旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

JR西日本

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【7】

《前回からのつづき》 383系が増備され、長野駅発着の運用がすべて置き換えられた後も、松本駅・白馬駅発着の「しなの」の運用は残り、381系は4往復のみに充てられるようになり、JR西日本の381系とは対称的に風前の灯になりつつありました。 それでも、1998…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info クモハ381形は1986年のダイヤ改正から「やくも」の運用に充てられ、国鉄が計画した通り「やくも」を6両編成に短縮させ、輸送力の適正化と臨時列車を含めた運行本数を増発を実現しました。 登場した翌年の1…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1986年にモハ381形を種車に改造によって製作されたクモハ381形は、この年のダイヤ改正まで運用されていた「やくも」の編成から、サロ1両を連結したまま6両編成に組み替え、そこから捻出された車両を使うこ…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は既にお話してきたように、急曲線が多く存在する線区において、特急列車の所要時間を短縮させるために、車体傾斜装置である自然式振子装置を装備した特異な特急形電車でした。 中央西線の「しなの」…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 国鉄分割民営化が具体化しつつあった1980年代半ば、それまで長大編成を組むことが当然とされていた特急列車にも合理化のメスが入れられていきました。 特急列車は「特別急行列車」を指し、「特別」である…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 381系は急曲線を傾斜装置の一つである自然振子を使って、曲線通過時に生じる遠心力を緩和して乗り心地を損なわないようにするとともに、遠心力によって車輪の浮き上がりなどによって脱線することを防ぎ、…

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄の分割民営化から今年(2024年)で37年目になります。民営化直後は国鉄から継承した車両のみで列車を運行していましたが、直後からは新しい会社にふさわしい車両を開発増備し、徐々に国鉄形…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info このブログでもお話しましたが、筆者は鉄道職員として貨物会社に採用されると、すぐに九州支社勤務を命じられて赴任しました。月に2回は会社から帰郷が許され、旅費も支給されたので、この時とばかりに門…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、筆者は一度だけ、この業務用室を利用したことがあります。 中学生だったか小学生だったか、細かいことは忘れてしまいましたが、祖父に連れられて妹と九州旅行へ行くのに新幹線に乗っていたとこ…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 東海道新幹線が開業してから8年後の1972年に、山陽新幹線が岡山まで開業しました。東海道新幹線を延伸する形で、国鉄の路線名称では新大阪−新神戸間が東海道本線の、新神戸−岡山間が山陽本線の無名別線と…

日常を忘れさせてくれる食堂車 かつて、新幹線には食堂車があった【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、新幹線で食事をしたことがあると話すと、「弁当を食べたの?」と言われます。いえ、弁当なら今でも新幹線に限らず、在来線の列車でも食べることができます。そうではなくて、新幹線に「…

思い出の上越特急「はくたか」【4】

《前回のつづきから》 ほくほく線は上越線六日町駅と信越本線犀潟駅の間を短絡する路線です。開業当初から上越線越後湯沢駅と信越本線直江津駅を列車の発着駅とし、特に越後湯沢駅では上越新幹線との接続を優先したダイヤ設定にしました。 この上越線と信越…

思い出の上越特急「はくたか」【3】

《前回のつづきから》 このように、1977年の「はくたか」は、食堂車もありスイッチバックもありで、今思うと楽しい列車だったのではないかと思えます。しかし、まだ幼かった筆者にとっては、長い旅路は少しばかり「飽き」がきてしまいましたが、それでも憧れ…

思い出の上越特急「はくたか」【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info その「はくたか」ですが、筆者にとって思い出深い列車の一つです。 まだ小学校に上がった頃か、幼稚園の年長だった頃か定かではありませんが、今は亡き父に連れられて乗ったことがあります。このブログで…

思い出の上越特急「はくたか」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 この記事を執筆している時点で、早くも1月が終わろうとしています。昔から「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」と言われるほど、年度末に近づけば近づくほど時が経つのが早いものです。筆…

老体にむち打ち今なお吉備路を走り続ける国鉄形【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info 京阪神に225系が投入され、押し出された223系が福知山…

老体にむち打ち今なお吉備路を走り続ける国鉄形【2】

《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info 221系は京阪神の新快速に投入されてきたこともあり、車両の接客設備は一定の水準を満たしています。しかし103系は通勤形と呼ばれるロングシートを備えただけのものであり、その収容力を生かして大都市圏での…

老体にむち打ち今なお吉備路を走り続ける国鉄形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄の分割民営化から早くも35年が経とうとしています。1987年に分割民営化によって誕生した旅客6社と貨物1社、そして情報システム1社と研究機関1法人は、今日に至るまでそれぞれの特徴を大きく…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところが、山陽新幹線は東海道新幹線と直通で運転されていますが、その環境は全く異なるものといっていいでしょう。岡山や広島、小倉、博多と大都市を結んではいますが、大阪対山陽・九州と大阪対東京では…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 前回に続いて今回もキハ40系のお話です。 国鉄から各旅客会社が継承した気動車の中で、最も数が多かったのがキハ40系でした。1977年から1982年にかけて888両という大量に製造された一般形気動車…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2000年3月、筆者が貨物会社を退職してから6年近くが経ち、世の中はミレニアムで湧いて、システムエンジニアとして西暦2000年問題も片付けホッとしていた頃、1094号機はJR西日本での廃車となり、JR貨物に売…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info こうして、下関所に配置になった1094号機は、同時期に配置された第7次車の僚機とともに、東京ー九州間のブルトレ運用を500番代P形から置換えていきました。いわゆる、ブルトレ牽引機の交代劇が始まったの…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 数ある国鉄形電機の中で、どのカマが一番お好きでしょうか? こんな質問を投げかけられると、「国宝級」とまで言われているEF66 27号機を上げられる方がおおいかと思われます。確かに、国鉄直流…

この1枚から "平成生まれ"の焼きタラコ

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて財政事情が火の車だった国鉄は、様々な経費節減策を行っていました。その一つに、車両の塗装を簡略化するというもので、特に気動車は朱色とクリーム色の二色塗りから、朱色一色の「首都圏…

この1枚から 最後の力を振り絞って走り続けた485系

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 クリーム色地に窓周りに引かれた赤い帯。ボンネットとまでは行かないものの、他の車両とは運転台も高い一にあるので、その独特な形状をもった485系は、国鉄時代から大都市と幹線沿線の主要都市…

この1枚から 盛夏の京都駅にて

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今年の夏も、目が回るような酷暑です。仕事柄、ほぼ毎日のように朝は天気情報を確かめるのですが、晴れる日であればオレンジ色の背景に太陽のイラストのアイコンが表示されるところを、赤い背景…

この1枚から 平成になって「復活」した「焼きタラコ色」の悲しき姿

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、国鉄の気動車の塗装が、朱色4号とクリーム4号の二色塗りだったいわゆる「一般形気動車色」から朱色5号一色の「首都圏色」へと変えられました。塗装工程の省力化と、二色塗りによる塗料…

この1枚から 数奇な履歴の持ち主・EF66 20の場合

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先日投稿した記事では、異色の経歴の持ち主ともいえる、大井川鐵道のナロ80についてお話をさせていただきました。こうした履歴をもつ鉄道車両は他にも例がありますが、今回はこちらのEF66 20号…

海峡下の電機の系譜【Ⅴ】 北の要衝・津軽海峡を貫く青函トンネル(1)

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 5月から6月にかけて特集として掲載しました「海峡下の電機の系譜」では、関門トンネルとそこを走る電気機関車のお話をさせていただきました。 今回は日本列島を一つに繋ぐもう一つの海底トンネ…

この1枚から スカ色の「山電」

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 普通鋼でできた国鉄型車両も、21世紀も20年が経った2020年には多くが姿を消し、JR西日本で運用される113・115系などと、JR東日本の185系ぐらいになってしまいました。 普通鋼は経年とともに劣化…