旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

気動車

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「南紀」への運用拡大とその終焉 同じJR東海が運行する名古屋発着の南紀方面の優等列車である特急「南紀」もまた、国鉄から継承したキハ80系によって運行されていました。 特急「南紀」の歴史は意外…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「ひだ」への投入 1989年に登場したキハ85系は、名古屋−富山間を高山本線経由で結ぶ「ひだ」3・6号の運用に充てられました。最初は1往復のみの運用でしたが、すぐに増備車も登場して、翌1990年にはす…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■接客設備も大きく変わったキハ85系 キハ85系は客室の設備も大幅に変わりました。 特急列車は多くの人が長距離・長時間の乗車をする傾向があります。座席の座り心地が悪くては、せっかくの新型車両も評価…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高効率エンジンDMF14と新型特急用気動車の登場 1989年に登場したキハ85系は、JR東海の経営方針や運用する線区の実態に最適化され、国鉄時代とはまったく異なる設計思想で開発された特急用気動車でした。 …

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄分割民営化による鉄道用ディーゼルエンジンの転機 1987年の国鉄分割民営化は、国鉄が脈々と受け継いできたあらゆることに大きな転機をもたらしました。列車の運行形態やサービス面で、利用者の目にわ…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■新たな高出力エンジンへの再挑戦 キハ60とDMF31HSAの失敗によって、いましばらくはDMH17系を使い続けることを余儀なくされたかに見えましたが、国鉄は気動車用の強力エンジンを諦めることはなく、さらな…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高出力エンジン開発への挑戦と失敗 国鉄は1960年にキハ60系と呼ばれる準急用気動車を試作しました。 このキハ60系は、国鉄が悲願としていた大出力エンジンの試作車で、車体外観は既に量産されていたキハ5…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 気動車というと、鈍重で加速力に乏しく、最高運転速度も電車より低いものだという印象をもっているのは、おそらく国鉄時代に造られた車両を知る筆者と同じ年代の方や、諸先輩方ではないでしょう…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道に残ったキハ143は、室蘭本線での運用を続けていましたが、こちらも後継となる737系の新製増備に伴って、運用を終了するアナウンスがされました。もともと、キハ143が運行されていた室蘭本線室蘭−東…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2012年の札沼線電化開業と、それによる電車への置き換えにより多くの車両が運用を失い、廃車あるいは海外へ譲渡されていったキハ141系ですが、国内の鉄道事業者に譲渡された車両もありました。 譲渡先はJR…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ143とキサハ144に装備されたN-AU26は、国鉄末期に採用された気動車用の冷房装置でした。元をたどるとデンソー製のバス用機関直結式クーラーで、国鉄が独自に開発したものではない、いわゆる民生品を使…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 札沼線沿線はベッドタウンとして開発が続き、沿線の人口も増加し続けていました。そのため、ラッシュ時には混雑が激しくなり、多くの乗客を乗せたことで車両の重量も増したため、強力なエンジンを搭載した…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ141系は、余剰となった50系51形客車を改造の種車としました。50系51形は製造から長くて10年強、短いものでは10年に満たないなど車齢は若く、状態もそれほど悪くありませんでした。そして、かつてのキ…

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両がその使命を終えたとき、その多くは廃車手続きがとられて車籍が抜かれた後、解体処分されます。新製から相当の年月、少なくとも数回の全般検査を受けて20年程度、長い場合は40年以上も…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【終章】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■21世紀に入ってもなお現役のDMH17 国鉄、私鉄問わず広く採用されたDMH17ですが、最後に新製されたのは小湊鐵道のキハ200でした。1977年に製造されたキハ213・214がそれで、国内向け気動車としてDMH17搭載…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【8】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634(つづき) 国鉄・JR時代はあまり注目されることのない地味な存在でしたが、全国に数多くいた僚機が次々に姿を消し、キハ58系として数少ない存在担った頃から注目…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【7】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634(つづき) キハ28 2346は、1964年に帝国車両でキハ28 346として落成、4月15日付で米子機関区に新製配置されたものの、5月24日付で新潟機関区へ配転になり、さら…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634(つづき) 健康被害を及ぼすアスベストを多用したキハ58系は、車両の検修に携わる職員だけでなく、乗務員や乗客にも健康に悪影響を及ぼすとされ、可能な限り新系…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634 DMH17系エンジンを搭載した気動車は、キハ10系に始まりキハ20系、準急形として製造されたキハ55系、さらに急行形であるキハ58系とその派生型、さらには特急形の…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■急行形気動車の決定版キハ58系 キハ58系もまた、DMH17を採用しました。というよりは、ほかに使えるエンジンがありませんでした。しかし、キハ58系は急行用として運用することが前提であるため、キハ55系…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄の悲願 初の実用ディーゼルエンジンDMH17 DMH17の実用化は、国鉄にとって悲願ともいっても差し支えないと考えられます。年々老朽化していく蒸機の置き換えと、動力近代化による無鉛化の推進は、国鉄…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■ガソリンカーの悲劇から生み出されたDMH17 ガソリンエンジンであるGMH17を搭載したキハ42000は、1935年から62両が製作されました。車体は空気抵抗の軽減と、当時の流行を取り入れた流線型の前面をもちま…

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2023年に入って早くも1月が終わりに近づきつつあります。時が経つのは本当に早いものですが、齢を重ねるとその時間の経ち方は、若い頃に比べて本当に早く感じてしまうものです。それは、きっと…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところが、山陽新幹線は東海道新幹線と直通で運転されていますが、その環境は全く異なるものといっていいでしょう。岡山や広島、小倉、博多と大都市を結んではいますが、大阪対山陽・九州と大阪対東京では…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 前回に続いて今回もキハ40系のお話です。 国鉄から各旅客会社が継承した気動車の中で、最も数が多かったのがキハ40系でした。1977年から1982年にかけて888両という大量に製造された一般形気動車…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 札沼線もまた、そのような路線の一つでした。いえ、正確には札沼線は札幌都市圏を走る札幌ー石狩当別間はそれなりの需要があります。しかし、末端区間と呼ばれる石狩当別ー新十津川間は極端に利用者が少な…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。 国鉄が生み出した…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【終章】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 房総半島の、とりわけ内房線の電化が比較的遅かった理由の一つとして、君津市の鹿野山にある国土地理院鹿野山測地観測所の存在があったと考えられます。鹿野山の測地観測所では、地磁気の観測を行っていま…