旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【3】

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 《前回からのつづき》

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 2000年3月、筆者が貨物会社を退職してから6年近くが経ち、世の中はミレニアムで湧いて、システムエンジニアとして西暦2000年問題も片付けホッとしていた頃、1094号機はJR西日本での廃車となり、JR貨物に売却されて移籍します。この頃のJR貨物は、EF210の増備が続けられていましたが、冒頭にもお話したように増備できるのは年に数両が限度で、あとは国鉄から継承した国鉄形電機を使い続けなければなりませんでした。

 しかし、最も使い勝手のよいEF65も、0番代や500番代は1960年代後半の製造で、車齢も既に40年近くが経ち、貨物列車の牽引という過酷な運用をこなしてきたために、老朽化も進行していました。加えて、初期の車両はCS25抵抗バーニア制御器の基本設計に由来する欠陥もあったため、国鉄時代に何度も改修を重ねた結果、不具合を起こす車両も少なくなかったといいます。

 そこで、JR貨物は旅客会社で余剰となり、状態のよい機関車の譲受により老朽廃車になったEF65の穴埋めをしようと考えます。旅客会社にとっても、そのまま廃車解体するのと譲渡するのでは大きく異なり、前者はただの鉄屑としての売却になるので、ともすると廃棄のための費用が発生しますが、後者では中古車としての売却になるので、そのまま販売価格が収入になるのでした。

 こうして、1978年に新製配置以来、20年以上を過ごしてきた下関所で一度廃車の手続きが取られた後、所属をJR西日本からJR貨物へと変えて、遠く関東の高崎機関区へと移ってきたのでした。

 高崎機関区に配置になった1094号機は、主に首都圏を中心とする関東の貨物列車を牽く仕事を新たに与えられました。それまで、重量の軽い旅客列車の牽引を中心にしてきた1094号機にとって、重量のかさむ貨物列車の牽引はかなり過酷な仕事だったでしょう。それでも、本来は特急貨物列車を重連で牽くことを前提に設計された1000番代PF形なので、その仕事になれるまでにはそう時間はかからなかったと言えます。

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蘇我駅で機回しをするEF65 1094号機。JR西日本からJR貨物へ移籍し、移籍後初の全般検査で更新工事も施工され、他の貨物機とかわらない2色更新色を身に纏った。助士席側の窓には冷風機の排気口も見え、機関士の執務環境を改善している。移籍機であることを唯一知る手がかりは、恐らく白色のナンバープレートであろう。常用減圧促進改造は施されてなかった(する必要もなかった)ため、他の貨物機のように赤プレートにはされなかったことが、2000年代に入ってから移籍した表れかも知れない。(京葉線蘇我駅 2010年11月14日 筆者撮影)


 JR貨物に移籍当初は、更新工事を受けていなかったので国鉄特急色を身に纏っていましたが、やがて更新工事が施工されると、他の貨物機と同じく貨物更新色(2色)に塗り替えられました。ただし、ナンバープレートの色が示すように、1094号機は常用減圧促進改造はされていません。これは、コキ50000の250000番代を牽引する1000番代PF形に施された改造で、1094号機が移籍してきた頃はコキ100系の増備が進んでいて、100km/h以上で運転される高速貨物列車はコキ100系EF66またはEF210となっていたため、1000番代PF形である1094号機には不要だったのでしょう。そのため、ナンバープレートの色は白色、いわゆる「白プレ」と呼ばれるカマの1両になりました。

 その後、所属を新鶴見機関区に移して、変わることなく首都圏や東海道本線の貨物列車を中心に活躍を続けます。新鶴見機関区には「四国運用」と呼ばれる運用も在り、これは瀬戸大橋で海を渡り、四国の高松まで足を伸ばす仕事です。この運用には主に1000番代PF形が充てられるので、1094号機もかつてブルトレの先頭に立って走りなれた京阪神山陽本線の一部を走るようになったでしょう。

 やがて、長らく1000番代PF形と名乗っていましたが、2012年に改番が行われ2000番代PF形となりました。これは、国土交通省令で100kw/h以上で運転する鉄道車両には、運転状況記録装置の設置が義務付けられたことによるもので、EF210などJR貨物の主力機にはこの装置が装備されました。しかし、EF65については、装置自体が高価であることと、いずれ淘汰されていく対象となっているので、わざわざ高価な装置を装備させず、100km未満の高速貨物列車Cに限定して運用することにしたのでした。ところが、機関車の運用自体を担っているのは旅客会社なので、同じ形式の車両でも運用が異なる車両が混在するのは混乱のものとで好ましいとは言えません。そこで、JR貨物の100kmは、原番号に+1000を付加することで2000番代とし、運転状況記録装置を装備する旅客会社の1000番台と区別することになったのです。このため、1094号機は2094号機に改めたのでした。

 1094号機改め2094号機は、この改番のときにナンバープレートの地色をそれまでの白から青色に変えました。しかし、青プレートの期間はそう長くなく、2015年の全般検査の施行で、再びもとの白プレートに戻されて出場し、その後は変わらぬ活躍を続けています。

 

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新鶴見信号場を出発するEF65 1094号機。前回の全検から既に3年が経ち、側面には制輪子が飛び散って付着した汚れが見える。この汚れこそが、貨物列車を牽く仕業の過酷さの表れだといえる。(新鶴見信号場 2008年8月3日 筆者撮影)


 2094号機の全般検査は、前回が2015年に施行されているので、その次は2021年となる計算です。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大により、日本の経済環境は従来と大きく変化してしまい、先行きが見通せない状況になっています。一方、鉄道の貨物輸送は、旅客輸送と比べると影響はあるものの大きなものではなく、逆に宅配便などの混載列車の増発などもあり、それなりの需要があるのは確かです。一方で、新型機(EF210)の増備も続いていることから、機関車の状態によっては置換えの対象になり廃車・解体の運命を辿ってしまいます。

 全般検査施行が決まると、恐らくは出場時に国鉄特急色を再び身にまとうかもしれません。かつて、栄光のブルトレ牽引機であった頃の姿で、ヘッドマークこそはつけないものの、走りなれた東海道山陽本線を疾駆してほしいものです。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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