旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

私鉄

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【8】《終章》

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 7200系アルミ車がこどもの国線で来園客を中心とした輸送に勤しんでいた頃、長津田で接続している田園都市線の混雑の激しさは深刻な状態になっていきました。開通当時は人家もほとんどなく、未開の山々や農…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 愛知県の豊橋鉄道は、7200系を数多く購入した鉄道事業者です。名鉄系でありながら、東急から7200系の譲渡を受けて、1800系と形式を変えて今もなお運用を続けています。また、同じ東急グループの上田交通も…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1987年になると、今度は大井町線からも退いていきました。1986年から東急初のVVVFインバータ制御車である9000系が増備され、さらに1988年には将来のみなとみらい線直通を見据えて新たに製造されたデハ8590…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 7200系は、新製されたときは冷房装置のない非冷房車でした。1960年代の製造だったので、当たり前といえばそれまでですが、1970年代に入るとそれが少しずつ変化していきました。国鉄では特急用の優等列車に…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 7200系のもう一つの特徴として電動車は1両で完結することだといえます。吊り掛け駆動を採用していた旧型車の時代は、主制御器と主抵抗器といった主機類と、空気圧縮機などの補機類は1両の車両に搭載するこ…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1967年に登場した7200系は、東急電鉄として2番目のオールステンレス車でした。 7200系では、7000系のような全電動車ではなく、電動車と付随車の比率を1:1とすることで経済性を重視した設計としました。こ…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 7000系の設計は技術提携を結んだバッド社の指導のもとで進められたので、それまでの日本の鉄道車両とは一線を画するものでした。車体断面は合理的な思想を優先させるアメリカの会社らしい、単純な構造にな…

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今でこそ、鉄道車両の多くはステンレス鋼を使うことが当たり前になっています。ステンレス鋼は普通鋼と比べて腐食に強く、そして軽量であること、そして塗装を必要としないメリットがあります。…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2012年3月17日のダイヤ改正をもって、登場から20年を経た20000形RSE車と371系は、「あさぎり」をはじめとしたロマンスカーとしての定期運用から退いていき、その座を60000形MSE車に譲りました。そして、最…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 20000形RSE車と371系とで最も揃えられたのは、車両構成と接客設備でした。 沼津方から1号車、2号車と組成されていましたが、どちらも7両編成で4M3Tを組んでいました。そして、沼津型先頭車も新宿方先頭車…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 耐用年数を大幅に超えて「あさぎり」として走り続けた3000形SE車は、1987年になってようやくその役割を終え始めるようになりました。3011号✕5連が運用から外されて廃車となり、残る4編成で「あさぎり」を…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1968年7月のダイヤ改正で電車化された「あさぎり」は、気動車時代と同じく小田急線内は特別準急、御殿場線内は準急として運行されました。3000形SE車がこの種別で運用されたのはわずか3か月で終わり、1968…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1955年10月1日のダイヤ改正で、キハ5000形を使った御殿場線直通の特急列車の運行が始められました。列車はすべて新宿駅から小田急小田原線を経由し、国鉄御殿場線の御殿場駅までの2往復が設定され、1往復…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1955年に計画通りにキハ5000形を使って、新宿駅―御殿場駅間を結ぶ列車の運行を始めることになります。しかし、ここでもう一つの問題を解決しなければなりませんでした。 それは、このキハ5000形を運転する…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 大手私鉄、それも全線が電化されているので電車が主体の鉄道事業者としては、異例の気動車として製作されたキハ5000形は、1955年の直通運転を目前に控えた同年9月に東急車輛で落成し、小田急へ入線しまし…

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 世の中には「異色の経歴」の持ち主に出会うことがあります。かくいう筆者も職場では「異色の経歴」の持ち主に見られることが多々あります。鉄道にもそうした「異色の経歴」を持つ例が散見されま…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【5】

《前回からのつづき》 ■1000形 第二次世界大戦が終わり、戦後の混乱も少しずつ落ち着き始めると、経済面での復興は少しずつ進み始めていました。1950年に勃発した朝鮮戦争は、日本の経済復興に大きな影響を与え、いわゆる朝鮮特需と呼ばれる状態になりました…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■500形 西鉄の軌道線を走った500形は、福岡市内線用の車両と北九州線用の車両の2つがありました。そして厄介なことに、同じ500形を名乗りながら、両者はまったく異なる仕様と性能をもったものでした。 こ…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■北九州線の主役、冷房装備の600形 筆者が赴任した1991年は、北九州線は翌年に廃止されることが決まっていた時期だと考えられます。すでにこの頃の小倉市街は自動車が多く走り、路面電車である北九州線の…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そして実際に通勤することになると、事前に教えられた通りに寮の近くにある「別院通り」というバス停から西鉄バスに乗ります。このバス停の名称は、寮のすぐ近くにある浄土真宗本願寺派の本願寺鎮西別院か…

まさかの「通勤」で利用した路面電車 西鉄北九州線のお話【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2024年が明けた途端に、大きな災害が続きました。1日の能登半島地震では多くの被害が出て、今なお多くの方々が避難生活を余儀なくされています。2日には、東京羽田空港で着陸した日本航空機と、…

1984年の生田駅を通過する小田急ロマンスカー【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1981年頃、小田急小田原線生田駅で捉えた3100形NSE車です。 ロマンスカーを象徴するグレー地にオレンジバーミリオンとホワイトの帯をいれた塗装は、SE車以来の伝統ともいえるものでした。 当時、…

1984年の生田駅を通過する小田急ロマンスカー【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 戦後の混乱も落ち着いてくると、専用の車両が登場していきました。1910形は2扉で扉付近はロングシートでしたが、ほかはクロスシートを備えたことで、特急列車としてのサービスを向上させました。そして、…

1984年の生田駅を通過する小田急ロマンスカー【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いつかは乗ってみたいと思う列車はあるでしょうか。筆者の世代であれば、子どもの頃にはブルーに白の細い帯を巻き、夜通し走り続けて翌日に目的地に送り届けてくれる寝台特急、ブルートレインが…

いすみ学園に保存の東急デハ3455 クラファンで修復を目指す【後編】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 東急の輸送を支えたデハ3450形は、1981年から後継となる7200系や7700系などに押し出される形で順次廃車されていきます。1980年代に入ってもなお、吊り掛け駆動独特の音を響かせながら、東京の下町を走って…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【7】

《前回のつづきから》 20m級大型車を運用する大手私鉄は、関東では東武鉄道と小田急電鉄、東急電鉄、そして相模鉄道があります。この中で、東武鉄道は8000系という抵抗制御車を運用していることから、車両譲渡を希望しても応えてもらえる可能性は皆無といっ…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【6】

《前回のつづきから》 ■ 2015年に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」、いわゆるSDGsは国や個人、法人を問わず、その目標達成に向けてあらゆる努力をしていくことになります。日本の鉄道事業者も例外ではなく、企業イメージも相まって様々な施策を進…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1977年から製造された2000系は、西武初の界磁チョッパ制御車でした。しかし、この2000系をもって抵抗制御車を淘汰することには至らず、それどころか1993年から製造が始められた9000系は101系の廃車発生品…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■西武が「サステナブル車両」という他社車両を譲受する背景 西武鉄道は、戦後間もない頃から国鉄の戦災国電や廃車発生品を大量に払い下げを受けて、車両の近代化と拡充を図ってきました。1946年に開設した…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■争いの歴史を乗り越えて協力関係を築く 箱根山戦争や伊豆戦争と呼ばれた、関東大手私鉄同士の企業間競争は1960年代に入ると徐々に収束していきました。さすがに熾烈を極め、しかも法廷闘争の泥試合をよし…