旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

JR貨物

1991年頃の新鶴見機関区 部内の一部で「恥ずかしいカマ」と呼ばれた試験塗装【2】

《前回のつづきから》 国鉄を分割民営化して誕生した新会社は、当時は躍起になって国鉄時代の「負のイメージ」を払拭するために、様々な施策を実行していました。旅客会社は新たなサービスと商品開発に腐心し、離れていった乗客を呼び戻すために、数多くの企…

1991年頃の新鶴見機関区 部内の一部で「恥ずかしいカマ」と呼ばれた試験塗装【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 1987年に国鉄が分割民営化されてから既に35年以上が経ち、2024年もかつての栄華を伝える国鉄形車両がまた姿を消していきました。曲線の多い路線で特急列車の速度を上げて、到達時間を大幅に短縮…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【19】終章

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED76形は交流電機であるので、車体の塗装色は一貫して赤2号を身にまとい続けています。これは、国鉄が制定した塗色で、交流電機はこの色一色に塗装することになっていました。ところが、分割民営化直後は…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【18】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が保有する機関車は、基本的に貨物列車を牽くために運用されるものですが、門司区配置のED76形に限っては特例ともいえる運用がありました。それは、門司港駅と西鹿児島駅感を結ぶ夜行急行列車を牽く…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【17】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1990年代に入り、「みずほ」の廃止や「あさかぜ」の減便に始まり、伝統的な列車だった「さくら」と「はやぶさ」の車両を減数させ、二つの列車を併結させたことから、かつて栄光の列車としての面影は失われ…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【16】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 客車列車の視点で見れば、それまで長距離輸送が主体で、普通列車も長編成で長距離を走破するのが当たり前でした。そのため、列車の運転本数は1時間あたりにしても少なく、乗客の立場からすれば利便性が高…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【15】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1973年から製造された1000番台第2次車は、基本的には0番台第5次車とかわらないものの、高速列車用の機器を装備したことで区分されました。ただし、この頃になると20系客車はほとんどが寝台特急から退いて…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【14】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED76形は0番台94両、1000番台23両の合わせて117両が製作されました。製造期間も0番台が1965年から1976年の11年間、1000番台は1970年から1979年の9年間に渡ったため、製造するロットによって搭載機器や仕様…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【13】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■九州用交流電機の決定版ED76形とその軌跡 ED72形とED73形を嚆矢とする60Hz対応の九州地区向け交流電機は、鹿児島本線熊本以南と日豊本線系統という線路規格が低い路線にも乗り入れることができ、冬季に客…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【12】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■豪雪地帯・日本海縦貫線から押し出されてきたEF70形とED74形 交流20,000V60Hzでの電化は、九州だけでなく北陸本線でも実施されました。こちらは、九州の電化よりも早い時期だったので、国鉄初の量産交流…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【11】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED75形300番台は、交流関連の機器を60Hz仕様のものに替えるとともに、0番台にはない装備をもちました。特に正面スカート部には通常の自動ブレーキ用のブレーキコックのほかに、元空気溜め引き通し管用のコ…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【10】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そもそもED75形は、常磐線の交流電化に伴って開発された交流20,000V50Hz用の電機として設計・製造されました。東北本線には既にED71形が55両製作されて活躍していましたが、こちらは施策的要素が強いこと…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【9】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■少数が製作された交流標準機の九州版・ED75形300番台 交流電機の黎明期に製作された車両たちは、交流電流から直流電流へ変換するための整流器に水銀整流器を搭載していました。この水銀整流器は、大きな…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1964年に東海道新幹線が開業すると、それまで東京から関西、九州方面を結んでいた特急列車や急行列車に大きな変化が訪れました。東京―大阪間の長距離列車は軒並み新幹線へ移行し、在来線の長距離列車は大…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【7】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■姉妹機ED72形とともに電化黎明期の九州を支えたED73形 1961年に九州用交流電機として試作車2両が製作されたED72形は、一応の好成績を得て1962年に量産機の製造がされました。ED72形は一般形客車の牽引を…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED72形の主電動機は試作車では、出力512kWのMT103形を装備し、機関車出力は2050kWというD級機としては2000kW級の高出力を実現させました。そして駆動方式は、当時国鉄で電機用として積極的に採用されてい…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED72形の車体は、ほかの直流機はもちろん、ED70形やED71形とは異なった特徴のある形状が採用されました。前面は非貫通型で、この基本的な意匠は直流機とかわらなかったものの、前面の形状は側面から見ると…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■黎明期に開発され九州電化区間の輸送を担ったED72形 九州島内の幹線が交流による電化が進められることが決まると、1961年(昭和36年)に門司港駅―久留米駅間が電化開業したのを皮切りに、1965年までに熊…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【3】

《前回のつづきから》 ■なぜ、九州は交流電化になったのか 鉄道の電化方式は、大きく分けて二つあることは皆さんもご存知のことと思います。一つは直流電化で、この方法は古くから行われています。直流電化では主電動機の構造が簡単な直流電動機を使うことが…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info EF510形の九州仕様機は300番台に区分され、既存の0番台、500番台から若干の仕様変更がされています。外観では、前部標識灯が従来のシールドビーム灯からLED灯に変更されました。また、塗装も国鉄時代から…

EF510 300番台の増備で去りゆく九州の赤い電機の軌跡【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 昨年(2023年)12月にJR各社から、2024年3月に実施されるダイヤ改正の内容がプレスリリースされましたが、JR貨物も同様にその内容を明らかにしました。 JR貨物は第二種鉄道事業者であるため、基…

いろいろある貨車の標記の意味【5】 在日米軍基地の貨物輸送と貨車運用標記

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■米軍軍番号と燃料種別 最後に今では見られない、もっとも特異なケースを紹介したいと思います。 第二次世界大戦の終戦以来、日本にはアメリカ軍が駐留しています。多くは沖縄県にある基地に所在していま…

いろいろある貨車の標記の意味【4】 貨物輸送の仕組みと常備駅

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■○○駅常備 国鉄・JR貨物の貨車は、基本的には所属する区所というのはなく、全国各地で配車・運用されることが基本でした。これは、貨車1両単位で貨物輸送をしていた時代からの流れで、例えばA駅に貨物輸送…

いろいろある貨車の標記の意味【3】 貨物輸送の進化と輸送係の注意喚起

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■道外禁止 この標記は現在では見ることができないだけでなく、その表記の通り北海道以外では見ることのなかった特殊なものといえます。 かつて、国鉄の貨物輸送が物流の第一選択肢だった頃、おおくの貨車…

いろいろある貨車の標記の意味【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■突放禁止 鉄道による貨物輸送が車扱貨物全盛だった頃、ほとんどの貨車は操車場に集められて、方面別に仕訳、そして着駅の方へと向かう列車に連結するという作業を繰り返していました。貨物取扱駅からやっ…

いろいろある貨車の標記の意味【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 日本全国津々浦々走り回る貨車は、今も昔もその運用形態は大きく変わることがありません。例えば、東京貨物ターミナル駅から福岡貨物ターミナル駅に向かう列車に組み込まれたコキ車は、到着後に…

悲運の貨車 奇抜な発想で複合一貫輸送を目指した両用貨車・ワ100【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1992年に落成したワ100形は、翌1993年から東海道本線東京貨物ターミナル駅ー西湘貨物駅間で試験運用が始められました。実際の試験では、営業運用に入ることを想定して、車体部分となるアルミバンボディを…

悲運の貨車 奇抜な発想で複合一貫輸送を目指した両用貨車・ワ100【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ワ100形は計画自体は1990年に始まっていたようでしたが、実際に落成したのは1992年になってからでした。当時、JR貨物は国鉄時代から脈々と続けられてきた、物資別適合貨車による車扱貨物輸送から脱却し、…

悲運の貨車 奇抜な発想で複合一貫輸送を目指した両用貨車・ワ100【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道職員になろうと決めたのは、高校3年生の7月も終わり頃でした。当時、高校生の就職活動は5月ぐらいから始めないと出遅れているといわれたもので、初めから会社に入る気がなかった筆者…

2024年問題で鉄道貨物輸送の「復権」はあるのか【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info これまで概観してきたように、2024年問題を目前にした今日において、トラック輸送に代わって鉄道がそれを担い、政府が定めた10年後には現在の2倍を輸送するというのは、非常に課題が多く難しいといえるで…