旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

昭和から平成へ 激動の時代を見続けてきたロマンスカー【中編】

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 前回までは

 ところが、この7000形は日本の鉄道史上、稀に見るできごとに出会うことになりました。あろうことか、ライバルである国鉄から高速試験のために貸し出してほしいというのです。

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 私鉄の、それも特急用の車両が国鉄線上を走り、国鉄の手による試験運転をされたという例は、先々代の3000形以来のこと。3000形の場合、長距離を高速で走ることができる車両の開発をするという目論見のもと、小田急電鉄と鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所、JR総研)が共同開発したという経緯と、国鉄の高速電車開発を進めていた技術陣の強い意向もあって、ライバルである小田急電鉄の最新鋭3000形を国鉄線を使って試験が行われました。言い換えれば、鉄道技術研究所が小田急電鉄の車両を使って、、国鉄線上で試験をしたということです。
 ところが、7000形の場合は国鉄の新型特急車両の開発を進める中で、一般的なボギー台車と連接台車の比較をしたいということから、当時の最新鋭である小田急電鉄の7000形を借りて比較試験をするというものでした。
 とにもかくにも、私鉄の電車が国鉄線で試験走行をするという、極めて稀なことに当時の私も目を丸くしたものです。真新しく、そしてスタイリッシュな形をした7000形が東海道線を走行するシーンを捉えた写真や、西湘貨物駅(だったかな?)で試験に向けて準備をする7000形と国鉄職員の写真を見て、興奮せずにはいられなかったのを今でも憶えています。
 そんな特異な経歴をもつことになった7000形電車は、その後は新宿と小田原、そして温泉地でもある箱根登山鉄道の箱根湯本を結ぶ小田急電鉄の看板となるリゾート特急として活躍をします。
 しかし、7000形は11両編成×4本、計44両の製造で終わってしまいました。先代3100形が11両編成×7本、計77両製造されたのに比べると少数で終わってしまいました。小所帯ながらも、先輩たちとともに看板列車として活躍を続けます。
 1987年には高床構造をもった後輩の10000形電車が登場し、ロマンスカーの顔という役割を譲りますが、それでも変わることなくリゾート地箱根を訪れる旅行客を運び続けます。
 さらに、御殿場線直通特急「あさぎり」用として20000形電車も登場し、ロマンスカーとして走る後輩は続々と増えていきます。
 車両のバリエーションも豊富になる中、時代はバブル経済の崩壊などそれまでの優雅なリゾート地で過ごすための観光客を輸送するロマンスカーは、その利用者の比率を日常の通勤利用者に変化していきました。そうした中で、先代3100形を置き換えつつ輸送力を増強するために、連接構造から通常のボギー台車を装備した30000形電車が登場し、7000形はロマンスカーの中で最古参となっていきました。
 さすがに製造から17年が経つと車内設備も陳腐化したことや、車椅子対応座席の設置など、利用者のニーズと時代の変化に対応するために1997年にリニューアル工事を受けます。

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 リニューアル工事を受けた7000形は、3000形以来のグレートバーミリオン、そしてホワイトの帯という塗装から、後輩である10000形電車と同じホワイトをベースにワインレッドという出で立ちに変化しました。
 こうして車内外ともに一新した7000形は、観光特急と通勤特急という二つの役割を担い、変わることなく走り続けました。