旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

電気機関車

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【19】終章

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED76形は交流電機であるので、車体の塗装色は一貫して赤2号を身にまとい続けています。これは、国鉄が制定した塗色で、交流電機はこの色一色に塗装することになっていました。ところが、分割民営化直後は…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【18】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が保有する機関車は、基本的に貨物列車を牽くために運用されるものですが、門司区配置のED76形に限っては特例ともいえる運用がありました。それは、門司港駅と西鹿児島駅感を結ぶ夜行急行列車を牽く…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【17】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1990年代に入り、「みずほ」の廃止や「あさかぜ」の減便に始まり、伝統的な列車だった「さくら」と「はやぶさ」の車両を減数させ、二つの列車を併結させたことから、かつて栄光の列車としての面影は失われ…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【16】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 客車列車の視点で見れば、それまで長距離輸送が主体で、普通列車も長編成で長距離を走破するのが当たり前でした。そのため、列車の運転本数は1時間あたりにしても少なく、乗客の立場からすれば利便性が高…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【15】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1973年から製造された1000番台第2次車は、基本的には0番台第5次車とかわらないものの、高速列車用の機器を装備したことで区分されました。ただし、この頃になると20系客車はほとんどが寝台特急から退いて…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【14】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED76形は0番台94両、1000番台23両の合わせて117両が製作されました。製造期間も0番台が1965年から1976年の11年間、1000番台は1970年から1979年の9年間に渡ったため、製造するロットによって搭載機器や仕様…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【13】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■九州用交流電機の決定版ED76形とその軌跡 ED72形とED73形を嚆矢とする60Hz対応の九州地区向け交流電機は、鹿児島本線熊本以南と日豊本線系統という線路規格が低い路線にも乗り入れることができ、冬季に客…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【12】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■豪雪地帯・日本海縦貫線から押し出されてきたEF70形とED74形 交流20,000V60Hzでの電化は、九州だけでなく北陸本線でも実施されました。こちらは、九州の電化よりも早い時期だったので、国鉄初の量産交流…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【11】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ED75形300番台は、交流関連の機器を60Hz仕様のものに替えるとともに、0番台にはない装備をもちました。特に正面スカート部には通常の自動ブレーキ用のブレーキコックのほかに、元空気溜め引き通し管用のコ…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【10】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そもそもED75形は、常磐線の交流電化に伴って開発された交流20,000V50Hz用の電機として設計・製造されました。東北本線には既にED71形が55両製作されて活躍していましたが、こちらは施策的要素が強いこと…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【9】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■少数が製作された交流標準機の九州版・ED75形300番台 交流電機の黎明期に製作された車両たちは、交流電流から直流電流へ変換するための整流器に水銀整流器を搭載していました。この水銀整流器は、大きな…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1964年に東海道新幹線が開業すると、それまで東京から関西、九州方面を結んでいた特急列車や急行列車に大きな変化が訪れました。東京―大阪間の長距離列車は軒並み新幹線へ移行し、在来線の長距離列車は大…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【7】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■姉妹機ED72形とともに電化黎明期の九州を支えたED73形 1961年に九州用交流電機として試作車2両が製作されたED72形は、一応の好成績を得て1962年に量産機の製造がされました。ED72形は一般形客車の牽引を…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED72形の主電動機は試作車では、出力512kWのMT103形を装備し、機関車出力は2050kWというD級機としては2000kW級の高出力を実現させました。そして駆動方式は、当時国鉄で電機用として積極的に採用されてい…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED72形の車体は、ほかの直流機はもちろん、ED70形やED71形とは異なった特徴のある形状が採用されました。前面は非貫通型で、この基本的な意匠は直流機とかわらなかったものの、前面の形状は側面から見ると…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■黎明期に開発され九州電化区間の輸送を担ったED72形 九州島内の幹線が交流による電化が進められることが決まると、1961年(昭和36年)に門司港駅―久留米駅間が電化開業したのを皮切りに、1965年までに熊…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【3】

《前回のつづきから》 ■なぜ、九州は交流電化になったのか 鉄道の電化方式は、大きく分けて二つあることは皆さんもご存知のことと思います。一つは直流電化で、この方法は古くから行われています。直流電化では主電動機の構造が簡単な直流電動機を使うことが…

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info EF510形の九州仕様機は300番台に区分され、既存の0番台、500番台から若干の仕様変更がされています。外観では、前部標識灯が従来のシールドビーム灯からLED灯に変更されました。また、塗装も国鉄時代から…

EF510 300番台の増備で去りゆく九州の赤い電機の軌跡【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 昨年(2023年)12月にJR各社から、2024年3月に実施されるダイヤ改正の内容がプレスリリースされましたが、JR貨物も同様にその内容を明らかにしました。 JR貨物は第二種鉄道事業者であるため、基…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年の分割民営化では、ED76 500番代はJR北海道に継承され、岩見沢第二区を引き継いだ空知運転所配置となって、引き続き函館本線電化区間の客車列車を牽いていました。 しかしながら、分割民営化直後にJ…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道専用交流電機として、ED75 500番代の試作の後、量産形式として登場したED76 500番代は1968年から製造が始められました。同じED76という形式を名乗っていても、制御装置にはサイリスタ位相制御を採用…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【4】

《前回のつづきから》 ED76 500番代は多くの耐寒耐雪装備をもつ、北海道専用の交流電機ですが、台車などの足回りについては0番代とほぼ同じでした。 電動台車はED74以来、交流D級電機に標準的に装着されているDT129を装着しました。この台車は主整流器を水銀…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【3】

《前回のつづきから》 1968年から製造が始められたED76 500番代は、ED75 500番代の試験結果を基に改良を加えた北海道向け量産交流電機でした。 制御方式は九州向けのED76が低圧タップ切換制御と磁気増幅器によるタップ間電圧位相制御であるのに対し、ED76 50…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【2】

《前回のつづきから》 1966年に開発されたED75 500番代は、711系と同じく無可動・無接点化を実現できるサイリスタ位相制御を採用した交流電機でした。 通常の交流電機は、主変圧器に設けられた接点を切り替えるタップ切換制御が主流でした。このタップが主変…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 1960年代は国鉄にとって、車両開発真っ盛りの時期といってもいいほど、実に多くの機関車が開発されました。特に交流電機は、パワーエレクトロニクスの技術の急速な発達によって一形式ごとに装備…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その後、1000番代PF形とEF66の増備によって、500番代F形は特急貨物列車の運用から次第に離れていき、一般の貨物列車の運用に充てられるようになりました。また、レサ10000で組成された鮮魚特急貨物列車は…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年にP形と同じ時期に製造されたF形は、新製後に吹田第二機関区に配置されて、さっそく特急貨物列車の運用に就きました。 特急貨物列車は操車場を経由せず、発駅と着駅を通して運転する拠点間輸送の形…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ところが、すべての電機やディーゼル機に重連総括制御装置を装備しませんでした。重連運転を想定していない車両には、使いもしない装置を装備させては製造コストが割高になるのです。それだけでなく、検査…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 特急貨物列車を牽く電機としてEF65にその役を任せることにしたものの、10000系高速化車で組成された列車は、客車列車とは異なり編成自体が重量がかさむことに加えて、連続で高速運転をしなければならない…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1965年に登場したEF65は、牽引力をもたせながら連続高速運転にも耐えられる性能をもった客貨両用の万能機でした。当然、国鉄も寝台特急の牽引にはEF65を充てることを目論み、20系客車を引くために必要な特…