国鉄形車両
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF61形は冬季における客車の暖房用熱源として、蒸気発生装置を装備していました。旧型客車のうち、本州で運用される車両のほとんどは電気暖房を備えていましたが、これを使うためには直流電機では電動発電…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info EF61形が新製されると、全機が宮原機関区に配置されました。わずか18両という少数勢力とはいえ、EF61形は暖房用の蒸気発生装置を備えた新性能直流電機であること、EF58形に迫る高速性能をもつ電機であるこ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄が新たな旅客用電機を求めるようになった1960年代、電機の構造は従来のものとは大きく変わった車両を製作するようになっていました。 戦前から脈々とつくり続けられてきた電機は、台車枠を車両の基礎…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 直流電気機関車といえば、現在ではJR貨物が保有・運用する車両がほとんどで、その形式も統一されつつあります。平坦線用の万能期であるEF210形と、勾配線用の2車体H級機であるEH200形が数多く活…
《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info 寝台特急列車の最高運転速度を100km/hから110km/hに引き上げ、それとともに20系客車には電磁指令ブレーキが装備されることになり、牽引する機関車にもこのブレーキに対応した装備が必要となったことから、そ…
《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info そもそもEF60形は、貨物用機として設計された機関車でした。貨物用機は高速性能よりも牽引力を重視した設計でした。これは、貨物列車は0km/hから引き出すときに、重量が重いので強いトルクが必要になります…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1960年に国鉄が設計、製造したEF60形は、直流電機としては初めてのF級新性能電機でした。2軸ボギー台車を3台装着し、従来の電機にあった先輪をなくした構造は、ED60形などD級機から受け継いでいましたが、…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 すっかりご無沙汰になってしまいました。 4月で年度が変わり、職場も仕事も変わらなくとも、埋めるべきポジションが変わったことで、本業が多忙になってしまいました。なんとか記事は書き続ける…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 新製配置以来、長らく直方区に所属して筑豊本線と篠栗線を中心に、筑豊・北九州地区の輸送を支え続けてきましたが、筑豊本線の一部と篠栗線が電化されることになり、2001年のダイヤ改正をもって30年弱も走…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1974年に新製されたキハ66系は、直方気動車区(現在の筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター)に配置され、主に筑豊本線と篠栗線での運用に充てられました。一般形気動車としては破格の設備を誇っていたこと…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 前面はキハ65形や一般形のキハ40系(2代)とほぼ同じデザインとして、前面窓は側面に回り込んだパノラミックウィンドウを採用、中央には貫通扉を備えた貫通構造とされました。 気動車は1両単位で運用する…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ66系いはいくつかの大きな特徴があります。その一つが、大出力を誇るDML30系に゙改良を加えたDML30HSHを装備したことです。このエンジンは、出力が440PSとキハ65形が装備するDML30HSDなどよりも若干出…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1964年に開発されたDML30系エンジンは、気動車に搭載することを前提にした横置き型で、V型12気筒、排気量30リットルというものでした。出力は400PSから最大で600PSを出すことができる強力なエンジンで、高…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info DMH17系エンジンと液体変速機を組み合わせた国鉄の気動車は、1950年代後半から続々と量産され、全国の非電化路線で普通列車から準急や急行、さらには特急として都市間輸送までも担うようになりました。 そ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 戦後に開発された気動車は、ガソリンよりも安全性の高い軽油を燃料としたディーゼルエンジンを採用することにしました。戦前に一応の基礎設計が完了していたとはいえ、開発の中断と技術の途絶、そして戦時…
国鉄最後の新形式気動車となったキハ66系について、その軌跡と功績を概観する。
《前回からのつづき》 383系が増備され、長野駅発着の運用がすべて置き換えられた後も、松本駅・白馬駅発着の「しなの」の運用は残り、381系は4往復のみに充てられるようになり、JR西日本の381系とは対称的に風前の灯になりつつありました。 それでも、1998…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info クモハ381形は1986年のダイヤ改正から「やくも」の運用に充てられ、国鉄が計画した通り「やくも」を6両編成に短縮させ、輸送力の適正化と臨時列車を含めた運行本数を増発を実現しました。 登場した翌年の1…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年にモハ381形を種車に改造によって製作されたクモハ381形は、この年のダイヤ改正まで運用されていた「やくも」の編成から、サロ1両を連結したまま6両編成に組み替え、そこから捻出された車両を使うこ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は既にお話してきたように、急曲線が多く存在する線区において、特急列車の所要時間を短縮させるために、車体傾斜装置である自然式振子装置を装備した特異な特急形電車でした。 中央西線の「しなの」…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄分割民営化が具体化しつつあった1980年代半ば、それまで長大編成を組むことが当然とされていた特急列車にも合理化のメスが入れられていきました。 特急列車は「特別急行列車」を指し、「特別」である…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は急曲線を傾斜装置の一つである自然振子を使って、曲線通過時に生じる遠心力を緩和して乗り心地を損なわないようにするとともに、遠心力によって車輪の浮き上がりなどによって脱線することを防ぎ、…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄の分割民営化から今年(2024年)で37年目になります。民営化直後は国鉄から継承した車両のみで列車を運行していましたが、直後からは新しい会社にふさわしい車両を開発増備し、徐々に国鉄形…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED76形は交流電機であるので、車体の塗装色は一貫して赤2号を身にまとい続けています。これは、国鉄が制定した塗色で、交流電機はこの色一色に塗装することになっていました。ところが、分割民営化直後は…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が保有する機関車は、基本的に貨物列車を牽くために運用されるものですが、門司区配置のED76形に限っては特例ともいえる運用がありました。それは、門司港駅と西鹿児島駅感を結ぶ夜行急行列車を牽く…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1990年代に入り、「みずほ」の廃止や「あさかぜ」の減便に始まり、伝統的な列車だった「さくら」と「はやぶさ」の車両を減数させ、二つの列車を併結させたことから、かつて栄光の列車としての面影は失われ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 客車列車の視点で見れば、それまで長距離輸送が主体で、普通列車も長編成で長距離を走破するのが当たり前でした。そのため、列車の運転本数は1時間あたりにしても少なく、乗客の立場からすれば利便性が高…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1973年から製造された1000番台第2次車は、基本的には0番台第5次車とかわらないものの、高速列車用の機器を装備したことで区分されました。ただし、この頃になると20系客車はほとんどが寝台特急から退いて…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED76形は0番台94両、1000番台23両の合わせて117両が製作されました。製造期間も0番台が1965年から1976年の11年間、1000番台は1970年から1979年の9年間に渡ったため、製造するロットによって搭載機器や仕様…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■九州用交流電機の決定版ED76形とその軌跡 ED72形とED73形を嚆矢とする60Hz対応の九州地区向け交流電機は、鹿児島本線熊本以南と日豊本線系統という線路規格が低い路線にも乗り入れることができ、冬季に客…