旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

私鉄

令和の春に静かに退いていった営団7000系【3】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2008年に副都心線は、池袋−渋谷間が開業しました。この間、帝都高速度交通営団は2004年に民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となり、7000系の前面貫通扉や車体側面の客室窓上に取り付けられてい…

令和の春に静かに退いていった営団7000系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 7000系は1974年の有楽町線開業により、計画通りに営業運転に使用開始されました。有楽町線のラインカラーはゴールドでしたが、7000系にはその近似色となる黄色の帯が巻かれていました。 開業当初の有楽町…

令和の春に静かに退いていった営団7000系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 このブログでも、何度かお話してきましたが、当たり前だった光景が気がつくとすっかり様変わりしていた、ということは数多くあるかと思います。 筆者も、4月の人事異動で東横線沿線にある職場に…

この1枚から 随一の「強運」持ち主 半世紀近くを走り続ける東急8000系〔2〕

《前回のつづきから》 8039Fは大規模な更新工事を施されることはありませんでしたが、前面に赤帯が入ったことの他に、細かいながらも時代に合わせた改造が施されました。中でも最も大きかったといえるのが、1997年までに施工された運転台機器の取り替えです…

この1枚から 随一の「強運」持ち主 半世紀近くを走り続ける東急8000系〔1〕

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いまから30年以上も前のことですが、高校時代は東横線を使って通学していました。当時、公立の普通科高校は学区が定められていて、よほど特別な事情がある場合を除いて、越境をすることができま…

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」〔1〕

《前回のつづきから》 多摩川園駅は島式1面と相対式2面のホーム構成で、東横線の上り線と目蒲線の下り線がそれぞれ相対式ホームを使い、東横線の下り線と目蒲線の上り線が島式ホームを使っていました。そのため、渋谷方面から蒲田方面へ、あるいはその逆に乗…

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者の住まいからほど近い元住吉の車庫(元住吉検車区)には、数多くの車両が並んでいます。東急電鉄の5050・5070系をはじめ、東京メトロの17000系、東武9000系など、自社、乗り入れ他社局の車…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【4】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2000年代に入っても、東武は吊り掛け駆動車である5000系を運用し続けていました。冷房装置もなく、走行するときのモーター音も大きく、そして振動も激しいこの古い車両を長年大切に使い続けてきましたが、さ…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【3】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 1985年から6000系を更新する形で登場した6050系は、種車となる6000系が運用を離脱した順で施工されていきました。そのため、一時は6000系と併結運転をする姿も見られたようです。 一方で、更新工事を進めて…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【2】

《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 一方では鬼怒川線から新たに開業する野岩鉄道、さらには会津鉄道への直通運転が計画されていました。特に野岩鉄道は奥鬼怒川から会津までを結ぶ路線であるため、多くの長大トンネルが存在することになってい…

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 子どもの頃から鉄道が好きな筆者は、鉄道模型にも憧れを抱いていました。なにしろ、駅や線路際まで行かなければ見ることのできない鉄道車両が小さくなって、手許のテーブルや座敷の上で走る姿を…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【5】

《前回のつづきから》 こうした流れの中で、岳南線に乗り入れる紙輸送列車は変わらずワム80000によって行われていましたが、JR貨物としては早期にコンテナへ転換したかったのです。というのも、ワム80000の最高運転速度は75km/hに留まっていたので、高速化す…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年2両が落成したED40は、計画通りに上高地線でのダム建設工事用資材を輸送する貨物列車を牽く任に就きました。建設資材という重量物を輸送するため、ED40の新製だけでなく、上高地線の軌道を強化する…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。 それま…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通…

この1枚から 秩父のセメントを運んだ「テキ」【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 秩父セメントは、良質な石灰石が採掘される秩父山地に近い秩父市とその近傍に拠点を構えたセメント会社です。セメントの原材料となる石灰石は、秩父山地に豊富にあり、特に現在でも採掘が行われている武甲…

この1枚から 秩父のセメントを運んだ「テキ」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代は実に多種多様な貨車が使われていました。有蓋車だけでもパレット輸送ように特化したワム80000や、旧来からある形態のワム90000。さらに冷蔵車や無蓋車など挙げたらキリがないほどバラ…

この1枚から 姿変えても50年以上物流を支え続けるDD13【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info DD552 16号機は国鉄から譲渡されたDD13 306号機でした。 DD13は言わずとしれた本格的な国産液体式ディーゼル機関車で、国鉄におけるディーゼル機関車の礎を築いた機関車です。開発当初は出力370PSのDML30S…

この1枚から 姿変えても50年以上物流を支え続けるDD13【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両の寿命は車種や用途、設計、運用状況などにより大きく異なります。例えば常に高速で長距離運用をこなし続ける新幹線電車は、その寿命は10年から10数年程度と短いことで知られています。…

この1枚から 目蒲線時代、数少ない冷房車だった7200系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 7200系も登場当初は東横線や田園都市線といった、東急電鉄でも本線格の路線で運用されていました。しかし、増加の一途をたどる利用者を効率的かつ安定的に輸送するためには、18m級車体をもつ車両ではもは…

この1枚から 目蒲線時代、数少ない冷房車だった7200系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今年も8月は酷暑に見舞われるかと思いましたが、以外にもお盆の時期は雨続きになり、盆明けは再び熱くなったのもつかの間、9月に入った途端に再び天気が崩れて涼しい日が続いています。 夏にな…

この1枚から 東急大井町線の8090系・晩年の頃【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近は国鉄・JRネタを多く取り上げていたため、地元の私鉄の話題はすっかりとご無沙汰しておりました。ついこの間のこと、秋に予定しております校外学習の下見で久しぶりに鉄道を使って移動しま…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 西鉄北九州線ですが、筆者が門司にいた1991年当時はまだ現役でした。現役と言っても、翌1992年に砂津ー黒崎間が廃止になってしまったので、既に実質的な廃止直前の頃と言ってもいい頃でした。 そもそも西…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、日本の各地には路面電車が市民の足として活躍していました。人口100万人程度を超える政令指定都市の多くは、大なり小なり併用軌道が道路に敷かれ、そこには1両単車から2〜3両の連接車な…

この1枚から 東横線を疾駆していた9000系【後編】

前回のつづき blog.railroad-traveler.info 筆者が高校に進学し、毎日のように東横線に乗って通学するようになると、8000系が来るかそれとも9000系が来るか、少々ワクワクしたものでした。残念ながら、乗車駅も降車駅も各停しか停まらなかったので、当初はほ…

この1枚から 東横線を疾駆していた9000系【前編】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 電車の制御にはいろいろな方法があることは、ご存知の方も多いかと思います。その昔は電気的にも容易で、保守の面でもそれほど難しくなかった抵抗制御が主流でした。というよりは、抵抗制御しか…

この1枚から 老兵、青く染まらずただ去りゆくのみ【後編】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 新7000系は7000系や、アルミ車の先輩格である2100系、5100系などとともに、相鉄沿線の多くの乗客を乗せて走り続けました。途中、ボックスシートを備えたセミクロスシート車も増備され、接客サービスの向上…