旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄形車両

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【13】

203系は国鉄の苦境の中で生まれ、民営化の波を越えてJR東日本に継承された“置き土産”だった。電機子チョッパ制御とアルミ車体という新機軸を導入し、営団の要請に応えた技術者たちの誇り。2011年、最後のマト55編成が退き、29年の歴史に幕を下ろす。交換部品…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【10】

203系は、快適性と省エネ性能を両立した通勤形電車として誕生。暖色系の内装、冷房装置AU75G形、そして乗客に優しい座席配置――すべては“新しい国鉄”を印象づけるためだった。しかし、財政難の国鉄にとって高価なチョッパ制御とアルミ車体は重荷となり、1985…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【7】

地下鉄の過酷な環境に挑むため、国鉄は203系を開発。高回転・高出力のMT60形主電動機とCH1A形チョッパ制御装置を搭載し、加速性能を重視した歯車比で地下鉄仕様に最適化。回生ブレーキの強化、軽量台車の工夫、そしてアルミ車体による軽量化――203系は、技術…

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【2】

戦後の首都圏では通勤混雑が深刻化し、国鉄は「通勤五方面作戦」で抜本的な輸送力強化に挑んだ。吊り掛け駆動の旧型車両から新性能電車への転換、複々線化や地下新線の建設により、中央・総武・常磐線などで快速と各停を分離。千代田線の開業も含め、通勤地…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【6】

《前回からのつづき》 JR九州が発足した後、継続して改造製作されたHk205編成以降は、僅かに仕様が変えられました。戸袋窓を廃止し、室内の座席もクロスシートを減少させてロングシートを多くしました。保守の簡略化と客室の収容人数を増加させることで、運…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【5】

国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【4】

国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【3】

国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 413・717系は台車も種車のものを再利用しています。インダイレクトマウント空気ばね台車のDT32/TR69系を装着し、近郊形電車のほとんどが金属コイルばねを使ったDT21/TR62系を装着していたので、種車のも…

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【1】

国鉄末期の財政難の中、地域輸送を支えるために生まれた413系・717系電車。これらの電車は、余剰となった急行形電車を改造し、新製コストを抑えつつも、地域の実情に合わせた輸送力を持つ車両として設計されました。413系は北陸本線で、717系は東北本線と九…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【24】《最終回》

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年になると、翌年に控えた国鉄の分割民営化を前に、横川機関区は横川運転区へと改組・改称されます。これは、機関区の名称は貨物会社が使うことになったためで、旅客会社は機関車配置の区所も運転区や…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【23】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 協調運転も含めて、EF63形には数々のジャンパ連結器が設置されていました。これは、碓氷峠区間を通過するすべての車両に対応できるようにしたためで、1エンド側・軽井沢方の前面スカート部には、EF62形と…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【22】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF63形は常に碓氷峠区間で補機専用として運用することが前提でした。そのため、ここを通過するすべての列車は、EF63形の力を借りなければなりません。言い換えれば、EF63形の連結なしでは通過することが許…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【21】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF63形は急勾配区間だけで運用することを前提としていた特殊な専用機であるため、特にブレーキ装置にはこの形式でしかないものを装備していました。常用ブレーキにはEL14AS形自動空気ブレーキを装備してい…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【20】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 前面窓上には前部標識灯となるシールドビーム灯をそれぞれ1個ずつ設置し、後部標識灯も左右1個ずつ前面腰部に設置していました。試作機と1次車、2次車では内ばめ式の、3次車では外ばめ式の標識灯が採用さ…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【19】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ◆碓氷峠最後の補機 特殊装備を満載したEF63形 信越本線の碓氷峠区間を、従来のラック式運転の時代から、特殊な装備を持った補助機関車が不可欠でした。特に登坂時には補機による強力なトルクを、降坂時に…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【18】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 東海道本線・山陽本線でのEF62形の活躍は、3年ほどで幕を下ろすことになります。1986年に実施された国鉄最後のダイヤ改正で、荷物列車そのものが全廃になってしまったのでした。これによって、下関配置のE…

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【17】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF62形は信越本線の客車列車や貨物列車の本務機として運用することが前提とした電機で、特に客車列車は冬季の暖房用熱源を機関車から供給する必要がりました。EF62形が登場した1962年は、本州で運用されて…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【10】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年に製造されたキハ54形は、JR北海道とJR四国にとって貴重な戦力として走り続けています。新製以来、すでに39年という長い年月が経っていますが、軽量ステンレス車体は冬季の厳しい気候や、海沿いを走…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【9】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2003年になると、主要機器の更新工事が施工されました。もともとキハ54形は車体やエンジンを除いて、多くの機器を廃車となった車両から発生したものを再利用していました。国鉄末期にすでに破綻した状態の…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【8】

《前回からのつづき》 北海道向けに製造された500番台は、四国の配置された0番代と異なりました。0番代が松山運転所に集中配置されたのに対し、500番台は旭川、苗穂、函館、釧路の4つの区所に分散配置されたのです。これは、北海道が四国と比べて広大であり…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年から1987年、すなわち国鉄の最末期に、キハ54形は0番台12両と500番台29両、合計で41両が製造されました。JR北海道とJR四国が国鉄から継承した気動車の数からすると、かなりの小所帯(キハ40系:JR北…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 北海道で使うことを前提とした極寒地仕様の500番台は、暖地仕様の0番台とは大幅に設計が異なりました。なにより、冬の北海道は気象条件が非常に厳しく、気温は0度以下になることも多々あり、そして何より…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 0番台には冷房装置も設置されました。従来、国鉄の気動車は急行形や特急形といった優等列車に使う車両に装備され、ローカル運用が主体の一般形や通勤形には設置されませんでした。しかし、私鉄の多くが一…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 車体も従来の国鉄形気動車とは一線を画する新機軸が導入されます。 キハ54形が開発された1986年には、国鉄もオールステンレス車の導入を本格的に進めていました。従来、オールステンレス車は東急車輛が親…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ54形を製造するにあたって、コストを可能な限り抑えることが重要視されたといえます。10年前の1970年代であれば、「必要だから」という理由で鉄道債券を発行し、借金をしてでも目的に合わせた車両を設…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 地方のローカル線の多くは、沿線の人口が少ない過疎地域であり、そこに走る鉄道は輸送量が低いため、設備投資の大きい電化工事がされることなく、非電化の路線が数多くあります。特に北海道や四国、九州で…

Column:「銀釜」よ永遠に EF81 303の引退に寄せて〔後編〕

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 幡生操ー門司駅間を走る貨物列車は、EF81形が重連で牽いていました。これは、関門トンネルの勾配が20〜25パーミルと険しく、万一トンネル内で列車が停止したときに、1000トンから1200トンの列車を引き出す…

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて、日本の全国津々浦々で陸上交通を支えてきた日本国有鉄道、国鉄が分割民営化されてから35年以上が経ち、2年後の2027年には早くも40年が経とうとしています。民営化後に設立された旅客会…

Column:「銀釜」よ永遠に EF81 303の引退に寄せて〔前編〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先月の半ばごろより、当ブログは毎週火曜日と木曜日、そして土曜日に更新しております。これに加えて不定期になりますが、日曜日にコラムを投稿することにいたしました。鉄道職員時代の回顧録な…