旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第一章・その21「最後の集合研修と配属先の発令通知」【後編】

◆最後の集合研修と配属先の発令通知【後編】

 九州勤務も残り数日になった日、研修センターの帰りに門司機関区に立ち寄った。検修助役のUさんを訪ねていき、研修では大変お世話になったお礼と、もうすぐ九州を離れることを報告した。
「寂しくなるけんな」
 なんて言ってくれた。
 そして本題である「記念に写真を撮りたい」と申し出ると、快く許可を出してくれた。
 一度寮に戻ってカメラを持って機関区に戻ると、勤務が終わっているにもかかわらずU助役は待っていてくれた。もちろん、U助役が構内を案内しながら、列車見張りの役割もしてくれた。なんとも嬉しく、そして有り難いことだった。
 私と何人かの研修生はといえば、カメラは持っているけど制服にヘルメット、そして反射素材の安全チョッキという、なんともアンバランスな出で立ち。これを書きながら当時の格好を想像すると苦笑いしか出てこないが、この当時の私たちは真剣そのものだった。
 ナナロク(ED76形)やパーイチ(EF81形)、そしてデデゴイチDD51形)といった関東では見ることのできない機関車たちを写真に収めると、あっという間にフィルムを使い果たし、仲間と一緒にU助役にお礼をいった。
「関東に帰ってもしっかりとやるんよ」
 U助役は笑顔で私たちを励ましてくれた。
 そういえば、小倉車両所の助役も、九州に来たらいつでも遊びに来いと言ってくれた。とにかく、九州の人たちはみなさん、暖かくそして懐の広い人たちばかりだ。改めてお礼を申し上げたい。

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 いよいよ配属先の発表となると、いったいどこへ行くのだろう、どんな仕事をするのだろうと、期待と不安の入り交じった気分になった。それは誰もが同じだったようで、やんちゃ盛りの同期もこの時ばかりは緊張しているようだった。
 一人一人名前が呼ばれて、M課長が発令通知書事前通知を読み上げる。
 駅に配属された人は、輸送係か営業係を命じられていた。機関区や車両所に配属された人は車両係。この九州で受けた実習が役に立つ仕事だった。私も、そうした仕事に就くのだろうと、この時はどうしてなのかなんとなくしか想像してなかった。
 ちなみに事前の希望調査では、横浜羽沢を希望していた。
 そう、駅とは書かなかったのだ。これが、まさか私の鉄道マンとしての運命を左右するとは思いもしなかった。
 そして、とうとう私の名前が呼ばれたので、席を立ってM課長の前に立つと、
「横浜羽沢電気区電気係を命ずる」
 と、事前通知を読み上げられた。
 おお!希望していた横浜羽沢だ!
 希望が叶ったと内心喜んだが、次の瞬間、何か違和感を感じた。
 ん?電気区?電気係??
 勤務場所は横浜羽沢でも、駅ではなく電気区だということに気が付いた。
 えー!?駅じゃないの~?
 九州支社で研修を受けた中で、電気区に配属になったのは私ともう一人の二人だけ。すっかり駅や機関区に行くと思い込んでいたから、ちょっとしたショックのようなものを感じてしまった。
 ここに来て、改めて社会の厳しさという洗礼を浴びてしまったのだが、これも仕方のないこと。会社の命令は聞かなければならないのは勤め人の辛いところで、拒否もできるはずがない。
 事前通知を受け取り席に戻ると、私は何度もそれに書かれた文面を見た。
 やっぱり、電気区と書かれている。
 いったいどんな仕事をするところなんだ?という疑問が私の頭の中をグルグルと駆け巡った。小倉電気区で実習を受けたといっても、思い出せるのは交流20000Vが通る架線を触ったことくらいで、あとはスケジュールをこなすことしか考えてなかったから、もう何が何やら分からない!といった状態だった。後悔先に立たずとはこのこと。あのとき真剣に研修を受けておけばよかった~。
 希望した横浜勤務ということだけは通ったが、それ以外は希望しなかった部署の電気区という配属で、嬉しさとがっかり感が混ざった変な気持ちで寮に帰ると、いよいよ迫った帰京に向けて荷造りをし、門司に赴任した時と同じように宅配便で実家に荷物を送ると、九州勤務が終わるのだという実感が湧いてきた。
 そうして、私は九州での研修を終えて、再び関東へと戻っていった。