旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔4〕

《前回のつづきから》 往路に貨物を積んだコンテナを、復路にも貨物を積もうとするものです。あたりまえのようなことですが、これがなかなか難しかったようで、筆者も鉄道マン時代に駅に到着した空コンテナをコキ車から降ろしている作業を何度も見たことがあ…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔3〕

《前回のつづきから》 1990年代はじめのバブル経済崩壊と、その後の景気低迷は鉄道貨物輸送にも大きな変化をもたらしました。不景気により生産活動も低下し、コスト削減を目的に生産拠点を国外へ移す企業も続出し、かつてのような需要もなくなって貨物輸送量…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔2〕

《前回のつづきから》 1987年の国鉄分割民営化によって、鉄道貨物輸送を継承したJR貨物は、引き続き車扱貨物のコンテナ化を推進していくことになります。しかし、すべての貨物をコンテナ化することは叶いませんでした。そのため、国鉄から継承した物資別適合…

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔1〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代の貨物輸送といえば、ほとんどが運ぶ貨物に特化した貨車が運用されていました。物資別適合貨車と呼ばれるもので、例えば液体や粉体を運ぶタンク車や、粒体などを運ぶホッパ車など、多種…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年の分割民営化では、ED76 500番代はJR北海道に継承され、岩見沢第二区を引き継いだ空知運転所配置となって、引き続き函館本線電化区間の客車列車を牽いていました。 しかしながら、分割民営化直後にJ…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道専用交流電機として、ED75 500番代の試作の後、量産形式として登場したED76 500番代は1968年から製造が始められました。同じED76という形式を名乗っていても、制御装置にはサイリスタ位相制御を採用…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【4】

《前回のつづきから》 ED76 500番代は多くの耐寒耐雪装備をもつ、北海道専用の交流電機ですが、台車などの足回りについては0番代とほぼ同じでした。 電動台車はED74以来、交流D級電機に標準的に装着されているDT129を装着しました。この台車は主整流器を水銀…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【3】

《前回のつづきから》 1968年から製造が始められたED76 500番代は、ED75 500番代の試験結果を基に改良を加えた北海道向け量産交流電機でした。 制御方式は九州向けのED76が低圧タップ切換制御と磁気増幅器によるタップ間電圧位相制御であるのに対し、ED76 50…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【2】

《前回のつづきから》 1966年に開発されたED75 500番代は、711系と同じく無可動・無接点化を実現できるサイリスタ位相制御を採用した交流電機でした。 通常の交流電機は、主変圧器に設けられた接点を切り替えるタップ切換制御が主流でした。このタップが主変…

「お家の事情」で構造が異なっても同一形式を名乗った北の交流電機【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 1960年代は国鉄にとって、車両開発真っ盛りの時期といってもいいほど、実に多くの機関車が開発されました。特に交流電機は、パワーエレクトロニクスの技術の急速な発達によって一形式ごとに装備…

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【5】

《前回のつづきから》 DD53の後補機用として新製されたDD20 2号機は、長岡運転所に配置されました。DD53は東新潟機関区の配置だったので、同じ運用に就くのであればDD20も東新潟区に配置すれば効率的だと考えられますが、国鉄はなぜかDD20を長岡所に配置して…

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【4】

《前回のつづきから》 DD51を半分にすることで、製造・運用コストの軽減を狙い、DD13ではなし得なかった重入換用として期待されたDD20も、実際に運用してみると様々な問題点が浮き彫りになり、「失敗作」の烙印を押されて1号機がつくられたのみで終わってし…

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【3】

《前回のつづきから》 本格的な本線用ディーゼル機であるDD51がほぼ成功し、続々と量産されて非電化の地方幹線で多様されていった一方、大規模操車場などでの重入換運用に最適な機関車も必要とされていました。 DD51をそのまま重入換運用に充てるのは、性能…

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 国鉄初の制式ディーゼルエンジンであるDMH17は、出力180PSと非力ながらも、それなりに使うことができました。このDMH17を2基搭載して開発されたのがDD11でした。さらに戦後、進駐してきた米軍が持ち込んだ…

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 日本のディーゼル機関車の開発は、欧米のそれと比べてしばしば「ガラパゴス」といわれるほど、独特の進化を遂げてきました。それというのも、欧米では車両の開発の多くは車両製造メーカーが担っ…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年に国鉄が分割民営化され、旅客会社6社と貨物会社1社、さらに付帯する事業を営む2社と財団法人1法人に事業が継承されますが、50系は製造からの経年が浅すぎたため、そう簡単に余剰廃車とすることはで…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 50系は1978年に登場すると、さっそくローカル線で旧型客車で運転されていた列車に充てられていきました。次第にその勢力を全国へと伸ばしていき、東北から九州まで進出していきます。また極寒地仕様で設計…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 旧型客車の緩急車は、基本的に車掌が乗務する車掌室は車両の一方に設けられていました。つまり、車掌室は1つしかなく、オハフ33ではデッキを車端部に配置していたため、車掌室はデッキの内側、すなわち客…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 豪華な設備を誇る特急用客車として20系が増備され、夜行特急列車は順次これに置き換えられていく一方、急行列車や普通列車は相変わらずスハ43系を中心とした車両によって運転されていました。国鉄が開発し…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 1987年の国鉄分割民営化はまさに、日本の鉄道にとって「天変地異」にも等しい大事件といえるものでした。1872年に当時の新橋駅−横浜駅(旧汐留駅−桜木町駅)間に日本で初めて鉄道が開業する前年に…

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info DE11は、ローカル線など線路規格の低い線区でも運用でき、冬季の客車列車では必要不可欠の暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載し、かつ大出力エンジンを1基搭載したDE10をベースに、操車場などでの重入換用に…

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 神奈川県内にある東海道本線の貨物輸送の拠点は、横浜港に隣接した横浜港駅や高島駅、山下埠頭駅などがありました。いずれも高島線と呼ばれる支線にあり、神戸方への輸送には難がありました。また、横浜以…

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 日本の物流と私たちの生活を支える鉄道貨物輸送は、今日では発駅から着駅までの間を必要な場合を除いて停車したり、貨車の入換をすることなく通して運転される拠点間輸送方式によっておこなわれ…

思い出の上越特急「はくたか」【4】

《前回のつづきから》 ほくほく線は上越線六日町駅と信越本線犀潟駅の間を短絡する路線です。開業当初から上越線越後湯沢駅と信越本線直江津駅を列車の発着駅とし、特に越後湯沢駅では上越新幹線との接続を優先したダイヤ設定にしました。 この上越線と信越…

思い出の上越特急「はくたか」【3】

《前回のつづきから》 このように、1977年の「はくたか」は、食堂車もありスイッチバックもありで、今思うと楽しい列車だったのではないかと思えます。しかし、まだ幼かった筆者にとっては、長い旅路は少しばかり「飽き」がきてしまいましたが、それでも憧れ…

思い出の上越特急「はくたか」【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その「はくたか」ですが、筆者にとって思い出深い列車の一つです。 まだ小学校に上がった頃か、幼稚園の年長だった頃か定かではありませんが、今は亡き父に連れられて乗ったことがあります。このブログで…

思い出の上越特急「はくたか」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 この記事を執筆している時点で、早くも1月が終わろうとしています。昔から「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」と言われるほど、年度末に近づけば近づくほど時が経つのが早いものです。筆…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その後、1000番代PF形とEF66の増備によって、500番代F形は特急貨物列車の運用から次第に離れていき、一般の貨物列車の運用に充てられるようになりました。また、レサ10000で組成された鮮魚特急貨物列車は…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年にP形と同じ時期に製造されたF形は、新製後に吹田第二機関区に配置されて、さっそく特急貨物列車の運用に就きました。 特急貨物列車は操車場を経由せず、発駅と着駅を通して運転する拠点間輸送の形…

見た目ではブルトレ牽引機 最強電機登場までのリリーフだったF形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ところが、すべての電機やディーゼル機に重連総括制御装置を装備しませんでした。重連運転を想定していない車両には、使いもしない装置を装備させては製造コストが割高になるのです。それだけでなく、検査…