旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【7】

国鉄電車、地下鉄へ

 1972年までに1500両以上もつくられ、大都市圏の混雑の激しい通勤路線で長大な編成を組んで、多くのお客さんを乗せて走る103系電車。一部では周辺部のスピードアップや、支線では最短の3両編成を組むといった、仕事場となる路線のニーズに合わせた活躍もしていました。1973年以降に製造された車両は冷房装置を装備して、乗客へのサービス改善にも103系電車は大いに貢献していました。


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  ところで、これらはすべて地上を走ることを前提にしていました。もっとも、国鉄の線路はすべて地上にあって、地下を走ることなど考える必要がありませんでした。
 1970年にはそうもいっていられない事情が生まれました。
 東京を中心とした首都圏の各路線、特に周辺の近郊都市から東京へ向かう放射状になった路線は、とにもかくにも混雑は激しくなる一方で、新性能の101系電車や103系電車で高頻度、高速運転をしても間に合わない、文字通り焼け石に水の状態でした。まさしく「痛勤地獄」だったのです。もはや車両を新しくしたところで、これ以上の効果を期待できないといったところまできていました。こうなってしまうと、そこは公共企業体である国鉄の痛いところ、「国鉄は何をやっているんだ」なんて声も激しくなってきたでしょう。
 そこで、国鉄は「五方面作戦」を展開しました。この「五方面」とは、東京を中心に東海道・横須賀(神奈川県)、中央(東京都西部)、高崎(埼玉県)、常磐茨城県)、総武(千葉県)を指しています。これらの路線を複々線にして輸送力を倍増させようというものでした。
 この中で、常磐線は1967年から快速電車と普通電車、そして中距離電車が走っていましたが、快速電車に103系電車が登場した頃はまだ複々線工事の真っ只中。同じ線路の上を、ローズピンク色の中距離電車とエメラルドグリーンの快速電車、さらには茶色に塗られた旧型の72系電車までもが走っているという状態でした。
 そして、1971年についに複々線化工事も完成し、快速電車・中距離電車と普通電車(緩行線)が分離して、輸送力も一気に倍増しました。めでたしめでたし、といいたいところでしたが、この分離運転の開始に伴って、緩行線はそれまでの上野駅発着ではなくなり、綾瀬駅から営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れることになったのです。
 国鉄の電車が地下鉄を走る、これだけでもある意味大騒ぎ(?)でした。もちろん、前例がないわけではありません。1966年に中央・総武線各駅停車の混雑を緩和することを目的に、同じ営団地下鉄東西線への直通運転をすることで、バイパス線の役割を持たせていました。この直通運転に備えて国鉄が準備したのが301系電車と呼ばれる、まさに国鉄の地下鉄線用電車でした。

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301系電車(写真上)は地下鉄東西線との直通運転に備えて開発された、国鉄初の地下鉄用電車。アルミ車体に通勤形電車としては初めてとなる空気バネ台車を装備するなど、営団地下鉄との協定に基づいた仕様となったため、標準形である103系電車に比べて高価な車両となってしまった。(©Chabata_k Wikimediaより)営団5000系電車(写真下)と国鉄301系電車は、ある程度共通する部分があるという。(© Lover of Romance Wikimediaより)

 301系電車は国鉄の通勤形電車としては、かなり贅沢なつくりをしていました。車体は103系電車の設計を踏襲しながらも、なんとアルミ合金でできていました。これは、乗り入れ先の営団東西線を走った5000系電車のアルミ車と共通設計でした。そして、電装品は103系電車と同一の機器を装備していましたが、台車はなんと枕バネに空気バネを使ったものを装備していました。国鉄の電車で空気バネを使った台車は、原則的に急行列車や特急列車に使われる車両に装備していましたが、301系電車はその原則を破ったある意味「型破り」の車両でした。
 こうなると、基本設計や電装品は同じでも、車体の材質も台車も違うので製造価格は当然、103系電車に比べて高価でした。その高価な車両を再びつくることなど、この頃の国鉄には無理なお話です。1970年代に入った頃、国鉄の台所事情は火の車を通り越して、ほとんど壊滅的な状況に陥っていたので、必要だったとはいえ高価な車両を揃えるなど、あり得ない状態でした。でも、千代田線と直通運転をすることは決まっていたので、そこを走らせる車両をつくらないわけにもいきません。
 そこで、国鉄はまたもや103系電車に目をつけました。車体は地上を走る車両と同じ普通鋼製で、しかも設計も同じであれば製造コストを抑えることができます。ただし、そのままでは地下鉄線を走ることはできないので、基準に合った仕様に変更しなければなりませんでしたが、それでも301系電車よりは安く済みます。
 電装品も基本的には103系電車と同じものを使うことにしました。電車を走らせるためのモーターは、地上用の車両と同じMT55形主電動機を装備し、台車も同じく枕バネに金属コイルバネを使ったDT33/TR201形台車を採用しました。これだけ共通のものを使えば、製造コストも抑えることができます。

f:id:norichika583:20180703233340j:plain営団地下鉄千代田線との直通運転に備えて製造された103系1000番台。301系電車は高価にであるため、財政事情が悪化した国鉄はこれを増備することが難しくなっていた。そこで、103系電車を地下鉄仕様にしたのが1000番台だった。後継の203系電車が増備されると、写真のように常磐線快速に転じた。(©Chabata_k Wikimediaより)

 ところが、千代田線との直通運転をするにあたって、国鉄営団地下鉄との間に車両などに関する協定を結んでいました。その協定の中に、電車の加速力や減速力も含まれていて、地上で走る103系電車のままでは協定で要求された性能を満たすことができませんでした。そこで、モーターに流す電流を調整する主制御器を地上用のものとは異なる、力行55段、制動51段という国鉄の車両では稀に見る超多段制御が可能な主制御器を装備しました。こう書くと、あまりにも専門的なので「いったい何のことなの?」といわれてしまいそうです。自動車に例えると、一般的な自動車のギアはマニュアル車であれば5速、AT車であれば4速なのが、55速のシフトをもつAT車というところでしょう。
 この超多段制御が可能な主制御器の装備で、同じ千代田線を走る6000系電車とほぼ同じ性能を確保することができました。もちろん、この制御器は国鉄にとってはかなり特殊なものだったので、地下鉄線直通仕様の1000番台と後に東西線用に増備される1200番台だけの特殊な電装品でした。
 こうして多少特殊仕様になったとはいえ、地上だけではなく地下鉄にまで進出した103系電車は、まさに国鉄の標準通勤形電車としての地位を確立したといっても過言ではないものとなりました。