旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道

この1枚から 東急大井町線の8090系・晩年の頃【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 8090系はもともと東横線に、8000系の改良型となる日本初の軽量ステンレス車として1980年に登場しました。航空機の設計手法を応用し、車両重量を軽減することに成功し、ステンレス車=コルゲート板という常…

この1枚から 東急大井町線の8090系・晩年の頃【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近は国鉄・JRネタを多く取り上げていたため、地元の私鉄の話題はすっかりとご無沙汰しておりました。ついこの間のこと、秋に予定しております校外学習の下見で久しぶりに鉄道を使って移動しま…

この1枚から 民営化で自由度が増した車両設計・811系【3】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 筆者も1991年に貨物会社に採用され、すぐさま九州支社勤務となり、研修とはいえ約1か月間を福岡貨物ターミナル駅で勤務したので、会社が用意した寮のある門司からは鹿児島本線の列車に1時間以上乗って通って…

この1枚から 民営化で自由度が増した車両設計・811系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 811系は1989年から製造されました。車体は当時、鉄道車両では当たり前になっている軽量ステンレス車体として、車体重量を415系などと比べて大幅に軽減させました。車体の重量が減るということは、使用する…

この1枚から 民営化で自由度が増した車両設計・811系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代は車両の設計をするにあたって、いくつかの制約がありました。全国あまねく鉄道網を築いている国鉄は、地域ごとの事情はあまり考慮されず、とにかく全国どこでも使うことができることを…

この1枚から 廃車前提の休車となったEF65 1078最後の姿【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info さて、今回の写真は新鶴見機関区の倉線(機関庫)に留置されたEF65 1078号機です。 新鶴見機関区には数多くの線路が敷かれていますが、写真のこの場所はちょうど運転庁舎から鹿島田跨線橋の方へと伸びる構…

この1枚から 廃車前提の休車となったEF65 1078最後の姿【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 どのようなものでも当てはまりますが、使い続ければ必ずいつかは壊れてしまいます。壊れなくても、当初の性能を維持することが難しくなり、次第に使いにくくなっていくこともあるでしょう。 そ…

仕事(?)も兼ねて南武線集約臨を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 学校生活の中で、行事と呼ばれる活動は子どもたちにとって楽しみの1つだといえます。運動会や学校祭など、規模の大きな行事は多くの方が経験してきたことだと思います。これら一見するとイベン…

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 国鉄の分割民営化が具体的になった頃、1037号機に大きな転機が訪れます。1986年のダイヤ改正では、翌年に控えた新会社への移行を見据えた大規模な車両の配置転換が行われました。1037号機もその対象となり…

臨貨の「金太郎」を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者の仕事柄、平日に有給休暇を取ることは非常に難しいものがあります。まあ、自分で選んだ仕事なので仕方がありませんが、土曜日が課業日にならない限りは、平日に鉄活をすることは非常に稀で…

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 上越線での活躍は、1037号機にとってはうってつけの役目だったといえるでしょう。それまで上越線の貨物列車の先頭に立っていた500番代F形は、特急貨物列車を牽くための特殊装備はもっていたものの、基本的…

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 EF65 1000番代PF形は、今となっては貴重になりつつある国鉄形電機です。”国宝”とまでいわれるようになったEF66 27号機に比べれば、まだまだ現役で走り続けている車両も多いのでその域とはいきま…

日鐵ロンチキを捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近は、工臨と呼ばれる臨時工事列車が関心を集めているようですが、「工事列車」と呼ばれるだけあって、旅客会社が自ら使用するレールや砕石を、自社の貨車と機関車で運ぶことが目的です。 そ…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1070号機は1976年に落成すると、新鶴見機関区に新製配置されました。既にこの頃には新鶴見に旧型電機の配置はなかったと考えられるので、1070号機を含む第6次車を新製配置し、その押し出しでEF65の0番代な…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 小学校4年生の頃、家から歩いていくことができた新鶴見機関区に、カメラを片手に訪れたことがありました。このブログでもお話させていただいたことがありますが、今では小学生が一人でJRの運転…

「金太郎」一次形を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、東北本線から北海道へ渡る貨物列車は、最低でも3つの駅で機関車の付け替えをしていました。黒磯駅では直流機からED75へ、東青森ではED75から海峡線線用のED79へ、そして五稜郭ではED79…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 特筆されるのは、オユ10やオユ12といった郵便車にも、この構造が使われたことでしょう。これら郵便車は、国鉄に車籍を置く客車ですが、所有は郵政省のものです。製造のための予算も国鉄のものではなく、郵…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両というのはとかく重量が嵩んでしまうものです。それは、車体や台枠を構成する材料であったり、内装に使われる部材であったり、あるいは乗客が快適に旅行するための設備であったり、実に…

東京タ-隅田川・シャトル便を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 本日は、土曜日にお仕事だったため振替休日です。コロナ禍前は運動会や秋の行事など、土曜日が課業日というのがそれなりにあったのですが、いまはそのどちらも中止のままなので、月曜日に休日と…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところが、山陽新幹線は東海道新幹線と直通で運転されていますが、その環境は全く異なるものといっていいでしょう。岡山や広島、小倉、博多と大都市を結んではいますが、大阪対山陽・九州と大阪対東京では…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 前回に続いて今回もキハ40系のお話です。 国鉄から各旅客会社が継承した気動車の中で、最も数が多かったのがキハ40系でした。1977年から1982年にかけて888両という大量に製造された一般形気動車…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 札沼線もまた、そのような路線の一つでした。いえ、正確には札沼線は札幌都市圏を走る札幌ー石狩当別間はそれなりの需要があります。しかし、末端区間と呼ばれる石狩当別ー新十津川間は極端に利用者が少な…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。 国鉄が生み出した…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【終章】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、キハ35系は気動車としては異色の存在だといえるでしょう。 そもそも気動車は非電化の鉄道路線で運用することが前提です。非電化ということは、ごく一部の例外を除いて電化するほど輸送量が多く…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 房総半島の、とりわけ内房線の電化が比較的遅かった理由の一つとして、君津市の鹿野山にある国土地理院鹿野山測地観測所の存在があったと考えられます。鹿野山の測地観測所では、地磁気の観測を行っていま…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 首都圏のJR線は、今でこそそのほとんどが電化されたり、あるいは蓄電池車に置き換えられたりしましたが、国鉄が分割民営化された1987年には非電化のままだった路線がいくつかありました。 例え…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年…