前回までは
さて、こうして就役した21両のハイパワー機、EF200形。
多くの期待を一身に背負いながら、東海道・山陽本線の高速貨物列車牽引の運用に就きました。ですが、開発当初の目的であった1600トン列車の高速運転は実現できず、当面は在来のEF66形でもこなせる1000トン列車の牽引という仕事で満足するほかありませんでした。
もちろん、1600トン列車を高速で牽くという他の機関車には真似のできない仕事をこなすために、与えられたそのパワーをフルに発揮することは許されず、出力を抑えた状態での運用を余儀なくされます。
持って生まれた能力を生かすことを許されず、しかもその期待にすら応えることができないというのは、機関車といえどもなんとも酷としか言い様がありませんでした。それでも、いつの日にか1600トン列車を牽くことを夢見て、ただひたすらに1000kmの距離を往復する貨物列車を牽く仕事を続けていきます。
▲新製されたEF200形は新鶴見に配置され、東海道・山陽線の貨物列車を牽く仕事に就いたものの、地上設備の制約からその性能を持て余すことになってしまった。写真は「東機待線」と呼ばれる留置線で次の仕業に備えて休むEF200形。先頭の10号機は旧塗装、2両目は二全検後のリニューアル塗装。背景の武蔵小杉のタワマン建設中から恐らく2008年頃の撮影と思われる。左奥には荒廃した姿だが筆者も脱線復旧訓練で活用したDE11形2号機もこの頃には在った。©depika(Wikimediaより)
もちろん、JR貨物もただ手をこまねいているだけではありませんでした。
不景気で貨物輸送量が減り続ける中、やはり輸送効率の向上は大きな課題として横たわっていました。
そこで国からの補助を得ながら、東海道本線の変電設備と地上設備の改良を施していきました。前にも述べたように、これらの設備は旅客会社が保有する設備なので、国の補助と一緒にJR貨物が改良工事の資金を負担することになります。設備を改良する費用はJR貨物が負担するといっても、その後の維持管理の費用は旅客会社の負担となるので、旅客会社からは相当嫌がられたという話もあるほどでしたが、それでも国の政策でもあったので着々と工事を進めていきました。
これでようやくEF200形も本領発揮できる、と思いたいところでしたが、実際にはそうはいきませんでした。
東海道本線の改良工事を終えたところで、それは止まってしまいました。
長引く不景気で貨物輸送量は減少を続け、需要そのものが低下したことも一因だったと考えられます。
そして、2002年になって山陽本線の輸送力増強工事が始められ、4年の月日をかけて2006年に完了。ここにきて、それまでの最大1200トンから1300トンに列車重量が引き上げられ、EF200形はこの1300トン列車を牽く仕事に重点的に活用されることになりました。
試作機の製造から16年、目標だった1600トン列車は叶わないまでも、瀬野八という最大25パーミルもある勾配のきつい隘路を抱える山陽本線で1300トン列車の牽引は、まさにハイパワー機であるEF200形の本領を発揮できる仕事にようやく辿り着くことができたのです。