地上だけでなく作業は高いところでも【1】
線路際で働く鉄道マンの仕事の多くは、保線や信号、通信設備といった地上にあるものを相手にしている。ところが、同じ電気区の仕事でも電車線と電力の分野は地上だけではなく、高いところへと上がっていって作業をすることがあった。
電車線というと、電車が走る線路のことだと想像される方が多いと思う。まあ、それでも間違いではないが、電気区の仕事で電車線というと、電車や電気機関車が走るために必要な電気を送るための電路設備を指している。
いわゆる「架線」のことだ。
この架線、実は意外に単純ではなく多くの細かい設備が集まったもの。機関車や電車のパンタグラフが擦るようにあたって電気を取り込む電線を「トロリー線」と呼び、その上にあるワイヤー線を「吊下線」という。そして吊下線からトロリー線を吊すための金具を「ハンガー」といっているが、電車線を校正する基本的なものだ。
さて、この電車線は機関車や電車よりも高いところにある。それはそうだ、何しろ直流1500V(東北や九州、北陸などでは交流20000V)の電気が流れているから、人が簡単に触れることができてはとんでもない事故になる。それに高速で走る車両が電気を取り込むのだから、やっぱり屋根の上より高いところになければならない。
その高さといえば、最低でも4.5mはあった。
よく踏切の上の方に、「高さ4.5m」という表示がされている。これは高圧の電気が流れるトロリー線までの最低限の高さを示していて、これを超える高さのある自動車が通過することがないように知らせている。万が一、トロリー線に自動車が触れようものなら、自動車に電気が流れてしまい大きな事故だ。そうならなくてもトロリー線を痛めてしまい、列車は走ることができなくなってしまう。
話は少し逸れてしまったが、最低でも4.5mなのでそれ以上の高さがあるところもある。しかし、そのトロリー線や吊下線を吊しているL字鋼で組まれたビームとなると、その高さは優に5mは超えてしまった。
そんな高さのところに設備があるので、電気区の職員もまたそこへと登っていかなければならない。
その高さに昇る作業となると、これもまた簡単ではなかった。
トロリー線の検査や補修作業となると、直接そこへハシゴをかけて登っていかなければならない。こう書くと、単に架線にハシゴを立てかけて登っていくだけの簡単なことに思われるかも知れないが、実際はそうもいかない。
架線は固定されているのではなく張られているから、ハシゴを立てかければその重さで左右に揺れる。もちろん、ハシゴに登っていこうとすれば、体重と登る時の揺れが伝わって架線も揺れ、ハシゴを一段昇ろうとするたびにハシゴは前後に揺れて恐ろしいほど安定しなくなる。
だから端から見ていると簡単に思えるかも知れないが、実際にこの作業ができるようになるには訓練が必要だった。
▲跨線橋から線路を見下ろすとあまり高さを感じさせないが、線路上に張られたトロリー線は線路面から最低でも4.5mはある。それを吊り下げているビームはさらに高さがある。(©tsuna72 from Fukuoka, Japan [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で)
訓練というと、今は訓練用の施設がある研修センターなどでみっちりと基礎から教えられるかもしれないが、私が鉄道マンだった当時はそのような施設はなかったので、詰所がある駅の構内の側線で貨車の入れ換えがない時間帯を狙って、手待ち時間を使っての訓練だった。
ある日、その訓練をすることになったが、国鉄時代から電車線を担当してきた先輩が、竹でつくられたハシゴを持ってきた。高さは軽く5mもあるので、ハシゴの重さもそれなりにある。
ところがその先輩は一人で軽々と持ってきたのだ。
その持ち方もハシゴを横にして両手で下げて持ってくるのではなく、ハシゴを半分立てかけた感じにして、それを両腕で支えるようにするという、一種独特の格好で持ってきたのだ。
それを見た私たちは思わず「すげー」なんて声に出したものの、内心では「こんな持ち方なんてできるわけがない」と叫んだものだった。でが、いくら心の中で「無理!」なんて叫んでも先輩に聞こえるはずもなく、若い私たちはその持ち方でハシゴを運ぶ練習をすることに。
ところが、実際に先輩が教えてくれた持ち方でハシゴを持ってみると、意外にも重さを感じることがなかった。ふつうに両手でハシゴを下げて持つと、ハシゴの重さが両腕にかかるのだが、ハシゴを斜めに立てかけるようにして両手で支えるように持つと軽く感じたのだ。
これこそが、先輩たちが現場での作業などで編み出した「技」で、それを脈々と国鉄時代から受け継いできたのものだった。この技を使うことで、重いハシゴも一人で楽に持ち運びができるのだ。
こうして、私たち若い職員は先輩に教えられたとおりに、ハシゴを操る練習に没頭していった。