国鉄
1986年に誕生したキハ183系は、北海道の都市間輸送を支える特急用気動車として活躍し続けました。厳しい気候と過酷な運用の中、N183系・NN183系と姿を変えながら走り続け、2023年にすべての定期運用を終了。翌年、全車が廃車となり、45年にわたる歴史に幕を…
2000年代に入り、キハ183系は老朽化と過酷な運用により次第に姿を消していきました。エンジン火災や重大事故を契機に、JR北海道は安全重視の方針へ転換。その中で、車齢30年を超えたキハ183系も淘汰の対象となり、2015年には5年以内の全廃が発表されました。…
1997年以降、キハ283系や261系といった新型車両の登場により、キハ183系は次第に主力の座を譲り、補完的な運用へと移行していきました。高速化と短編成化が進む中、寝台車を連結した「利尻」や3両編成の「サロベツ」など、かつての長大編成とは異なる姿で活…
1986年に登場したN183系は、札幌発着の短編成特急網を支える存在として「おおぞら」などで活躍しました。新特急色に始まり、HET色への塗装変更や高速化改造、寝台車の連結など、時代の要請に応じて柔軟に姿を変えていきました。130km/h運転への対応や「スー…
国鉄末期、老朽化したキハ82系の後継として、北海道の特急列車を支えるためにN183系が誕生しました。分割民営化を前に、財政難と社会の変化に対応するため、コスト削減と短編成化を前提に設計され、貫通構造や高運転台、視界を確保する非対称の前面窓など、…
1986年、北海道の都市間輸送を支えるために誕生したN183系は、従来の設計を見直し、民間開発の高性能エンジンや軽量ボルスタレス台車を採用しました。冷房装置や空調設備もコストと実用性を天秤にかけて再構成され、グリーン車にはハイデッカー構造を導入。…
キハ183系には、かつてのキハ82系にあった食堂車が製造されませんでした。利用率の低下や運用コストの増大、国鉄の財政難が背景にありました。その代わり、キロ182形には本格的な車販準備室を設け、旅の喫食サービスを支えました。量産は1980年から始まりま…
1970年代後半、老朽化と過酷な冬に苦しむキハ82系に代わり、北海道の鉄路を走るために誕生したのがキハ183系です。粉雪の着雪を防ぐスラントノーズ、4灯の標識灯、発電用エンジンの冷却機器配置など、すべてが“冬と長距離”を見据えた設計でした。先代の課題…
《前回からのつづき》 キハ82系の登場により、それまで特急列車が設定されてなかった地方亜幹線にも進出し、非電化区間のスタートもいえる存在になりました。しかし、キハ82系が搭載したDMH17系エンジンの非力さは当初から課題となっていたため、運用できる…
《前回からのつづき》 1960年に登場したキハ80系は、先頭車となるキハ81形と、中間車であるキハ80形、そして一等車のキロ80形、食堂車であるキサシ80形で構成されました。先頭車となるキハ81形は、冷房装置や室内灯などに電力を供給するためのサービス発電用…
1960年、国鉄初の特急用気動車キハ80系が登場しました。蒸気機関車の煤煙や燃料問題を背景に進められた「動力近代化計画」の中で、非電化区間にも優等列車を走らせるための答えとして生まれたのです。軽量化と動力分散の思想を受け継ぎ、準急「日光」で実績…
石川さゆりの名曲に描かれた「上野発の夜行列車」。かつて東京から北海道へ向かう旅は、青森までの列車と青函連絡船、そして道内の特急列車が連携していました。青森・函館駅の構造や接続ダイヤ、キハ80系気動車の活躍など、鉄道と船が一体となって人々の旅…
夢の超重量列車を目指したEF200形の挫折。その反省から生まれた実用電機・EF210形は、やがて補機の役割も担う300番台へと進化する。瀬野八の急勾配を越える“赤い補機”EF67形の後を継ぎ、補機専用機という国鉄以来のカテゴリーは静かに幕を下ろした。2025年、…
瀬野八の急勾配を越えるために生まれたEF67形。走行解放の廃止、更新工事、そしてEF210形300番台の登場——時代の波は静かに“赤い補機”を追い詰めていった。2022年、最後の105号機が運用を離れ、補機専用機というカテゴリーは鉄路から姿を消す。だが、広島車両…
EF61形200番台の老朽化により、JR貨物は再び“改造”による補機の更新を決断。EF65形0番台を種車に、電機子チョッパとGTO素子を搭載したEF67形100番台が誕生する。コストと性能の両立を追求し、わずか1年で5両を完成。1991年、瀬野八の補機はEF67形8両体制へ。…
国鉄分割民営化を経て、瀬野八の補機運用を担い続けたEF67形。しかし、相棒EF61形200番台の老朽化が進み、JR貨物は新たな補機の開発を迫られる。だが、完全新製は非現実的——選ばれたのは、再び“改造”という道だった。EF65形0番台の若番車を種車に、チョッパ…
瀬野八の急勾配を越えるため、国鉄は再びEF60形に手を伸ばした。選ばれたのは第5次車。大型緩衝器、密着連結器、貫通扉、そして異例の赤11号塗装——。広島工場の現場力が、補機専用機EF67形を生み出した。たった3両で22両のEF59形を置き換えたその裏には、チ…
急勾配・瀬野八に挑むため、国鉄が選んだのは“電機子チョッパ”という異端の技術だった。高価で採用例も少ない中、なぜEF67形に導入されたのか——。空転を防ぐ滑らかな電圧制御、回生ブレーキによる省エネ、そして種車の主電動機を活かす合理性。すべては、単…
財政難、老朽化、そして技術的限界——。瀬野八の急勾配を支えてきたEF59形の後継機を巡り、国鉄は苦悩していた。新製もままならぬ中、再び改造に活路を見出す。選ばれたのは、経年浅きEF60形第5次車。広島工場の現場力が、国鉄唯一のチョッパ制御機・EF67形を…
かつて“失敗作”と呼ばれた機関車がいた。クイル式駆動の故障に悩まされ、運用から外されたEF60形。その一部が改造され、形式を変えてEF61形200番台として瀬野八の補機に甦る。だが、過酷な運用と時代の変化は容赦なかった。新型EF67形100番台の登場により、…
高出力を武器に、EF59形の後継として瀬野八に挑んだEF61形200番台。しかし、その力は時に制御を超え、重連運用では座屈脱線の危険を孕んだ。重連禁止、単機限定──期待は制約へと変わり、改造計画も次々と白紙に。それでも、緩衝器とデッキを備え、安全対策を…
1977年、瀬野八に現れた新鋭・EF61形200番台。高出力の主電動機を武器に、老朽化したEF59形の後継として期待された。しかし、重連運用でその力が裏目に出る。本務機と補機が別々に操作される“後補機運用”では、わずかな操作のズレが列車全体に大きな力を加え…
老朽化が進むEF59形に代わる“救世主”として登場したEF61形200番台。単機で1200トンを押し上げる力を託された新鋭機は、クイル式駆動という新技術を背負って瀬野八へ挑んだ。しかし、その構造は砂塵に弱く、異常振動と騒音を招く欠陥を抱えていた。貫通扉の設…
戦前製の省形電機が、瀬野八の急勾配に挑むために生まれ変わった──EF59形。走行中解放、空気管付き密着連結器、警戒色の塗装…すべては“押して、離れる”ための工夫だった。老朽化と戦いながらも、後継機の登場を待ち続けた古豪たち。ついにEF67形が現れ、EF59…
瀬野八──25パーミル、10kmの急勾配。そこに挑んだのは、旧型電機から生まれ変わったEF59形。走行中に解放される補機という異例の運用に応えるため、空気管付き密着連結器、自動解錠装置、そして警戒色の塗装まで施された。視認性、保安性、すべては“安全に押…
戦前の名機EF53・EF56形が、再び脚光を浴びた。舞台は山陽本線最大の難所・瀬野八。急勾配に挑むため、彼らはEF59形として生まれ変わった。新造ではなく、改造という選択。歯車比を変え、引張力を高め、走行中解放装置まで備えたその姿に、技術者たちの執念…
明治の鉄道建設に立ちはだかった中国山地の峠、瀬野八。急勾配22.6パーミル、10kmに及ぶ難所に、なぜ鉄路は挑んだのか。軍部の意向、建設コスト、そして技術者たちの葛藤。補機を連結し、煙を上げて峠を越える列車たち。そこには、国を支える輸送の使命と、…
国鉄末期、余剰となった郵便・牽引車が、1M方式という異色の構造で旅客車へと再生された――123系。改造から30年以上、老朽化と部品枯渇の波にさらされながらも、山口の地で今なお現役を貫く。瀬戸内色に染まり、地域の足として走り続けるその姿は、国鉄が遺し…
国鉄の牽引車が、民営化の波に飲まれながらも旅客車として再生された――クモハ123形600番台。冷房化、ワンマン化、幌付き貫通扉…度重なる改造を経て、富士の麓を黙々と走り続けた。静かなる功労車は、20年の時を経て、誰にも知られずその使命を終えた。だが、…
クモハ123形600番台は、牽引車クモヤ145形を種車として1988年にJR東海が改造・登場させた1M方式旅客車です。主電動機はMT46形を再利用し、発電・抑速ブレーキは未装備。検査体制の合理化とコスト削減を目的に、編成単位での運用管理へ移行した結果、牽引車の…