旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【11】

改造で冷房化を進めてサービス改善

 1980年代に入ると、103系電車の量産も落ち着きつつありました。これは、首都圏や京阪神で走り続けていた旧型電車を、先輩である101系電車とともに103系電車によって置き換え、新性能化がほぼ終わったからでした。

 一方で、冷房化はというと、中心部を走る主要路線では冷房装備の新車をつくって配置することで改善はされましたが、それでも完全とはいきませんでした。周辺部へと進出した車両は冷房のないものが多く、駅で列車を待っていて冷房付きが来ればラッキー、そうでないのが当たり前というのが実態でした。
 何しろ国鉄保有する車両の数は膨大で、私鉄のように一気呵成とはいきませんでした。
 特に、優等列車に使われる車両から優先的に冷房化工事が行われ、一般輸送の、それも通勤形電車は後回しになる傾向がありました。加えて国鉄の財政悪化は、冷房化を進める上で大いに足枷になったといえるでしょう。
 それでも、私鉄の通勤形電車が続々と冷房化が進められてサービス水準が上がっているのに対し、国鉄がそのままというわけにはいきません。何とか費用を捻出して、101系電車や103系電車の冷房化工事を進められました。

 

 冷房化工事というと、それまで走っていた冷房のない車両に冷房装置を取り付ければ、ハイ終わり。といけばそんなに苦労はしません。実際には非常に大がかりな改造工事となり、費用もかかれば時間も労力もかかるというものでした。
 国鉄が通勤形電車に載せた冷房装置は集中式のAU75形です。これは、冷房を装備した新車にも使われている、いわば国鉄のスタンダードな冷房装置でした。

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 新製した車両に使われている同じ装備を改造車にも装備させれば、補修用の部品の調達にも都合がよく、万一故障などで載せ替えとなった時、同じものであれば予備品を使うことができて好都合です。
 それに、メンテナンスをする立場でも、同じ装備であればその方法も技術も同一なので、検修陣に新たに教育を施す手間も省けます。
 そういった国鉄らしい事情で、このとてつもなく重い冷房装置を載せるのですから大変です。屋根は大規模な補強をしなければならないし、冷風を送るダクト類も屋根に設置しなければなりません。冷房用の電源も、車両によっては交換が必要でした。
 こんな大規模な工事になるのですから、冷房化工事はなんと2~3か月も必要だったといいます。
 つまり、営業運転に使える車両を引き抜いて工場に送り、2~3か月も穴を開けてしまうということになっていたのです。そんなに穴を開けられては、運用する側も要らぬ苦労をしてしまいます。

 

 そこで、国鉄は新しくつくった冷房装備の車両を配置し、押し出された車両から冷房化工事を進め、工事が終わった車両を周辺部の路線へと送り込むこともはじめました。やがて、新造する車両もなくなると、冷房化工事が終わった車両を配置したことで押し出された冷房なしの車両を工場へ取り込み、冷房化工事を行うという方法へと変化していきます。
 こうして、初期に造られた車両の冷房化も徐々に進められ、夏も快適な通勤電車の実現を目指しました。しかし、残念ながら1987年の分割民営化までにすべての車両の冷房化は達成できませんでした。
 やはり、工期の長さと高い工事費用が冷房化を進める上でネックになったようでした。こうして、民営化までに冷房化が施されなかった車両は、その後、冷房がないことと老朽化を理由に早期の廃車の対象になるか、あるいは冷房を取り付けないまま走り続けるかでした。

 もっとも、老朽化による廃車は初期につくられた車両が対象になりますが、1987年の時点で103系電車はどれだけ古くても20年が経ったといったところだったので、まだまだ廃車にするというわけにはいきません。それに、新車をつくることもままならない状況だったのですから、ほぼすべての車両が新会社へ引き継がれていきました。
 そして、これら国鉄時代に冷房化が実現しなかった車両たちは、新会社の手によって冷房化が進められました。