旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・線路際で働く鉄道マンの持ち物【後編】

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線路際で働く鉄道マンの持ち物【後編】

 ヘルメットを被り、安全チョッキを着て、鍵も持った。さあ、線路に出て仕事をしよう!といっても、肝心な商売道具の工具がなければなにもできない。
 この工具も一つひとつ紹介をするととんでもないことになってしまうので、私が線路に出て作業をした時と、線路には出ずに作業をした時のを大まかに紹介しよう。

 線路に出て作業をする時は、信号か電灯、あるいは電車線の仕事だった。時には30mの鉄塔にも登ることがあるので、工具は安全帯とよばれる頑丈なベルトに吊り下げていた。


前回までは 

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 この安全帯は金具のついた太くて硬いベルトだ。これだけで、1kg弱の重さはあるから、腰に巻いているだけでずっしりとくる。このベルトに、必要最低限の工具を吊り下げていた。
 必要最低限といっても、工具は一つひとつが金属でできているから重さがある。だから、安全帯と工具を合わせた重さとなると、だいたい5kgほどにもなった。

 工具はドライバーが2種類、モンキーレンチが大中1つずつ、電工ペンチとラジオペンチ、そして大きめのニッパーだ。これだけでも結構な重さがあるが、変わったものといえばモンキーレンチだった。自動車整備などの機械を扱う仕事でもお馴染みこの工具、私が使ったのは柄の部分が赤いゴムで覆われているものだった。これは、モンキーレンチが誤って信号機器の上に落下した時、回路をショートさせて信号の誤動作を防ぐための処置だったそうだ。それはそうだ、万一工具を落として信号の誤動作を誘発し、大事故になってしまってはそれこそ大変なことになってしまう。

 ほかには交換用のナットや小さな電球を一時的にしまうことができる、小さな袋も吊り下げていた。この中にもいろいろな物を入れていたが、ちょっと油断をすると袋が満杯になってしまうことも。時折整理しておかないと、現場に出た時に苦労させられることもあった。

 

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f:id:norichika583:20180714174712j:plain▲筆者が鉄道マン時代に使っていた安全帯。別名「胴綱」とも呼ばれ、普段は現場に出たときに腰に巻いて工具を吊り下げるためのベルトだが、架線柱や架線を吊り下げているビーム、さらには投光器の鉄塔に昇るような高所作業では、両脇に着いている金具に命綱を装着する。下の写真は安全帯に縫い付けられている「銘板」。皮にプレスされている「工」マークは国鉄が調達したことを示すもので、両脇には61と9の数字から昭和61年9月に調達されたことが分かる。昭和61年=1986年なので、国鉄が分割民営化される直前の年ということから、国鉄が最後に調達したものだろう。(すべて筆者蔵)

 

 これだけのものを吊り下げて重さのあるベルト、高所作業となるとさらに一つ追加になる。「命綱」とか「胴綱」と呼ばれる頑丈なロープで、先には安全帯に取り付けるための金具もついていた。これだけで軽く1kgは超えて2kg弱になる重さだから、工具のついた安全帯と合わせても5kgぐらいの重さが、腰にズシッとのしかかってくる。だから、普段から足腰の鍛錬は欠かせなかった。

 電車線や電灯、信号の作業の時はこうした装備だったが、通信の仕事となるとこの装備がまったく役に立たなかった。
 通信の機器といえば、電話や無線機、放送設備など、ほかの3つの仕事に比べて細かい機器類が多かった。だから、大きなドライバーやペンチ、レンチなどは使うことができない。
 だから、これとは別に弱電用の工具一式が入った鞄を持っていた。もちろん、線路に出ることは少なくなるのでヘルメットではなく制帽を被っての作業になる。時には補修のために半田ごてを握って半田付をすることもあった。
 まあ、とにかく工具はいっぱい持っていた。重かったり神経を尖らせたりもしたけど、いろいろな仕事を覚えてくことや、故障対応で出場した時に修理ができた時の達成感はすごかった。