両が接客サービスの面で冷房装置を装備するのが一般的になっていった一方、通勤用車両については国鉄と同様に後回しにされました。特急用車両は特急料金を徴収してい…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇【3】

《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info ■大手私鉄・特急用車両の場合 国鉄が優等列車で運用する特急形や急行形を中心に冷房装置を設置し、接客サービスの向上を図っていた頃、大手私鉄でも同様に優等列車として運用する車両を中心に冷房化が始めら…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇を考える【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄・JRの場合 国鉄が製造した多くの車両は、新製当初は非冷房のものがほとんどでした。特急や急行など、優等列車で使われた車両も、1960年代までは非冷房が当たり前だったのです。その状態に大きな変化…

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇を考える【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 ブログの原稿を書く中で、「こんなことを書いてみたい」とか「あの車両のことを書こうか」などと思い浮かべたり、構想したりすることがあります。また、一度は書き起こしてみたものの、途中で行…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info このブログでもお話しましたが、筆者は鉄道職員として貨物会社に採用されると、すぐに九州支社勤務を命じられて赴任しました。月に2回は会社から帰郷が許され、旅費も支給されたので、この時とばかりに門…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、筆者は一度だけ、この業務用室を利用したことがあります。 中学生だったか小学生だったか、細かいことは忘れてしまいましたが、祖父に連れられて妹と九州旅行へ行くのに新幹線に乗っていたとこ…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 東海道新幹線が開業してから8年後の1972年に、山陽新幹線が岡山まで開業しました。東海道新幹線を延伸する形で、国鉄の路線名称では新大阪−新神戸間が東海道本線の、新神戸−岡山間が山陽本線の無名別線と…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、新幹線で食事をしたことがあると話すと、「弁当を食べたの?」と言われます。いえ、弁当なら今でも新幹線に限らず、在来線の列車でも食べることができます。そうではなくて、新幹線に「…

令和の春に静かに退いていった営団7000系【3】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2008年に副都心線は、池袋−渋谷間が開業しました。この間、帝都高速度交通営団は2004年に民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となり、7000系の前面貫通扉や車体側面の客室窓上に取り付けられてい…

令和の春に静かに退いていった営団7000系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 7000系は1974年の有楽町線開業により、計画通りに営業運転に使用開始されました。有楽町線のラインカラーはゴールドでしたが、7000系にはその近似色となる黄色の帯が巻かれていました。 開業当初の有楽町…

令和の春に静かに退いていった営団7000系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 このブログでも、何度かお話してきましたが、当たり前だった光景が気がつくとすっかり様変わりしていた、ということは数多くあるかと思います。 筆者も、4月の人事異動で東横線沿線にある職場に…

「前照灯」と「前部標識灯」とどっちが正しい?

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道マンになった頃、新鶴見機関区で機関士として電機に乗務する先輩から、こんな話をきいたことがあります。 「夜に事故を起こした時には、警察からも話を聞かれる。その時に、『前灯』…

この1枚から 随一の「強運」持ち主 半世紀近くを走り続ける東急8000系〔2〕

《前回のつづきから》 8039Fは大規模な更新工事を施されることはありませんでしたが、前面に赤帯が入ったことの他に、細かいながらも時代に合わせた改造が施されました。中でも最も大きかったといえるのが、1997年までに施工された運転台機器の取り替えです…

この1枚から 随一の「強運」持ち主 半世紀近くを走り続ける東急8000系〔1〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いまから30年以上も前のことですが、高校時代は東横線を使って通学していました。当時、公立の普通科高校は学区が定められていて、よほど特別な事情がある場合を除いて、越境をすることができま…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔4〕

《前回のつづきから》 往路に貨物を積んだコンテナを、復路にも貨物を積もうとするものです。あたりまえのようなことですが、これがなかなか難しかったようで、筆者も鉄道マン時代に駅に到着した空コンテナをコキ車から降ろしている作業を何度も見たことがあ…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔3〕

《前回のつづきから》 1990年代はじめのバブル経済崩壊と、その後の景気低迷は鉄道貨物輸送にも大きな変化をもたらしました。不景気により生産活動も低下し、コスト削減を目的に生産拠点を国外へ移す企業も続出し、かつてのような需要もなくなって貨物輸送量…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔2〕

《前回のつづきから》 1987年の国鉄分割民営化によって、鉄道貨物輸送を継承したJR貨物は、引き続き車扱貨物のコンテナ化を推進していくことになります。しかし、すべての貨物をコンテナ化することは叶いませんでした。そのため、国鉄から継承した物資別適合…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔1〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代の貨物輸送といえば、ほとんどが運ぶ貨物に特化した貨車が運用されていました。物資別適合貨車と呼ばれるもので、例えば液体や粉体を運ぶタンク車や、粒体などを運ぶホッパ車など、多種…

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」〔2〕

《前回のつづきから》 デハ3500は電装品をはじめとした機器類だけでなく、車体もまた時代とともに大きく変化していきました。 登場時はよくある私鉄旧型電車の体裁で、丸みを帯びた折妻に近い意匠の非貫通前面と、丸屋根をもつシル・ヘッダー付きの車体でし…

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」〔1〕

《前回のつづきから》 多摩川園駅は島式1面と相対式2面のホーム構成で、東横線の上り線と目蒲線の下り線がそれぞれ相対式ホームを使い、東横線の下り線と目蒲線の上り線が島式ホームを使っていました。そのため、渋谷方面から蒲田方面へ、あるいはその逆に乗…

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者の住まいからほど近い元住吉の車庫(元住吉検車区)には、数多くの車両が並んでいます。東急電鉄の5050・5070系をはじめ、東京メトロの17000系、東武9000系など、自社、乗り入れ他社局の車…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【4】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2000年代に入っても、東武は吊り掛け駆動車である5000系を運用し続けていました。冷房装置もなく、走行するときのモーター音も大きく、そして振動も激しいこの古い車両を長年大切に使い続けてきましたが、さ…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【3】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 1985年から6000系を更新する形で登場した6050系は、種車となる6000系が運用を離脱した順で施工されていきました。そのため、一時は6000系と併結運転をする姿も見られたようです。 一方で、更新工事を進めて…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【2】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 一方では鬼怒川線から新たに開業する野岩鉄道、さらには会津鉄道への直通運転が計画されていました。特に野岩鉄道は奥鬼怒川から会津までを結ぶ路線であるため、多くの長大トンネルが存在することになってい…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 子どもの頃から鉄道が好きな筆者は、鉄道模型にも憧れを抱いていました。なにしろ、駅や線路際まで行かなければ見ることのできない鉄道車両が小さくなって、手許のテーブルや座敷の上で走る姿を…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年の分割民営化では、ED76 500番代はJR北海道に継承され、岩見沢第二区を引き継いだ空知運転所配置となって、引き続き函館本線電化区間の客車列車を牽いていました。 しかしながら、分割民営化直後にJ…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道専用交流電機として、ED75 500番代の試作の後、量産形式として登場したED76 500番代は1968年から製造が始められました。同じED76という形式を名乗っていても、制御装置にはサイリスタ位相制御を採用…