旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 新機軸へ挑戦した地下の主・営団地下鉄6000系

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 今は民営化されたので東京地下鉄ですが、あえて「営団地下鉄」としたのはやはり昭和の鉄道という意味からです。

 営団6000系は千代田線開業に備えて試作車からつくられました。営団を含む私鉄が試作車をつくるというのは非常に珍しい例だといえるでしょう。国鉄のように研究所をもっているわけではなく、しかも新しい車両をつくったら即戦力として仕事をしてもらわなければなりません。

 ところが、営団6000系に限っては慎重でした。

 というのも、この6000系は当時の最新技術の塊みたいなもの。抵抗器をつなぎ替えて電流を調整して速度を制御する抵抗制御が当たり前だった時代に、この抵抗を使わず半導体素子を使った「電機子チョッパ」なる制御方式を導入するためでした。

 なぜわざわざ新しい方式をというのも、抵抗制御はこの抵抗器に電気を流すことで、不必要な電気を熱エネルギーに変換して捨てています。この熱が地下鉄ではあまり好ましくなく、トンネル内や駅を温めてしまい温度を上げてしまったのです。

 営団としては、できれば熱を発生しない方法が必要でした。

 そこで、新たな方法として半導体素子をつかった電機子チョッパ制御を導入したのです。ところが、この新しい制御方法はこの6000系が世界初。そのため、私鉄では珍しい試作車をつくって試験を重ねたのでした。

DSCN3122 営団6000系電機子チョッパをはじめとする技術的な面でも新機軸を導入しましたが、車両のデザイン面でも新しい試みがなされました。

 なんといっても運転士の視界を確保するため大きな窓を配し、地下鉄では不可欠な貫通扉は助士席側に寄せた左右非対称のスタイル。しかもこの貫通扉には窓はなく、代わりに脱出用の梯子を装備しているので、開ける時は前に倒すもの。

 この斬新なデザインは、その後の地下鉄用車両に大きな影響を与えたといわれてます。

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 まさに地下鉄車両のエポックメーカーの一つといっても過言ではない営団6000系

 試作車は1966年から、量産車も1970年から千代田線や直通先の常磐線小田急小田原線で、通勤・通学客をはじめ多くのお客さんを首都圏の郊外部から都心部へと運び続けました。

 6000系の後を継ぐであろう後輩、06系はたった1編成だけつくられたのに留まり、あろうことか6000系よりも先に廃車、系列消滅してしまい後を任せることができる後輩に恵まれませんでした。

 しかし、東京地下鉄になって風向きが変わりました。

 新たに16000系がつくられ、続々と量産されて送り込まれてきました。

 そして、とうとうこの10月初めに長きにわたる役割を終えて定期運用から退いていきました。

 最後のお別れとなるでしょう、特別運用も土日の一往復だけが11月まで運転されます。それだけ、この6000系という電車は営団東京地下鉄にとって、大きな意味のある車両だったのかも知れません。

 ちなみに6000系にあまり縁が少なかったのですが、たまたま撮影できたこの二つの写真。第3編成と第35編成、前者は量産車でもっとも古く、後者は最後につくられた量産車でした。どちらも2011年に役目を終えて退いていきましたが、前者が1970年につくられ41年に渡って走り続けたのに対して、後者は1990年につくられ21年でお役御免となってしまいました。

 この最初と最後の写真。たまたまこの組み合わせになったとはいえ、きっと何かの意味があるのかも知れません。

 


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