◆横浜羽沢電気区に着任【後編】
当時の横浜羽沢電気区は、関東支社にある技術系職場の中でも比較的広範囲を管轄していた。本区は横浜羽沢駅にあり、東海道貨物線は新鶴見機関区と新興駅、東高島駅、それに横浜羽沢駅。根岸線の根岸駅と横須賀線の逗子駅と田浦駅が管轄だった。
それに加えて派出が3か所あり、西湘貨物駅構内にある相模派出は東海道本線の西湘貨物駅と相模貨物駅を管轄。梶ヶ谷貨物ターミナル駅構内にある梶ヶ谷派出は武蔵野線の梶ヶ谷貨物ターミナル駅と相模線の南橋本駅、それに中央本線の八王子駅、初狩駅、竜王駅、石和駅(現在は石和温泉駅)と山梨県にまで範囲が及んでいた。そして埼玉県西部も管轄していて、新座貨物ターミナル駅構内には新座派出があり、武蔵野線の新座貨物ターミナル、青梅線の奥多摩駅と拝島駅という、埼玉県西部から東京都西部、それも奥多摩まで範囲が及んでいたのには驚いた。
そして電気区は、国鉄時代や旅客会社でいうところの電力区と信号通信区の流れを汲んだ職場で、大きく分けて電灯・電力と電車線、信号、それに通信の4つの電気設備を保守管理するのが仕事だった。
ちなみに同じ詰所にある施設区はというと、国鉄時代の保線区の流れを汲むもので、その名の通り線路の保守管理が仕事。中には駅の敷地となる土地管理も仕事に含まれていた。保線区の流れを汲む施設区の範囲はあまり広くなく、本区だけしかなかった。本区の管轄は電気区と同じだったが、電気区の相模派出の範囲には相模施設区が、梶ヶ谷派出の範囲には八王子施設区が置かれていた。
これは後で聞いた話なのだが、施設区=保線区の仕事は基本的に人海戦術になり配置される職員の人数が多く規模が大きくなることや、万一事故などが起きた時にすぐに対応ができるよう、管轄区分が細かく分けられていたことから、民営化後もそれに倣って施設区は電気区よりも多く置かれいたようだった。
まあ、とにかく神奈川県川崎市北部からほぼ神奈川県全域と、東京都西部、埼玉県西部、それに山梨県東部という途方もなく広範囲を管轄していたことを聞かされ、なんとも気の遠くなる話だと思った。
そんな配置される職員の人数こそ十数人そこそこだったが、これだけ範囲が広い管轄を持ち、加えて区長が施設区長を兼務(当時は相模施設区長も兼務していた)するので、本区の助役は首席助役という職名で電気区長の補佐もしていることを教えられた。
見た目の規模は大きくないが、とんでもない大きな?職場に配属されたものだと、レクチャーを受けて初めて知った。そして、はたして私に務まるのだろうか?なんて、思いもしたものだった。
翌日と翌々日は派出へあいさつ回りと見学だった。梶ヶ谷派出は本区のある横浜市の隣の川崎市、つまりは私の地元にあるのでそれほど距離はないが、相模派出と新座派出はそうはいかない。相模派出は小田原市内、新座派出は東京都を越えて埼玉県内だから相当の距離があるからほぼ一日がかりだった。