鉄道マンの年末年始事情【2】
私が配属された電気区は「日勤Ⅱ種」だったので、原則として年末年始もカレンダーどおりに公休日が割り当てられていたが、機関区に勤める友人はといえばそうはいかなかった。
この友人は同期で、仕事に就いたのは私よりも1年前だったが、貨物会社に採用されたのは同じ年だったので同期。ただ、1年早く鉄道の仕事に就いていたので、新人研修は受けることなくそのまま機関区に配属になって、車両係として仕業検査班に所属していた。
機関区といえば、鉄道がお好きな方なら、その多くは電気機関車やディーゼル機関車が配置されている運転区所ということはご存知だろう。例えば私が施設を保守管理していた新鶴見機関区には、この当時はEF65形が多く配置されていた。ほかには最新鋭のEF200形とEF500形の試作機も配置され、実用化に向けての試験が繰り返されていたし、EF200形は量産されると、それらも配置されていた。
そして、鉄道で働きたいと考える人の多くが憧れる運転士(ここでは機関士)もまた、機関区に所属する職員たちだ。彼らは厳しい適性検査をパスし、教習所で缶詰になって運転技術と関連法令を覚え、動力車操縦免許を取得した人たちだ。そして、貨物会社の機関士の多くは、日中ではなく深夜の運転が多い。土日だろうが祝祭日だろうがそんなことは関係なく、列車が走っている限りはローテーション(これを「交番」と呼んでいる)に組み込まれて、割り当てられた仕業をこなしている。もちろん、年末年始に休めるなどよほどのチャンスがない限り不可能に近いだろう。
もう一つ、機関区に配置されている車両は、当然のことだが定められた期間ごとに検査を受けなければならない。機関区で施行できる検査は、大規模なものは台車検査だ。さらに短い周期で施行するのは交番検査で、この二つの検査は機関車を運用から外して、検修庫に収容して検査を行う。そして、この検査を行う車両技術者たちは、検修科という部署に所属している職員たちだ。
この二つの大がかりな検査は機関車を運用から外すので、日中に作業が組まれている。だから、検修科に所属する職員たちのほとんどは私が勤務した電気区などと同じ「日勤Ⅱ種」に指定されているから、日曜日と祝日は公休日。年末年始も検査日程は組まれないので、彼らもまた公休日に指定されていた。
ところが、同じ機関区の検修科に所属する車両技術の職員でも、仕業検査班に所属する人たちは違った。私の友人もこの仕業検査班に所属していたが、彼らは「日勤Ⅱ種」ではなく、交替勤務制に指定されていた。
彼らが施行する仕業検査は、機関車の検査の中でも最も短い周期で行われる。そして、検査の内容は基本的なものばかりだが、検査は機関車の運用の合間で行われる。簡単な言い方をすれば、機関車が一仕事終えて次の仕事までの間、車庫にやってきたその合間に検査をする、というものだ。
こうなると、機関車が動いている限り、検査の時期がやってくる。そして、機関車によっては夕方に機関区に入ってきたり、中には深夜に入ってきたりもするので、仕業検査班の職員は機関士や駅員と同じように、土日祝日など関係なく勤務が割り当てられているのだ。
ある年の暮れ近くだったと思うが、この友人と忘年会ではないが一杯飲もうと思い誘った。彼と飲みに行く約束をするときには、必ず勤務を見てから日程を組むのだが、この時はあまりにも予定がかみ合わなかった。
あまりにもかみ合わなかったので、いったいどんな勤務なのかと訊ねてみると、返ってきた返事は「年末だから3徹(徹夜のこと)で公休が続いているんだ。正月も休めやしない」というものだった。
3徹とはまた過酷な勤務だ。朝出勤して翌日の朝まで勤務、明け番で自宅に帰って翌日また朝出勤、そして翌日朝まで勤務・・・これを3回繰り返すのを3徹というが、一週間のうち三晩は職場で徹夜の勤務、そりゃぁキツいよ。
でも、この頃のは若い職員はこうした勤務もあった。先輩たちがほぼ希望どおりに休暇を取れるようにするためには、若い職員がこうしたキツい勤務をこなすほかなかった。パワハラじゃない?なんて、きっと今時の若い人ならそう考えるかも知れないが、90年代の初めの頃の鉄道とはそういったのが当たり前の仕事だった。まあ、私たちはそんなこと、一つも不満に思ったことはなかったし、こうしたキツい勤務を引き受けた分、恩恵を受けた先輩たちは違った形で「お返し」をしてくれたものだった。