旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄形車両

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【21】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF63形は急勾配区間だけで運用することを前提としていた特殊な専用機であるため、特にブレーキ装置にはこの形式でしかないものを装備していました。常用ブレーキにはEL14AS形自動空気ブレーキを装備してい…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【20】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 前面窓上には前部標識灯となるシールドビーム灯をそれぞれ1個ずつ設置し、後部標識灯も左右1個ずつ前面腰部に設置していました。試作機と1次車、2次車では内ばめ式の、3次車では外ばめ式の標識灯が採用さ…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【19】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ◆碓氷峠最後の補機 特殊装備を満載したEF63形 信越本線の碓氷峠区間を、従来のラック式運転の時代から、特殊な装備を持った補助機関車が不可欠でした。特に登坂時には補機による強力なトルクを、降坂時に…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【18】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 東海道本線・山陽本線でのEF62形の活躍は、3年ほどで幕を下ろすことになります。1986年に実施された国鉄最後のダイヤ改正で、荷物列車そのものが全廃になってしまったのでした。これによって、下関配置のE…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【17】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF62形は信越本線の客車列車や貨物列車の本務機として運用することが前提とした電機で、特に客車列車は冬季の暖房用熱源を機関車から供給する必要がりました。EF62形が登場した1962年は、本州で運用されて…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【10】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年に製造されたキハ54形は、JR北海道とJR四国にとって貴重な戦力として走り続けています。新製以来、すでに39年という長い年月が経っていますが、軽量ステンレス車体は冬季の厳しい気候や、海沿いを走…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【9】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2003年になると、主要機器の更新工事が施工されました。もともとキハ54形は車体やエンジンを除いて、多くの機器を廃車となった車両から発生したものを再利用していました。国鉄末期にすでに破綻した状態の…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【8】

《前回からのつづき》 北海道向けに製造された500番台は、四国の配置された0番代と異なりました。0番代が松山運転所に集中配置されたのに対し、500番台は旭川、苗穂、函館、釧路の4つの区所に分散配置されたのです。これは、北海道が四国と比べて広大であり…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年から1987年、すなわち国鉄の最末期に、キハ54形は0番台12両と500番台29両、合計で41両が製造されました。JR北海道とJR四国が国鉄から継承した気動車の数からすると、かなりの小所帯(キハ40系:JR北…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 北海道で使うことを前提とした極寒地仕様の500番台は、暖地仕様の0番台とは大幅に設計が異なりました。なにより、冬の北海道は気象条件が非常に厳しく、気温は0度以下になることも多々あり、そして何より…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 0番台には冷房装置も設置されました。従来、国鉄の気動車は急行形や特急形といった優等列車に使う車両に装備され、ローカル運用が主体の一般形や通勤形には設置されませんでした。しかし、私鉄の多くが一…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 車体も従来の国鉄形気動車とは一線を画する新機軸が導入されます。 キハ54形が開発された1986年には、国鉄もオールステンレス車の導入を本格的に進めていました。従来、オールステンレス車は東急車輛が親…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ54形を製造するにあたって、コストを可能な限り抑えることが重要視されたといえます。10年前の1970年代であれば、「必要だから」という理由で鉄道債券を発行し、借金をしてでも目的に合わせた車両を設…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 地方のローカル線の多くは、沿線の人口が少ない過疎地域であり、そこに走る鉄道は輸送量が低いため、設備投資の大きい電化工事がされることなく、非電化の路線が数多くあります。特に北海道や四国、九州で…

Column:「銀釜」よ永遠に EF81 303の引退に寄せて〔後編〕

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 幡生操ー門司駅間を走る貨物列車は、EF81形が重連で牽いていました。これは、関門トンネルの勾配が20〜25パーミルと険しく、万一トンネル内で列車が停止したときに、1000トンから1200トンの列車を引き出す…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて、日本の全国津々浦々で陸上交通を支えてきた日本国有鉄道、国鉄が分割民営化されてから35年以上が経ち、2年後の2027年には早くも40年が経とうとしています。民営化後に設立された旅客会…

Column:「銀釜」よ永遠に EF81 303の引退に寄せて〔前編〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先月の半ばごろより、当ブログは毎週火曜日と木曜日、そして土曜日に更新しております。これに加えて不定期になりますが、日曜日にコラムを投稿することにいたしました。鉄道職員時代の回顧録な…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 進駐軍のゴリ押しでつくらされた大型冷蔵車・レキ1形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄の杞憂も他所に、一気に250両という数が製造されたレキ1形ですが、登場後、早くも持て余されるようになりました。最大の難点はやはりその大きさで、冷蔵車を利用する荷主のニーズ、すなわち輸送単位に…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 進駐軍のゴリ押しでつくらされた大型冷蔵車・レキ1形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄が「日本の実態に合わない」と反対しながらも、GHQは大型冷蔵車製造の方針を変えることはありませんでした。それどころか、当時の国鉄は新型車の開発製造はもとより、ダイヤ編成などといった事業全般…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 進駐軍のゴリ押しでつくらされた大型冷蔵車・レキ1形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 膨大な数の連合国軍将兵が日本に進駐し、それまで旧軍の基地や施設などは連合国軍に接収されていきます。中には民間の施設すらも接収の対象になり、最も有名なのは東京都千代田区の皇居前にある第一生命ビ…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 粗製乱造、戦時設計 戦時輸送という宿命を背負った3軸無蓋車・トキ900形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1945年に第二次世界大戦が終結すると、トキ900形の命運は一転していきました。戦時中は最大の積載量を誇る汎用無蓋車として重用されたものの、戦時設計という簡素かつ粗雑な設計だったこと、戦時輸送で酷…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 粗製乱造、戦時設計 戦時輸送という宿命を背負った3軸無蓋車・トキ900形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info トキ900形は30トン積み無蓋車として、1943年から製造されました。それまでの無蓋車は2軸車が基本で、多くは17トン積みトラ級で、1941年に製造されたトラ5000形はあおり戸を含めて鋼製だったのを、同じ1941…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 粗製乱造、戦時設計 戦時輸送という宿命を背負った3軸無蓋車・トキ900形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 この記事を書いている時点で、2024年も残すところあと僅かとなってしまいました。毎年のことですが、12月も半ばに差しかかる頃になると、1年というのは本当に早いものだと感じさせられます。 と…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 貨車か気動車か、気動車か貨車か 有蓋車にエンジンをつけた気動貨車・キワ90形【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 製造から10年も経っていない1960年代後半頃になると、キワ90形は半ば余剰車のような扱いをされてしまいました。1969年には2両つくられたキワ90形のうち、キワ90 2が郡山工場へ送られて事業用車への改造を…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 貨車か気動車か、気動車か貨車か 有蓋車にエンジンをつけた気動貨車・キワ90形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1960年に2両が製造されたキワ90形は、宮崎機関区に新製配置されてさっそく試験運用に供されました。実験の対象になったのは妻線で、日豊本線の佐土原駅から別れ、杉安駅までの19.3kmのローカル線でした。 …

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 貨車か気動車か、気動車か貨車か 有蓋車にエンジンをつけた気動貨車・キワ90形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キワ90形は形式名が示すように、気動車として分類された有蓋車でした。つまり、郵便・荷物輸送を担う郵便車や荷物車、そして事業用車を除いて、旅客を乗せないで貨物を載せる気動車でした。 車体は連結面…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 貨車か気動車か、気動車か貨車か 有蓋車にエンジンをつけた気動貨車・キワ90形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 第二次世界大戦が終戦した後、国鉄は輸送量が大幅に増加していることに苦慮していました。当時の動力車の主役だった蒸機は石炭を燃料にしていましたが、戦後の混乱で燃料事情は悪化しつつあり、特に国内で…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 貨車か気動車か、気動車か貨車か 有蓋車にエンジンをつけた気動貨車・キワ90形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道が陸上交通の主役であった時代、国鉄はもちろんのこと、多くの私鉄でも貨物輸送が行われていました。例えば北関東に広大な路線網をもつ東武鉄道は、栃木県南部の佐野市にある葛生駅から多く…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 発想はよかったけど貨物を「割っちゃった」無蓋車・トキ800000【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info トラックでも運ぶことが難しいとされた大型板ガラスを長距離輸送できる貨車として、関係者の期待を背負って登場したものの、連結器の緩衝器の性能不足が仇になって使用停止の憂き目に遭うのは、まさに不運…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 発想はよかったけど貨物を「割っちゃった」無蓋車・トキ800000【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 車体側面にはプレス鋼板製のあおり戸も設けられたことも、無蓋車としての体裁を成していました。とはいえ、魚腹形の台枠にデッキのある外観は、無蓋車としては特異なものであったことは間違いなく、加えて…