JR北海道
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年に製造されたキハ54形は、JR北海道とJR四国にとって貴重な戦力として走り続けています。新製以来、すでに39年という長い年月が経っていますが、軽量ステンレス車体は冬季の厳しい気候や、海沿いを走…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2003年になると、主要機器の更新工事が施工されました。もともとキハ54形は車体やエンジンを除いて、多くの機器を廃車となった車両から発生したものを再利用していました。国鉄末期にすでに破綻した状態の…
《前回からのつづき》 北海道向けに製造された500番台は、四国の配置された0番代と異なりました。0番代が松山運転所に集中配置されたのに対し、500番台は旭川、苗穂、函館、釧路の4つの区所に分散配置されたのです。これは、北海道が四国と比べて広大であり…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年から1987年、すなわち国鉄の最末期に、キハ54形は0番台12両と500番台29両、合計で41両が製造されました。JR北海道とJR四国が国鉄から継承した気動車の数からすると、かなりの小所帯(キハ40系:JR北…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 北海道で使うことを前提とした極寒地仕様の500番台は、暖地仕様の0番台とは大幅に設計が異なりました。なにより、冬の北海道は気象条件が非常に厳しく、気温は0度以下になることも多々あり、そして何より…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 0番台には冷房装置も設置されました。従来、国鉄の気動車は急行形や特急形といった優等列車に使う車両に装備され、ローカル運用が主体の一般形や通勤形には設置されませんでした。しかし、私鉄の多くが一…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 車体も従来の国鉄形気動車とは一線を画する新機軸が導入されます。 キハ54形が開発された1986年には、国鉄もオールステンレス車の導入を本格的に進めていました。従来、オールステンレス車は東急車輛が親…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ54形を製造するにあたって、コストを可能な限り抑えることが重要視されたといえます。10年前の1970年代であれば、「必要だから」という理由で鉄道債券を発行し、借金をしてでも目的に合わせた車両を設…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 地方のローカル線の多くは、沿線の人口が少ない過疎地域であり、そこに走る鉄道は輸送量が低いため、設備投資の大きい電化工事がされることなく、非電化の路線が数多くあります。特に北海道や四国、九州で…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて、日本の全国津々浦々で陸上交通を支えてきた日本国有鉄道、国鉄が分割民営化されてから35年以上が経ち、2年後の2027年には早くも40年が経とうとしています。民営化後に設立された旅客会…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道に残ったキハ143は、室蘭本線での運用を続けていましたが、こちらも後継となる737系の新製増備に伴って、運用を終了するアナウンスがされました。もともと、キハ143が運行されていた室蘭本線室蘭−東…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2012年の札沼線電化開業と、それによる電車への置き換えにより多くの車両が運用を失い、廃車あるいは海外へ譲渡されていったキハ141系ですが、国内の鉄道事業者に譲渡された車両もありました。 譲渡先はJR…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ143とキサハ144に装備されたN-AU26は、国鉄末期に採用された気動車用の冷房装置でした。元をたどるとデンソー製のバス用機関直結式クーラーで、国鉄が独自に開発したものではない、いわゆる民生品を使…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 札沼線沿線はベッドタウンとして開発が続き、沿線の人口も増加し続けていました。そのため、ラッシュ時には混雑が激しくなり、多くの乗客を乗せたことで車両の重量も増したため、強力なエンジンを搭載した…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info キハ141系は、余剰となった50系51形客車を改造の種車としました。50系51形は製造から長くて10年強、短いものでは10年に満たないなど車齢は若く、状態もそれほど悪くありませんでした。そして、かつてのキ…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両がその使命を終えたとき、その多くは廃車手続きがとられて車籍が抜かれた後、解体処分されます。新製から相当の年月、少なくとも数回の全般検査を受けて20年程度、長い場合は40年以上も…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年の分割民営化では、ED76 500番代はJR北海道に継承され、岩見沢第二区を引き継いだ空知運転所配置となって、引き続き函館本線電化区間の客車列車を牽いていました。 しかしながら、分割民営化直後にJ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 北海道専用交流電機として、ED75 500番代の試作の後、量産形式として登場したED76 500番代は1968年から製造が始められました。同じED76という形式を名乗っていても、制御装置にはサイリスタ位相制御を採用…
《前回のつづきから》 ED76 500番代は多くの耐寒耐雪装備をもつ、北海道専用の交流電機ですが、台車などの足回りについては0番代とほぼ同じでした。 電動台車はED74以来、交流D級電機に標準的に装着されているDT129を装着しました。この台車は主整流器を水銀…
《前回のつづきから》 1968年から製造が始められたED76 500番代は、ED75 500番代の試験結果を基に改良を加えた北海道向け量産交流電機でした。 制御方式は九州向けのED76が低圧タップ切換制御と磁気増幅器によるタップ間電圧位相制御であるのに対し、ED76 50…
《前回のつづきから》 1966年に開発されたED75 500番代は、711系と同じく無可動・無接点化を実現できるサイリスタ位相制御を採用した交流電機でした。 通常の交流電機は、主変圧器に設けられた接点を切り替えるタップ切換制御が主流でした。このタップが主変…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 1960年代は国鉄にとって、車両開発真っ盛りの時期といってもいいほど、実に多くの機関車が開発されました。特に交流電機は、パワーエレクトロニクスの技術の急速な発達によって一形式ごとに装備…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 711系にはこれ以外にもいくつかの特徴があります。本州以南で運用された車両の多くは、客室の即窓は開口部が大きく、上下段ともに上昇または上段下降下段上昇のアルミサッシの窓が設けられました。しかし…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今年は梅雨入りが例年よりも早く、5月から雨続きのところがある一方、平年並みでそろそろかな、というところもあるようです。ただ、梅雨明けは平年よりも速いという予報もあるとかないとかで、…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 札沼線もまた、そのような路線の一つでした。いえ、正確には札沼線は札幌都市圏を走る札幌ー石狩当別間はそれなりの需要があります。しかし、末端区間と呼ばれる石狩当別ー新十津川間は極端に利用者が少な…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。 国鉄が生み出した…
前回からの続き blog.railroad-traveler.info 北海道特有の厳しい冬に耐えることができる装備を施した781系は、電気機器の無接点化をはじめ、多くの新機軸が取り入れられた特急形電車でした。 空調装置もその一つ。国鉄の特急形電車は基本的に客室の窓は固定…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 北海道の鉄道といえば、そのほとんどが非電化なので昔から気動車が跳梁跋扈していました。それは時代が変わっても同じで、一部を除いて国鉄から引き継いだキハ40系が今も主役です。 しかし例外…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 北海道の冬は本州以南と比べものにならないほど過酷な環境であることは、このブログでも何度かお話しさせて頂いております。北海道の中心都市である札幌でも、冬になれば雪に覆われ、しかも街中…