旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

2020-01-01から1年間の記事一覧

いろいろな「物」を運ぶ貨物列車 郵便物は令和の時代も鉄道で運ばれている【2】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2020年最後の投稿は、昨日のつづき「郵便物は令和の時代も鉄道で運ばれている」です。 〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info 鉄道による郵便輸送の休止(実質には廃止)されたもう一…

1年間のご愛読、ありがとうございました。

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2020年も残すところ、あと僅かとなりました。 1月に年が明けて、2020年という年は東京オリパラが催される「オリンピックイヤー」になり、賑やかさと慌ただしさに包まれる一年になるであろうと想…

いろいろな「物」を運ぶ貨物列車 郵便物は令和の時代も鉄道で運ばれている【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もうすぐ2020年も終わりを迎えようとしています。年が明けたときには、まさかここまで混乱に満ちた1年になろうとは誰が想像したでしょうか。確かに年明け頃には「新型ウイルスによる道の肺炎」…

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 時代に翻弄され短命に終わったタンクピギー・クキ1000【3】

〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info タンクピギーはこれまで何度も述べてきたように、慢性的な渋滞により埼玉県などの内陸部への輸送が困難となっていたことと、バブル景気により物流が盛んになったため、トラックドライバーが不足していたこと…

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 時代に翻弄され短命に終わったタンクピギー・クキ1000【2】

〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info 「タンクピギー」の構想はJR貨物ではなく、石油類では最大の顧客でああった日本石油(当時、後にニッセ三菱→新日本石油→JX日鉱日石→ENEOS)によるものでした。*1日本石油は需要の拡大によって、大量の石油類…

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 時代に翻弄され短命に終わったタンクピギー・クキ1000【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いまでこそ、鉄道による貨物輸送はコンテナによるものが主流になりましたが、かつては様々な方法で運ぶことが考えられていました。例えば、国鉄時代は運ぶ物に合わせて貨車を設計するという方法…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 自動車産業の発展に貢献・ク5000【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info しかし、1973年になると鉄道による自動車輸送は大きく変化しました。 1972年には「アロー号」が1日25本も運転され、全国共通運用体制も整えられて多数のク5000が全国各地に新車を届け、年間79万台もの自動…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 自動車産業の発展に貢献・ク5000【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 開発当初は電化区間のみで運用することを想定していたため、カバーを掛ける計画はなかったようです。これは、蒸気機関車が吐き出す煤煙が新車である積荷にかかる心配がなかったためですが、実際には電化区…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 自動車産業の発展に貢献・ク5000【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道で貨物を運ぶと一言に言っても、運ぶ物によっては様々な苦労があります。中でも、物資別適合車と呼ばれる貨車たちは、顧客である荷主と託送される貨物によって、手持ちの貨車やコンテナで済…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 超低床のパイオニア・コキ70【後編】

◆超低床の魁は輝くことなく消えていった・コキ70【後編】 〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info コンテナの容積が増えれば、それだけ積むことのできる貨物も多くなり、中には寸法の関係でコンテナに載せることのできなかった貨物も、コンテナの大…

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 超低床のパイオニア・コキ70

◆はじめに 鉄道開通以来、貨物輸送といえば有蓋車や無蓋車など、貨車1両単位で貨物を載せて運ぶことが主たる方法でした。それは、戦時中も変わらず続けられ、終戦後も高度経済成長期には物流を支える主役でもあったのです。 中には生活に直結するものも運ん…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【14】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (12)終わりに 1981年に国鉄から、東海道・伊東線用の新型特急用車両として、185系が登場するというアナウンスがあったとき、いったいどのような車両なのかと子供心にワクワクしたものでした。鉄道趣味誌で…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【13】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (11)大きな転換、そして終幕へ 1983年に185系が登場し、新製配置されたのが田町電車区でした。田町と品川の間に設置されていた車両基地群のうちの一つで、列車に乗っていると幾重にも敷かれた留置線などに…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【12】

前回のつづきより 10−3 まだまだある、多彩な運用をこなした185系 東海道の185系もさることながら、東北・高崎・上越各線の185系もまた、多彩な運用に就きました。 すでに述べたように、「新幹線リレー号」としての役目を終えた185系200番代は、新たに設…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【11】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info 10−2 当時としては画期的だった、定員着席サービスの通勤列車「湘南ライナー」 少子高齢化の波は容赦なく押し寄せ、これまで鉄道にとってあたりまえともいえた通勤通学利用者の定期収入によるビジネスモデ…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【10】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (10)多彩な列車に充てられた185系 国鉄も末期になった1981年に登場した185系は、0番代は急行「伊豆」と特急「あまぎ」を統合し、特急「踊り子」としての運用に就いていきました。その間合いでは、153系が…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【9】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info (8)リニューアルで面目を保った185系 民営化によりJR東日本に引き継がれた185系は、当初はそのまま大きく手を加えることなく使われ続けました。特に、民営化直後はいくら首都圏という「ドル箱」を抱えてい…

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【8】

前回のつづきより blog.railroad-traveler.info 185系にスポットをあてた記事を最後に投稿してから、もう1年以上が経っていました。連載記事となると、どうしても時間が必要になってしまい、本業との兼ね合いもあって一旦中断していました。 ここにきて、185…

この1枚から 東横線を疾駆していた9000系【後編】

前回のつづき blog.railroad-traveler.info 筆者が高校に進学し、毎日のように東横線に乗って通学するようになると、8000系が来るかそれとも9000系が来るか、少々ワクワクしたものでした。残念ながら、乗車駅も降車駅も各停しか停まらなかったので、当初はほ…

この1枚から 東横線を疾駆していた9000系【前編】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 電車の制御にはいろいろな方法があることは、ご存知の方も多いかと思います。その昔は電気的にも容易で、保守の面でもそれほど難しくなかった抵抗制御が主流でした。というよりは、抵抗制御しか…

この1枚から 「はやぶさ」、それはかつて寝台特急だった【後編】

前回のつづきから blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info 分割民営化後、「はやぶさ」にはさっそく利用者を増やすべく、改善策が施されました。それまでB寝台は開放式が当たり前でしたが、利用者の意識が変わってきたことで、個室の需要…

この1枚から 「はやぶさ」、それはかつて寝台特急だった【中編2】

前回のつづきから blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info 「みずほ」が1972年に14系へと置き換えられ、続いて「はやぶさ」が1974年に24計24形へと置き換えられました。どちらも寝台幅は700mmへと一気に250mmも拡大され、接客サービスの面…

この1枚から 「はやぶさ」、それはかつて寝台特急だった【中編】

前回からのつづき blog.railroad-traveler.info そのルーツは第二次世界大戦の最中である1942年にまで遡ることができます。 この年、本州と九州を直接鉄道で結んだ関門トンネルが開通しました。それまで東京と下関を結んでいた第3・4列車が、関門トンネルの…

ちょっとだけ、お知らせです(筆者執筆の記事が専門誌に掲載されました)

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先月、ある原稿依頼を受けて、ブログの執筆をお休みしておりましたが、そのご依頼いていた原稿記事が載った雑誌が本日発売になりました。 一昨年もご縁あって、イカロス出版から発刊されており…

この1枚から 「はやぶさ」、それはかつて寝台特急だった【前編】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 「はやぶさ」という列車といえば、何を思い浮かべるでしょうか。 やはり、東北・北海道新幹線を320km/hで駆け抜け、東京と新函館北斗間を結ぶ「はやぶさ」というのが現在のお決まりだと思います…

この1枚から 老兵、青く染まらずただ去りゆくのみ【後編】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 新7000系は7000系や、アルミ車の先輩格である2100系、5100系などとともに、相鉄沿線の多くの乗客を乗せて走り続けました。途中、ボックスシートを備えたセミクロスシート車も増備され、接客サービスの向上…

この1枚から 老兵、青く染まらずただ去りゆくのみ【前編】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 相模鉄道というと、準大手私鉄から大手私鉄へと昇格(?)し、最近ではJR埼京線とも直通運転をはじめあるなど、何かと話題の多い鉄道会社です。大手私鉄とはいっても、運行する路線は神奈川県内…

この1枚から 白羽根は北の大地を駆け抜けた【後編】

前回からの続き blog.railroad-traveler.info 北海道特有の厳しい冬に耐えることができる装備を施した781系は、電気機器の無接点化をはじめ、多くの新機軸が取り入れられた特急形電車でした。 空調装置もその一つ。国鉄の特急形電車は基本的に客室の窓は固定…

この1枚から 白羽根は北の大地を駆け抜けた【前編】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 北海道の鉄道といえば、そのほとんどが非電化なので昔から気動車が跳梁跋扈していました。それは時代が変わっても同じで、一部を除いて国鉄から引き継いだキハ40系が今も主役です。 しかし例外…

この1枚から "平成生まれ"の焼きタラコ

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて財政事情が火の車だった国鉄は、様々な経費節減策を行っていました。その一つに、車両の塗装を簡略化するというもので、特に気動車は朱色とクリーム色の二色塗りから、朱色一色の「首都圏…