電気機関車
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年の分割民営化では、ED76 500番代はJR北海道に継承され、岩見沢第二区を引き継いだ空知運転所配置となって、引き続き函館本線電化区間の客車列車を牽いていました。 しかしながら、分割民営化直後にJ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道専用交流電機として、ED75 500番代の試作の後、量産形式として登場したED76 500番代は1968年から製造が始められました。同じED76という形式を名乗っていても、制御装置にはサイリスタ位相制御を採用…
《前回のつづきから》 ED76 500番代は多くの耐寒耐雪装備をもつ、北海道専用の交流電機ですが、台車などの足回りについては0番代とほぼ同じでした。 電動台車はED74以来、交流D級電機に標準的に装着されているDT129を装着しました。この台車は主整流器を水銀…
《前回のつづきから》 1968年から製造が始められたED76 500番代は、ED75 500番代の試験結果を基に改良を加えた北海道向け量産交流電機でした。 制御方式は九州向けのED76が低圧タップ切換制御と磁気増幅器によるタップ間電圧位相制御であるのに対し、ED76 50…
《前回のつづきから》 1966年に開発されたED75 500番代は、711系と同じく無可動・無接点化を実現できるサイリスタ位相制御を採用した交流電機でした。 通常の交流電機は、主変圧器に設けられた接点を切り替えるタップ切換制御が主流でした。このタップが主変…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 1960年代は国鉄にとって、車両開発真っ盛りの時期といってもいいほど、実に多くの機関車が開発されました。特に交流電機は、パワーエレクトロニクスの技術の急速な発達によって一形式ごとに装備…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その後、1000番代PF形とEF66の増備によって、500番代F形は特急貨物列車の運用から次第に離れていき、一般の貨物列車の運用に充てられるようになりました。また、レサ10000で組成された鮮魚特急貨物列車は…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年にP形と同じ時期に製造されたF形は、新製後に吹田第二機関区に配置されて、さっそく特急貨物列車の運用に就きました。 特急貨物列車は操車場を経由せず、発駅と着駅を通して運転する拠点間輸送の形…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ところが、すべての電機やディーゼル機に重連総括制御装置を装備しませんでした。重連運転を想定していない車両には、使いもしない装置を装備させては製造コストが割高になるのです。それだけでなく、検査…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 特急貨物列車を牽く電機としてEF65にその役を任せることにしたものの、10000系高速化車で組成された列車は、客車列車とは異なり編成自体が重量がかさむことに加えて、連続で高速運転をしなければならない…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1965年に登場したEF65は、牽引力をもたせながら連続高速運転にも耐えられる性能をもった客貨両用の万能機でした。当然、国鉄も寝台特急の牽引にはEF65を充てることを目論み、20系客車を引くために必要な特…
いつも拙筆のブログをお読みいただきありがとうございます。 筆者が鉄道マンになった1991年は、まだまだ多くの国鉄形電機があちこちで走っており、今となってはなんとも羨ましくもなるような光景が見られたものです。特に筆者が勤務した電気区の管轄には、本…
《前回のつづきから》 こうした流れの中で、岳南線に乗り入れる紙輸送列車は変わらずワム80000によって行われていましたが、JR貨物としては早期にコンテナへ転換したかったのです。というのも、ワム80000の最高運転速度は75km/hに留まっていたので、高速化す…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年2両が落成したED40は、計画通りに上高地線でのダム建設工事用資材を輸送する貨物列車を牽く任に就きました。建設資材という重量物を輸送するため、ED40の新製だけでなく、上高地線の軌道を強化する…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。 それま…
いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info このブログでも何度かお話しましたが、国鉄は原則として独立採算制の国有公共企業体です。原則として税金を投じることはなく、運賃収入を基本として経営されることになっていました。ただし、運賃収入だけ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1962年に製造された6両のED74は、計画通りに敦賀第二機関区に新製配置され、北陸本線の福井以北の電化区間で運用されました。しかし前にも述べたように、福井以南のEF70に形式を統一するほうが多くのメリ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED74は1962年に製造されました。それまでの交流機は主整流器に水銀整流器を使用していましたが、位相制御ができる利点がある反面、真空容器の中に水銀を封入し、それを電極に噴霧した際に起きるアークを利…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 12月は「師走」と言われるように、筆者の今の仕事は年度始めと年末、そして年度末が非常に忙しくなります。成績評価やら年度末処理、さらには次年度の準備などなど、ただでさえ世間からは20年以…
《前回からのつづき》 2001年から製造がはじめられたEF510は、すべてが日本海縦貫線用として富山機関区に集中配置され、関西圏ー北陸・東北地方を結ぶ貨物列車を中心に活躍しています。先行量産機である1号機が落成直後に新鶴見機関区に配置されて各種の試験…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 確かにJR貨物にとって、手持ちの機関車を遣り繰りすることで老朽機を置き換えたほうが財政的なメリットは大きいでしょう。しかし富山区のEF510は、日本海縦貫線という長距離を走り抜け、日本海沿岸という…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 つい最近、JR貨物から発表されたプレスリリースで、門司機関区配置のED76とEF81の置換えが計画が明らかになりました。いつかはその日がくるであろうことは覚悟しておりましたが、実際にそのこと…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1963年から製作された1次形は、全機が田端機関区へ新製配置されると、さっそく常磐線の客車列車や貨物列車を牽く運用に就いていきました。 EF80にとって特に花形だったのは、やはり寝台特急「ゆうづる」を…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1963年から製造されEF80は、常磐線用の交直流機として開発されました。常磐線は既に上野ー取手間が直流電化されており、取手以北の電化も進められようとしていました。しかし、取手以北の電化では、石岡に…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 人の生き方とは色々で、「十人十色」の言葉のように様々です。生まれ育った地から離れることもなく、故郷で一生を送る人もいれば、故郷を離れ遠く彼の地で生計を営む人もいるでしょう。一度は故…
《前回のつづきから》 機関車の集中配置は今でこそ珍しいものではなくなりましたが、国鉄時代は関門トンネル用のEF30のような特殊な用途を除いて、あまり例を見たことがないのが筆者の視点です。 というのも、旅客列車を担当する区所と貨物列車を担当する区…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 立川機関区に配転された時点で、ED16はすでに古豪機でした。ED16は1935年から製造されたいわゆる戦前型の電機で、旅客用のEF52を勾配線区で運用する貨物用中型機に設計を改めたものです。 ED16は1931年に1…
いつも拙筆のブログををよみいただき、ありがとうございます。 かつての鉄道貨物輸送は、ありとあらゆるものを運んでいました。もちろん、今も同じですが、物流の主役をトラックに取って代われる以前は、貨物の輸送は鉄道が第一選択だったのです。 例えば生…