旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【14】

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交流王国・九州に103系電車現る

 首都圏や京阪神では新しい車両の登場で置き換えが進んでいる頃、新たな103系電車たちがつくられることになりました。
 国鉄も終わりが近づきつつある1982年に、直流の通勤形電車とは無縁とも思えた九州で走ることになりました。


前回までは
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  福岡市営地下鉄国鉄唐津線筑肥線が直通運転することになり、そこを走ることができる車両が必要になったのです。
 ところが、九州は電車は走っているものの、電化の方式は交流電化でした。しかも、通勤輸送というよりは中距離列車で走ることを目的にした3ドア・セミクロスシートの近郊形と呼ばれる車両がほとんどで、あとは急行列車や特急列車として走る車両でした。

 ところが地下鉄は大都市を走り、それも混雑するのが常です。
 そのようなところに、近郊形電車なんか走らせようものなら、たちまちラッシュの時間帯で押し寄せるお客さんを捌くことができず、ホームは人で溢れかえってしまいます。

 国鉄には地下鉄に乗り入れることのできる車両がありました。
 そこで国鉄は、またもや通勤形電車の標準形である103系電車を送り込むことにしました。
 地下鉄直通用の103系電車は前例があります。とはいっても、営団千代田線や東西線との直通運転用につくった1000番台や1200番台は、設計からすでに20年近く経っていました。それに加えて、ギヤ数の多い「超多段制御」は製造コストも高くなってしまいます。

 それなら新しく造っている203系電車という手もありました。
 しかし、203系電車は電機子チョッパ制御で、103系電車の地下鉄直通仕様よりもさらにお値段が高すぎました。この頃の国鉄に、必要とはいえ値段の高い車両をつくることはできません。そんなことしてしまったら、たちまち国鉄に非難が集中するのは目に見えていました。
 それだけ、この頃は国鉄に対する風当たりは厳しかったんです。

 こうして登場したのが、福岡市営地下鉄乗り入れ仕様の1500番台でした。
 1500番台は地下鉄に乗り入れることができる基準を満たす仕様でしたが、制御器は地上用のものに少し手を加えた程度にして、新車のお値段をできるだけ抑えました。

 地下鉄に乗り入れるので、前面は非常用扉にもなる貫通式でした。
 ところが、この顔は当時ローカル線用につくっていた105系電車のデザインをそのままもってきたので、一見すると103系電車とは思えない顔になってしまいました。
 それでも、車内は当時新しくつくっていた201系電車や203系電車と同じ仕様にしたことで、できるだけ「新しさ」を強調しようとしたのです。もちろん冷房装置は最初から標準装備だったので、サービス面では乗り入れ先の福岡市営地下鉄の車両と遜色ないものになりました。

f:id:norichika583:20180727211229j:plain▲九州で唯一の直流通勤形電車として登場した103系1500番台は、福岡市営地下鉄筑肥線唐津線の直通運転に備えてつくられた。戸袋のない側面と105系電車とほぼ共有の前面デザインは、ほかの103系電車とまったくといっていいほど共通点がなく、同じ系列の電車かと思えるほどだった。後継の305系が増えるとともに、第一線から退いていき2018年には残り僅かとなった。(筑前前原駅にて 筆者撮影)

 

 車体にはスカイブルーにクリーム色の帯を巻いたので、それまでの国鉄の通勤形電車としては斬新なデザインは、同じ103系電車か?と思えるような出で立ちになりました。

 こうして福岡市の地下鉄を走り、電化された唐津線筑肥線を走ることになります。
 103系電車の中で一番最後の兄弟となった1500番台は、民営化後もJR九州に引き継がれ、九州唯一の直流通勤形電車となりました。そして、増発用の303系電車とともに、福岡市の中心部、それも空港連絡鉄道でもある空港線から、博多湾を望む筑肥線、そして佐賀県内にある唐津線と3つの路線を結んで、福岡のベッドタウンとなった沿線のお客さんを運び続けました。

 後継の305系電車が登場すると、多くは老朽化によって廃車になりましたが、登場から既に30年以上が経った2018年も、残った車両たちが最期のお仕事を続けています。