旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【4】

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《前回のつづきから》

 

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 住宅専用地域の中に広い構内と、常に騒音を発生させる貨物駅を設置するという異例の駅となった横浜羽沢駅。その前代未聞の立地のために、わざわざ専用の機関車を開発するというのは、国鉄の車両史上、稀に見る存在ともいえるDE11 2000番代は、新製後は新鶴見機関区に配置されて、横浜羽沢駅を中心に、比較的住宅地に近い立地にある貨物駅での入換運用に就き、その静粛性を発揮ました。

 1984年のダイヤ改正では、貨物輸送の大規模な合理化と列車の整理が実施され、ヤード継走による車扱輸送は全廃になり、同じ新鶴見区に配置されていた僚機のDE11は用途を失って余剰となり、0番代は全廃、1000番代は一部を除いて廃車の運命を辿っていきましたが、製造からまだ10年にも満たっていない2000番代は新車同然であることと、横浜羽沢駅という活躍の場が存続していたことで廃車の対象にはなりませんでした。

 この大整理の翌年である1985年のダイヤ改正で、国鉄は大幅な合理化を実施することになります。伝統と歴史のある名門機関区ともいわれた東京機関区から車両配置がなくなり、東海道方面で運用する電気機関車はすべて新鶴見区に集約されます。多くないとはいえ、まとまった数の電機が移ってくることで、今度は新鶴見区が手狭になってしまうので、新鶴見区に配置されていたディーゼル機は全車が品川駅近傍の品川機関区へと配転されていきました。DE11 2000番代の4両も、残った僚機らとともに品川区へと移動していきましたが、運用そのものは大きく変わることはなかったようです。

 1987年の国鉄分割民営化によって、品川機関区はJR貨物に継承されました。その後もしばらくは首都圏の電機は新鶴見区、ディーゼル機は品川区という棲み分けがなされていて、筆者が横浜羽沢駅構内を仕事場にしていた頃は、DE11 2000番代も品川区配置・新鶴見常駐という形態の運用でした。

 また、DE10やDD51を中心とした数多くのディーゼル機を継承したJR貨物の中で、DE11は2000番代の4両だけが継承されました。

 本来であれば、貨物用の重入換機であるDE11の方が、貨物駅での入換運用に適しているのではないかとかんがえられますが、DE10は自重65トンで軸重も軽いため、支線区での運用にも充てることができる万能機であるのに対し、DE11は自重70トンにまで上げられ多分、軸重も重くなってしまっているので、DE10のような運用は困難でした。そのため、可能な限り必要最小限の両数と、形式を絞り込むことによって合理的かつ経済的な運用を目指した結果、ほとんど入換専用ともいえるDE11はJR貨物への継承対象とはならなかったのです。

 ただ、2000番代は防音特殊仕様という国鉄ディーゼル機では唯一無二の存在だったことで、引き続き横浜羽沢駅を始めとする住宅地域にある貨物駅での運用があること、首都圏の路線はほとんどが高規格の幹線級であることで、軸重制限はほとんど内に等しく本線運用にも就かせることができることなどから、JR貨物が継承したのでした。

 DE11 2000番代の主な活躍の場であった横浜羽沢駅はJR東日本JR貨物の駅*1となり、郵便荷物輸送は廃止されたものの、貨物輸送は引き続き営業に供されたので、DE11 2000番代も国鉄時代と変わらず入換運用に使われました。

 

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DE11 2000番代は、1987年の国鉄分割民営化後もJR貨物が継承して運用が続けられた。徹底した防音構造であるため、横浜羽沢駅をはじめとした住宅地に近い貨物駅では必要不可欠な車両として重用された。車齢が浅いことと、後継となるディーゼル機の開発までまだ時間がかかることから、DE10などと同様に更新工事が施工され、それとともに塗装も更新色に変えられた。配置区所は新製時に新鶴見区、後に品川機関区へ移った後、品川区の廃止と川崎機関区の解説とともに異動し、川崎区が新鶴見区へ統合されて再配置となるなどの変遷を辿ったが、その用途は一貫して変わらなかった。しかし、後継となるHD300やDD200の開発と増備が始まると、徐々に第一線から退きはじめていった。(DE11 2001〔新〕 新鶴見信号場 2011年 筆者撮影) 

 

 1991年当時のDE11 2000番代の運用は、早朝に新鶴見区を単機で出区して横浜羽沢駅に着き、日中の運用をこなしたあと、夕方に再び単機で新鶴見区に戻って機関士の交代と給油と仕業検査を受け、交番検査などがなければ夜に再び横浜羽沢駅に単機で回送。夜間の入換運用に就いたあと、早朝に新鶴見区に単機回送されるというものでした。交番検査などがあれば、同じDE11 2000番代か、あるいはDE10が代走で運用に就いていましたが、どちらかといえばDE10が代走するケースが多かったです。また、横浜羽沢駅の運用には主に2001号機が充てられていましたが、稀に2004号機が運用に就いていました。

 2003号機は主に相模貨物駅での運用に充てられていましたが、後に、入換動車化されて自力回送はできなくなったものの、21世紀に入った後も運用され続けました。

 その後、国鉄時代から過ごしてきた品川機関区は、JR東海東海道新幹線品川駅設置に伴って、その敷地を明け渡さなければなりませんでした。そのため、21世紀を目前にした1998年に、大正時代以来の長い歴史をもつ品川機関区は廃止になり、DE11 2000番代は僚機のDE10たちとともに、東海道貨物線川崎貨物駅に新設された川崎機関区へと移動、配置転換となりました。

 川崎機関区時代はそう長くはなく、2001年には古巣である新鶴見機関区の傘下に入って新鶴見機関区川崎派出となりましたが、横浜羽沢駅での運用は変わらず続いていました。単機回送などの運転時刻は90年代と比べると少しずつ変化はしていたようですが、夜間と日中は横浜羽沢駅に赴いて入換仕業に就いていたのは変わることがありませんでした。

 

《次回へつづく》

 

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*1:

横浜羽沢駅は開業当初から、コンテナと車扱の両方を取り扱う貨物駅であると同時に、郵便荷物輸送の中継駅としての機能が与えられていた。郵便荷物輸送は客車や電車による運転で、運転取扱い上は一般の旅客が利用することができないが、旅客列車という位置づけだったため、貨物駅ではなく貨物と郵便荷物を営業範囲とする一般駅として分類された。そのため、横浜羽沢駅はすでに郵便荷物輸送が全廃になっていたにもかかわらず、一般駅のままであったためJR東日本JR貨物が継承した。そのため、かつての郵便荷物輸送で使われた荷物ホームや、それらの荷役設備は残されたままになり、本線だけではなく副本線や発着線の一部はJR東日本保有管理している。