旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【27】

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浪速の中心を回り続けたオレンジバーミリオン【2

 101系電車よりも後につくられたとはいえ、103系電車とて1960年代の設計なので老朽化はもちろん、接客設備の陳腐化も否めませんでした。対抗する私鉄は続々と新車をつくっては走らせるので、性能も接客設備も常に新しいものでした。

 こうなると、JR西日本としてはただ早いだけでは済まされません。
 できることなら新車をつくって走らせるのがもっとも効果的ですが、新しく設計・製造した207系電車は京阪神緩行線や新たに開通したJR東西線へ送り込まれ、大阪環状線は後回しになりました。

 そうはいっても103系電車をそのまま使い続けるというわけにはいかず、JR西日本103系電車の大規模リニューアルを始めました。

 冷房装置がない車両には、新たに開発した軽量で工事費用も安く済むWAU102と呼ばれる集約分散式冷房装置を載せました。そして、客室の窓サッシを黒色のものへと交換し、戸袋窓を埋めて、内装の化粧板も貼り替えて面目を一新し、寿命も40年へと延ばしました。

 さらに1996年からは単なる延命工事に留まらず、車両の内外を徹底的なリニューアルをすることになります。座席の更新や空調装置の扇風機をラインデリアへ交換、客室窓を1枚の大型窓へと変え、サッシは下段は固定で上段は引き違いの逆T字形とし、もはや103系電車とは思えないような内装にしました。

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 車体自体も大きく手が加えられ、雨樋を埋め込んだ張り上げ屋根へとなり、正面の運転台窓は一枚の大型窓へと変えられ、行き先幕の窓はガラスを抑える金具が目立たないデザインになるなど、103系電車の面影はあるものの、こちらもより近代的な外観へと変わりました。
 こうして103系電車は大きなリニューアル工事を受けたことで、競争相手となる私鉄の車両と比べても、可能な限り遜色ないものになり、大阪環状線を走り続けることになりました。

 とはいえ、電装品だけはいかんともし難く、旧来からの抵抗制御発電ブレーキの組み合わせで、省エネ性はほとんど望めませんでした。私鉄で採用されている界磁チョッパVVVFインバーターといった最新技術とはほど遠いもので、経済的にも不利であることには変わりません。

 しかし、当時のJR西日本はこれが精一杯だったのです。

 山陽新幹線と関西圏の通勤路線を与えられたとはいえ、JR東海東海道新幹線と比べれば収益性はそれほどよいとはいえず、常に飛行機との競争を強いられていました。関西圏の通勤路線は、JR東日本の首都圏の通勤路線には遠く及ばず、少しでも都市部から出ると郊外のベッドタウンどころか田園地帯を走る有様です。それに加えて中国地方には多数のローカル線を抱えており、台所事情はけしてよいとはいえませんでした。新車をどんどんつくって古くなった国鉄形を置き換えたいのはやまやまでしたが、いかんともし難い状態だったので、こうしたリニューアルで凌がざるを得ませんでした。

 そのような中、大阪環状線から枝分かれして直通運転をしている桜島線の沿線に一大テーマパークが誕生しました。ユニバーサルスタジオジャパン(以下、USJ)がそれで、桜島線USJへ向うお客さんを運ぶための連絡鉄道の役割を担うようになります。

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 路線距離も短く、これといって大きく目立つような施設もなく、通勤通学輸送がメインだった桜島線にとって一大転機です。USJを訪れるお客さんを逃す手はありません。

 そこで、JR西日本USJと提携して、なんと103系電車を編成ごとラッピングして、USJとその連絡鉄道としての利用を大いにアピールすることにしました。
 首都圏でも列車1本を貸しきって、ADトレインとして走らせた実績はありますが、せいぜいドアの横の戸袋部分にステッカーを貼ったり、車内広告をすべて貸切にしたりする程度でした。
 ところがUSJラッピングトレインは、列車1本を貸しきるのは同じでも、車体全体にUSJのテーマを描いたラッピングをするというもの。オレンジバーミリオンに塗られた電車の中を、派手なイラストを描いた電車が走る様は何とも強烈でした。

 そのおかげかどうか分かりませんが、東の東京ディズニーリゾート、西のユニバーサルスタジオジャパンという一大テーマパークの存在をアピールし、さらにはそこへ訪れる交通手段として桜島線、いえ愛称になっているのでJRゆめ咲線の存在感を十分に知らしめることができたでしょう。

 103系電車は通勤輸送という比較的地味な役回りですが、このラッピングトレインで大きなスポットライトを浴びる存在になりました。

 しかし外観や内装をリニューアルしても、製造から30年以上が経つとそれなりに老朽化も進んでいました。いつまでも地味ながらも過酷な仕事を続けるというわけにはいきません。
 2005年からは京阪神緩行線から転出してきた201系電車が森ノ宮にやってきました。ここでも新車ではなく、2000年代に入ってまで国鉄形の201系電車というのはある意味特筆に値しますが、それでも103系電車よりは新しく、電機子チョッパ制御で回生ブレーキも装備しているなど、省エネ性に優れた車両であることには間違いありません。

 そして2007年からは同じ103系電車でも、徹底したリニューアル工事を施した体質改善車も送り込まれてきて、延命工事のみを施した103系電車の初期車を引退させていきました。

 しかし、それでも103系電車は大阪環状線から退くことはありませんでした。
 201系電車がやって来たのにもそれなりに理由はあったと考えられますが、一番の理由は恐らくドアの数でしょう。大阪環状線普通列車はすべて4つドアの列車で、各種の快速は3つドアの221系や223系電車だったので、それらと棲み分けがされたと考えられます。

 もっとも、いつまでも中古車で凌ぐわけにもいかず、ついに大阪環状線にも新車が配置されることになります。2016年に大阪環状線用につくられた323系電車が森ノ宮に送り込まれてきました。

 わざわざ大阪環状線用に?とも考えたくなりますが、快速と普通列車のドア位置を統一して、ホームドアを設置することが置換えの目的の一つとなったためでした。
 ラッシュ時間帯の混雑が激しい普通列車クロスシートの233系電車のような車両を入れると、押し寄せてくるお客さんを捌ききれなくなってしまいます。かといって、4ドアの207系電車や321系電車をもってくれば、ホームドアの設置が遠のいてしまいます。
 そこで3つドアで、通勤輸送に適したロングシートを備えた車両として、新型の323系電車がつくられたのです。
 こうして、323系電車が森ノ宮に続々と送り込まれてくるのと入れ違うように、103系電車はその役割を果たし終えて、走り慣れた浪速の中心から去っていき始めます。
 USJのラッピングトレインの座も、後輩である201系電車に譲りました。
 そして2017年10月3日、最初に森ノ宮に配置された1969年から48年目にして、大阪環状線からオレンジバーミリオン103系電車が姿を消していきました。
 国鉄、そして民営化後のJR西日本の財政事情など、様々な理由があったとはいえ、半世紀近くも同一の形式の車両が走り続けたという例はあまりありません。言い換えれば、国鉄時代に設計・製造された車両は、技術的には古いものであっても、堅牢性や信頼性の高い車両だったといえるでしょう。そうでなければ、同じ系列での置換えはあったにせよ、半世紀後まで走り続けるというのは恐らく不可能だったといえます。