旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・何でもやります! まさに電気屋さん【後編】

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何でもやります! まさに電気屋さん【後編】

 電話がかかってきて、蛍光灯の在庫がなくなったと連絡を受けると、それを届けるのも電気区の仕事だった。

 そんなことまでしていたの?と驚かれる方も多いと思う。

 実際、私も驚いた。
 ある日先輩から「ナベちゃん、蛍光灯を一箱、駅の本屋に持っていってくれないか」と言われ、電気区の資材倉庫から40Wの直管蛍光灯の入った箱を持ち出し、公用車に乗せて持っていったこともあった。
 新しい蛍光灯が入った箱を駅に渡すと、代わりに古くなって使えなくなった蛍光灯の入った箱を引き取ってくる。そしてそれを公用車に乗せて電気区まで戻ったら、その蛍光灯を処分する。

 まるで鉄道会社専属の電気屋さんみたいだった。


前回までは

blog.railroad-traveler.info


 それならまだいい方で、時には「蛍光灯の球が切れたから交換してきて」と言われ、またもや資材倉庫から蛍光灯を1本だけ持ち出し、公用車で駆けつけては蛍光灯の交換をすることもあった。

 これではまるで学校の用務員さんみたいだ。といっても、やはりこれも電気区の仕事だった。

 一見すると何とも効率の悪そうな話だが、これにも理由があった。
 いまは違うかも知れないが、電気に関連する設備の保守や管理はすべて電気区の持ち分(旅客会社では信号や通信設備は信号通信区、電灯や電車線などの電力設備は電力区になる)で、配電設備はもちろん蛍光灯1本に至るまでが電気設備とされている。
 だから、蛍光灯の購入もすべて電気区が一括して支社に要求して配当を受け、それを管内の駅や区所に配備していた。そうすることで、予算の管理もしやすかったし、なにより予算の出所をハッキリさせていたのだった。

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 民営化で株式会社になったとはいえ、株主は国という特殊法人。しかも、民営化から7年しか経ってない当時は、国から引き継いだ償却しきれていない資産もたくさんあったので、財務面では会計検査院の監査を受ける立場だったから、こうした予算の管理も厳しかった。

 別のある日、いつものように電話が鳴ったので、私はいつもと変わらず先輩や同期が出る前に受話器を取った。
 先輩の手を煩わせることなく電話に真っ先に出るということは、仕事をはやく覚えることにもつながるからと配属された当初から続けていたこと。
 そのことは、後年、転職しても大いに役に立ったし、何よりいろいろな人と知り合いにもなれるから、仕事をする上でもスムーズになることもあって大いに役に立った。
 最近の若い人を見ていると、電話に出ることに躊躇うどころか出ようともしない人を多く見かけるようになった。それを教える人もいなくなったこともあるだろうが、ほんとうにこれでいいのか?なんて訝しげにもなってしまう。

 話は逸れてしまったが、いつものように電話に出ると、相手は新鶴見機関区に勤務する私の大親友からだった。

「横浜羽沢電気区です」

新鶴見機関区のTですが」

「ああ、Tちゃんか、渡邊だよ」

「おお、ナベちゃんか」

 知り合いからの電話だとこんな調子である。まあ、電話といってもJRにある電話は一般のものとは違って「鉄道電話」と呼ばれる一種の内線電話だから、かかってきても相手は身内しかない。
 何でも執務室の蛍光灯がつかなくなって、蛍光灯の球を取り替えてもウンともスンともいわないらしい。

「そりゃか、安定器が壊れたんじゃないかな」

「そっか、じゃぁ蛍光灯を取り替えてもダメ?」

「そうだね。安定器を交換しないとダメだな」

 こんなやりとりだった。電話一本、故障の症状を聞いただけで、何の不具合なのか切り分けができるようになっただけでも、この頃には経験も知識も身についていたことに、ちょっとした喜びも感じていた。
 とはいえ、故障となれば早いうちに修理をしなければならない。

「ちょっと待っててくれよ。いま、主任にいつ修理に行けるか確かめるからさ」

 そういって、同じ机の島に座っている先ほどの主任に事情を話すと、部品さえあれば次の日には対応できるということで、その通り次のに日は新鶴見機関区に出向いて、T君が使っている執務室の灯具の安定器を交換した。
 さすがに、大きな機関車を相手に検査をしたり修繕をしたりする機関区の検修技術者も、相手が電気となると手も足も出ないようで、まさに街の電気屋さんよろしく、電話一本で修理に駆けつける様は、他の区所の職員からとても有り難がられた。

 ちなみにこのT君とは退職してからもう25年近くが経つが、いまでも時々会っている仲のいい親友で、一緒にお酒を飲んでいるときには必ずといっていいほどこのエピソードが話題になる。
 そして時折、T君の自宅で電気機器で困ったことがあると、必ず相談の電話をもらうことも。

 それだけ、電気区の職員というのは頼りになる存在だったのかもしれない。