私鉄
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 まずはじめに、記事の投稿が逆になっておりましたこと、お詫び申し上げます。遂行の段階で、7番目の記事の自動投稿を取り消していましたが、8番目の取り消しをするのを忘れ・・・気づいたら、6番目…
《前回からのつづき》 8500系は1974年から長きに渡って増備が続けられたことから、途中幾度となく細部の設計が変更されています。特に8090系が製造された1980年の第12次車以降と、9000系が製造された第18次車以降で、外観からもわかる変更が見られました。 8…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1978年に営団半蔵門線が開業すると、当初の計画通りに新玉川線との相互直通運転が始められました。しかし、この時点で渋谷−青山一丁目間の2駅だけの開通だったため、営団側は車両の用意はしないで東急車の…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 今日、田園都市線で運用される車両は長津田検車区に配置されていますが、この当時は田園都市線で運用される車両は、長津田検車区の完成による移転までは、鷺沼駅の渋谷方海側にあった鷺沼検車区の配置でし…
《かなり間が開いてしまいましたが・・・前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1975年から田園都市線・新玉川線用として、8000系を基本に営団との協定に基づいて半蔵門線直通仕様に改めて製作されたのが8500系でした。 基本的な構造は8000系から大き…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 異なる鉄道事業者同士が相互直通運転を実施するために、乗り入れる車両については規格を統一することは、ごく一般的なものでした。乗り入れ相手となる鉄道事業者が保有する車両が自社線内に入ってきたとき…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 東急田園都市線といえば、何を思い浮かべるでしょうか。 閑静な住宅街に通じる鉄道路線と思われる方は、きっと筆者と同じ年代か、それよりも上のご先輩方でしょう。しばしばテレビドラマの舞台…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 3100形のうち2両(3103+3104)は、月江寺駅付近の踏切において立ち往生した自動車と接触し、ブレーキを作動させるための空気溜めを破損、ブレーキが使えない状態で下り勾配を逸走していき、約4kmの距離を…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 地方私鉄である富士急行は、保有する車両も必要最小限しかなかったため、2両が廃車になったことで運用に余裕がなくなります。そこで、事故廃車になった2両の代替として、新たな車両を確保する必要が出たの…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両の中には、傑作ともいえるベストセラーもあれば、失敗作と言われてしまう残念なものもあります。そして、新機軸を多数投入した試作的要素の強い意欲作とよべるものもあるのが事実です。…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2008年に副都心線は、池袋−渋谷間が開業しました。この間、帝都高速度交通営団は2004年に民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となり、7000系の前面貫通扉や車体側面の客室窓上に取り付けられてい…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 7000系は1974年の有楽町線開業により、計画通りに営業運転に使用開始されました。有楽町線のラインカラーはゴールドでしたが、7000系にはその近似色となる黄色の帯が巻かれていました。 開業当初の有楽町…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 このブログでも、何度かお話してきましたが、当たり前だった光景が気がつくとすっかり様変わりしていた、ということは数多くあるかと思います。 筆者も、4月の人事異動で東横線沿線にある職場に…
《前回のつづきから》 8039Fは大規模な更新工事を施されることはありませんでしたが、前面に赤帯が入ったことの他に、細かいながらも時代に合わせた改造が施されました。中でも最も大きかったといえるのが、1997年までに施工された運転台機器の取り替えです…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いまから30年以上も前のことですが、高校時代は東横線を使って通学していました。当時、公立の普通科高校は学区が定められていて、よほど特別な事情がある場合を除いて、越境をすることができま…
《前回のつづきから》 多摩川園駅は島式1面と相対式2面のホーム構成で、東横線の上り線と目蒲線の下り線がそれぞれ相対式ホームを使い、東横線の下り線と目蒲線の上り線が島式ホームを使っていました。そのため、渋谷方面から蒲田方面へ、あるいはその逆に乗…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者の住まいからほど近い元住吉の車庫(元住吉検車区)には、数多くの車両が並んでいます。東急電鉄の5050・5070系をはじめ、東京メトロの17000系、東武9000系など、自社、乗り入れ他社局の車…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2000年代に入っても、東武は吊り掛け駆動車である5000系を運用し続けていました。冷房装置もなく、走行するときのモーター音も大きく、そして振動も激しいこの古い車両を長年大切に使い続けてきましたが、さ…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 1985年から6000系を更新する形で登場した6050系は、種車となる6000系が運用を離脱した順で施工されていきました。そのため、一時は6000系と併結運転をする姿も見られたようです。 一方で、更新工事を進めて…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 一方では鬼怒川線から新たに開業する野岩鉄道、さらには会津鉄道への直通運転が計画されていました。特に野岩鉄道は奥鬼怒川から会津までを結ぶ路線であるため、多くの長大トンネルが存在することになってい…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 子どもの頃から鉄道が好きな筆者は、鉄道模型にも憧れを抱いていました。なにしろ、駅や線路際まで行かなければ見ることのできない鉄道車両が小さくなって、手許のテーブルや座敷の上で走る姿を…
《前回のつづきから》 こうした流れの中で、岳南線に乗り入れる紙輸送列車は変わらずワム80000によって行われていましたが、JR貨物としては早期にコンテナへ転換したかったのです。というのも、ワム80000の最高運転速度は75km/hに留まっていたので、高速化す…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年2両が落成したED40は、計画通りに上高地線でのダム建設工事用資材を輸送する貨物列車を牽く任に就きました。建設資材という重量物を輸送するため、ED40の新製だけでなく、上高地線の軌道を強化する…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。 それま…
いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 秩父セメントは、良質な石灰石が採掘される秩父山地に近い秩父市とその近傍に拠点を構えたセメント会社です。セメントの原材料となる石灰石は、秩父山地に豊富にあり、特に現在でも採掘が行われている武甲…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代は実に多種多様な貨車が使われていました。有蓋車だけでもパレット輸送ように特化したワム80000や、旧来からある形態のワム90000。さらに冷蔵車や無蓋車など挙げたらキリがないほどバラ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info DD552 16号機は国鉄から譲渡されたDD13 306号機でした。 DD13は言わずとしれた本格的な国産液体式ディーゼル機関車で、国鉄におけるディーゼル機関車の礎を築いた機関車です。開発当初は出力370PSのDML30S…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両の寿命は車種や用途、設計、運用状況などにより大きく異なります。例えば常に高速で長距離運用をこなし続ける新幹線電車は、その寿命は10年から10数年程度と短いことで知られています。…