旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【11】

瀬野八の急勾配を越えるため、国鉄は再びEF60形に手を伸ばした。選ばれたのは第5次車。大型緩衝器、密着連結器、貫通扉、そして異例の赤11号塗装——。広島工場の現場力が、補機専用機EF67形を生み出した。たった3両で22両のEF59形を置き換えたその裏には、チ…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【10】

急勾配・瀬野八に挑むため、国鉄が選んだのは“電機子チョッパ”という異端の技術だった。高価で採用例も少ない中、なぜEF67形に導入されたのか——。空転を防ぐ滑らかな電圧制御、回生ブレーキによる省エネ、そして種車の主電動機を活かす合理性。すべては、単…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【9】

財政難、老朽化、そして技術的限界——。瀬野八の急勾配を支えてきたEF59形の後継機を巡り、国鉄は苦悩していた。新製もままならぬ中、再び改造に活路を見出す。選ばれたのは、経年浅きEF60形第5次車。広島工場の現場力が、国鉄唯一のチョッパ制御機・EF67形を…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【8】

かつて“失敗作”と呼ばれた機関車がいた。クイル式駆動の故障に悩まされ、運用から外されたEF60形。その一部が改造され、形式を変えてEF61形200番台として瀬野八の補機に甦る。だが、過酷な運用と時代の変化は容赦なかった。新型EF67形100番台の登場により、…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【7】

高出力を武器に、EF59形の後継として瀬野八に挑んだEF61形200番台。しかし、その力は時に制御を超え、重連運用では座屈脱線の危険を孕んだ。重連禁止、単機限定──期待は制約へと変わり、改造計画も次々と白紙に。それでも、緩衝器とデッキを備え、安全対策を…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【6】

1977年、瀬野八に現れた新鋭・EF61形200番台。高出力の主電動機を武器に、老朽化したEF59形の後継として期待された。しかし、重連運用でその力が裏目に出る。本務機と補機が別々に操作される“後補機運用”では、わずかな操作のズレが列車全体に大きな力を加え…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【5】

老朽化が進むEF59形に代わる“救世主”として登場したEF61形200番台。単機で1200トンを押し上げる力を託された新鋭機は、クイル式駆動という新技術を背負って瀬野八へ挑んだ。しかし、その構造は砂塵に弱く、異常振動と騒音を招く欠陥を抱えていた。貫通扉の設…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【4】

戦前製の省形電機が、瀬野八の急勾配に挑むために生まれ変わった──EF59形。走行中解放、空気管付き密着連結器、警戒色の塗装…すべては“押して、離れる”ための工夫だった。老朽化と戦いながらも、後継機の登場を待ち続けた古豪たち。ついにEF67形が現れ、EF59…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【3】

瀬野八──25パーミル、10kmの急勾配。そこに挑んだのは、旧型電機から生まれ変わったEF59形。走行中に解放される補機という異例の運用に応えるため、空気管付き密着連結器、自動解錠装置、そして警戒色の塗装まで施された。視認性、保安性、すべては“安全に押…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【2】

戦前の名機EF53・EF56形が、再び脚光を浴びた。舞台は山陽本線最大の難所・瀬野八。急勾配に挑むため、彼らはEF59形として生まれ変わった。新造ではなく、改造という選択。歯車比を変え、引張力を高め、走行中解放装置まで備えたその姿に、技術者たちの執念…

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【1】

明治の鉄道建設に立ちはだかった中国山地の峠、瀬野八。急勾配22.6パーミル、10kmに及ぶ難所に、なぜ鉄路は挑んだのか。軍部の意向、建設コスト、そして技術者たちの葛藤。補機を連結し、煙を上げて峠を越える列車たち。そこには、国を支える輸送の使命と、…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも、川崎市は災害廃棄物輸送用に保有するコンテナを被災地に貸し出しました。また、2016年4月14日に発生した熊本地震でも、同様に災害廃棄…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【7】

「ゴミを鉄道で運ぶなんて非常識」――そう言われた時代に、川崎市は挑んだ。生活廃棄物の鉄道輸送「クリーンかわさき号」は、環境負荷を減らし、災害時には被災地支援の要にもなった。静脈物流という新たな道を切り拓き、30年。今やその意志は東京にも広がり…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【6】

たった23km、わずか30分の運行時間。それでも「クリーンかわさき号」は、都市の環境と鉄道貨物の未来を背負って走り続けた。機関車はEF65からEF210へ、積荷は焼却灰からプラ容器へ。変わりゆく時代の中で、列車もまた姿を変えながら、川崎の空を守り続けてき…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【5】

1995年10月、日本初の生活廃棄物輸送列車「クリーンかわさき号」が走り出した。川崎市が開発した専用コンテナと、JR貨物・JR東日本・神奈川臨海鉄道の連携によって実現した前例なき挑戦。ダイヤ設定、機関車運用、臭気・飛散対策…数々の壁を越え、EF65形1065…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【4】

生活廃棄物を鉄道で運ぶ――その挑戦に、川崎市は自らの名を冠した専用コンテナを用意した。UM11A・UM12A形、1000番台の番台区分、そして市章と「キレイクン」。それは単なる輸送容器ではなく、市民の信頼と税金を背負った“公有資産”だった。誤積防止、紛失対…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【3】

「ゴミを鉄道で運ぶ? 冗談じゃない」――JR貨物が難色を示す中、川崎市は語った。「私たちには技術がある」と。し尿収集車、スクリュードラム車…衛生輸送の先駆者としての誇りが、前例なき鉄道輸送への扉を開いた。悪臭も飛散も許さぬ専用コンテナUM11A・UM12…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【2】

「ゴミを鉄道で運ぶなんて非常識だ」――誰もがそう信じていた時代、川崎市は生活廃棄物の輸送に鉄道を選んだ。渋滞、排ガス、人件費…都市が抱える課題を前に、鉄道貨物の常識を覆す挑戦が始まる。JR貨物の反発、専用コンテナの開発、前例なき交渉の末に、「ク…

走り続けて30年 「静脈物流」という新たなカテゴリーを生み出したゴミ列車・クリーンかわさき号【1】

1995年、JR貨物が家庭ゴミを鉄道で運ぶ――その報せは、鉄道貨物の常識を覆す衝撃だった。原材料や製品を運ぶのが当たり前だった鉄路に、廃棄物が乗る。誰もが不可能と考えた構想は、幾多の課題を乗り越え、やがて「クリーンかわさき号」として走り出す。鉄道…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【18】

国鉄末期、余剰となった郵便・牽引車が、1M方式という異色の構造で旅客車へと再生された――123系。改造から30年以上、老朽化と部品枯渇の波にさらされながらも、山口の地で今なお現役を貫く。瀬戸内色に染まり、地域の足として走り続けるその姿は、国鉄が遺し…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【17】

国鉄の牽引車が、民営化の波に飲まれながらも旅客車として再生された――クモハ123形600番台。冷房化、ワンマン化、幌付き貫通扉…度重なる改造を経て、富士の麓を黙々と走り続けた。静かなる功労車は、20年の時を経て、誰にも知られずその使命を終えた。だが、…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【16】

クモハ123形600番台は、牽引車クモヤ145形を種車として1988年にJR東海が改造・登場させた1M方式旅客車です。主電動機はMT46形を再利用し、発電・抑速ブレーキは未装備。検査体制の合理化とコスト削減を目的に、編成単位での運用管理へ移行した結果、牽引車の…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【10】

《前回からのつづき》 広島工場でクモハ123形の2〜4号車が改造が進められていたのと時を同じくして、もう2両のクモニ143形が吹田工場で旅客車化の改造が進められていました。この2両は落成後に5・6号車となりますが、1〜4号車が種車の構造をすべて改めて旅客…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【9】

《前回からのつづき》 クモハ123-1が長野工場で落成した同じ頃、広島工場(後のJR貨物広島車両所)では同じくクモニ143形を旅客車へ改造する工事が進められていました。クモニ143形の2~4号車の3両が、長野工場で進められたクモハ123形への改造を受けていた…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info クモハ123形の走行に必要な機器は、種車のクモニ143形のものを活用しました。 主制御器は電動カム軸式のCS44形で、この制御器は力行時に直列11段、並列13段、弱め界磁4段の計28段、発電ブレーキ20段の回路…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 長らく続けられてきた、鉄道による郵便・荷物輸送は、1980年代に入ると合理化の対象になっていきました。手小荷物輸送は、1970年代終わり頃に始まった宅配便に押されてしまい、輸送量は減少の一途を辿って…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【7】

《前回からのつづき》 長らく中央本線は塩尻峠を避けて南に遠回りするルートを走ってきましたが、辰野回りのルートは川沿いを走るためカーブも多く、列車は速度の制限を受けながら走らざるを得ませんでした。 しかし、線形が悪く速度制限が多くあるというこ…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1980年代に入ると、これまで何度もお話してきたように、国鉄が抱える巨額の債務が社会問題となっていきました。国家予算に近い巨額な債務は、文字通り国鉄の財政事情は火の車となっていて、これを解消する…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄は、自らが所有する荷物車や郵便荷物車は、新性能電車の登場で余剰化した72系を改造することで賄いました。旧性能電車であれば、もともとが1Mシステムであるので、用途に合った車体に載せ替え設備を整…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 「魔改造?」出自が変わり種で国鉄最初で最後の1M方式旅客電車・123系【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 旧形国電時代のように、電動車1両単位でも運用できる新性能電車、いわゆる1M電車は、国鉄時代は長らくつくられることはありませんでした。 その理由として、1M電車を運用する線区が限られていたことです。…