小田急電鉄
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2012年3月17日のダイヤ改正をもって、登場から20年を経た20000形RSE車と371系は、「あさぎり」をはじめとしたロマンスカーとしての定期運用から退いていき、その座を60000形MSE車に譲りました。そして、最…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 20000形RSE車と371系とで最も揃えられたのは、車両構成と接客設備でした。 沼津方から1号車、2号車と組成されていましたが、どちらも7両編成で4M3Tを組んでいました。そして、沼津型先頭車も新宿方先頭車…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 耐用年数を大幅に超えて「あさぎり」として走り続けた3000形SE車は、1987年になってようやくその役割を終え始めるようになりました。3011号✕5連が運用から外されて廃車となり、残る4編成で「あさぎり」を…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1968年7月のダイヤ改正で電車化された「あさぎり」は、気動車時代と同じく小田急線内は特別準急、御殿場線内は準急として運行されました。3000形SE車がこの種別で運用されたのはわずか3か月で終わり、1968…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1955年10月1日のダイヤ改正で、キハ5000形を使った御殿場線直通の特急列車の運行が始められました。列車はすべて新宿駅から小田急小田原線を経由し、国鉄御殿場線の御殿場駅までの2往復が設定され、1往復…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1955年に計画通りにキハ5000形を使って、新宿駅―御殿場駅間を結ぶ列車の運行を始めることになります。しかし、ここでもう一つの問題を解決しなければなりませんでした。 それは、このキハ5000形を運転する…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 大手私鉄、それも全線が電化されているので電車が主体の鉄道事業者としては、異例の気動車として製作されたキハ5000形は、1955年の直通運転を目前に控えた同年9月に東急車輛で落成し、小田急へ入線しまし…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 世の中には「異色の経歴」の持ち主に出会うことがあります。かくいう筆者も職場では「異色の経歴」の持ち主に見られることが多々あります。鉄道にもそうした「異色の経歴」を持つ例が散見されま…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1981年頃、小田急小田原線生田駅で捉えた3100形NSE車です。 ロマンスカーを象徴するグレー地にオレンジバーミリオンとホワイトの帯をいれた塗装は、SE車以来の伝統ともいえるものでした。 当時、…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 戦後の混乱も落ち着いてくると、専用の車両が登場していきました。1910形は2扉で扉付近はロングシートでしたが、ほかはクロスシートを備えたことで、特急列車としてのサービスを向上させました。そして、…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いつかは乗ってみたいと思う列車はあるでしょうか。筆者の世代であれば、子どもの頃にはブルーに白の細い帯を巻き、夜通し走り続けて翌日に目的地に送り届けてくれる寝台特急、ブルートレインが…
《前回のつづきから》 20m級大型車を運用する大手私鉄は、関東では東武鉄道と小田急電鉄、東急電鉄、そして相模鉄道があります。この中で、東武鉄道は8000系という抵抗制御車を運用していることから、車両譲渡を希望しても応えてもらえる可能性は皆無といっ…
《前回のつづきから》 ■ 2015年に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」、いわゆるSDGsは国や個人、法人を問わず、その目標達成に向けてあらゆる努力をしていくことになります。日本の鉄道事業者も例外ではなく、企業イメージも相まって様々な施策を進…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1977年から製造された2000系は、西武初の界磁チョッパ制御車でした。しかし、この2000系をもって抵抗制御車を淘汰することには至らず、それどころか1993年から製造が始められた9000系は101系の廃車発生品…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■西武が「サステナブル車両」という他社車両を譲受する背景 西武鉄道は、戦後間もない頃から国鉄の戦災国電や廃車発生品を大量に払い下げを受けて、車両の近代化と拡充を図ってきました。1946年に開設した…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■争いの歴史を乗り越えて協力関係を築く 箱根山戦争や伊豆戦争と呼ばれた、関東大手私鉄同士の企業間競争は1960年代に入ると徐々に収束していきました。さすがに熾烈を極め、しかも法廷闘争の泥試合をよし…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 戦前から戦後間もない頃まで、芦ノ湖の遊覧船事業は西武グループの駿豆鉄道が一社で担っていましたが、1950年になると箱根方面への観光輸送に力を入れていた小田急電鉄と箱根登山鉄道は、芦ノ湖の湖上航路…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 世の中には、時として「度肝を抜かれる」ほど驚かされることがあります。「あり得ない」「本当か?」などと思わず口にしてしまう程のことで、何にせよ、それまでの常識を言葉通り打ち破るほどの…