旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 21世紀にも通じる車両の始祖・東急7700系(Ⅱ)

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 日本で最初のオールステンレス車東急電鉄7000系電車の電気機器を新しいものに取り替え、池上線と目蒲線(後に多摩川線)で3両編成という短い編成を組んで、東京の城南地域の住宅街を走り続けた7700系電車。

 骨組みから台枠、そして車体に至るまで構造上やむを得ない部分を除き、すべてをステンレスでつくられたため、雨水による浸食の心配はありませんでした。そのため、普通鋼でつくられた車両に比べて、製造から年数が経っても目立ったり致命的になったりした痛みはあまり見られませんでした。
 まさに、ステンレスの最大の長所が生かされたといえるでしょう。

 そのため、もっとも古い車両で1962年の製造。この車両は2014年に引退したので、実に半世紀以上に渡って走り続けたことになります。普通鋼でつくられた車両の多くがどんなに長くても40年ほどで引退していくことを考えると、長寿であるといえます。

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 車体の表面も目立った痛みが見られませんでした。

 とはいえ、さすがに年数を重ねてきた最古参の車両なので、車端部の歪みは他に比べて目立っていました。

 ステンレス車は板厚が薄い鋼板を使うので、特に溶接部は歪みが出やすいという特徴があります。近年の軽量ステンレス車は板厚を極限まで薄くしたため、溶接部の歪みは年数が経つにつれて目立つようになり、最悪の場合は車体に凸凹ができてしまいます。

 しかし、7700系電車はといえばこの程度で収まっています。言い換えれば、この当時の車両設計は今日のものにくらべて頑丈で、極端な軽量化しなかったのが功を奏したのではないでしょうか。

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 客室の窓枠付近やドア部分といった開口部は強度が落ちるため、どうしても外板に歪みが出やすい場所です。加えて開口部の枠との境目からは、他の部分に比べて雨水が浸入しやすい場所で、どうしても浸食による錆が出てしまいます。

 しかし、7700系電車の車体の開口部には、そうした錆などはありませんでした。

 もっとも開口部であるため、ある程度の外板の歪みはありましたが、それも写真のように光の当たり具合によって分かる程度です。

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 運転台と客室の仕切にあたる部分を外から眺めると、点が打たれているのが見えました。この点こそがスポット溶接で骨組みに外板を付けた部分です。薄いステンレス板が溶接によって僅かに歪んでいるのが分かります。

 少し前の古い車両なら、リベットで打ったのに似ています。

 とはいえ、このスポット溶接は板厚の薄いステンレス鋼に施すのは非常に難しかったそうです。そのため、日本ではその技術がなくつくることができませんでした。車両をつくった東急車輌アメリカのバッド社と技術提携を結んで、バッド社の指導とライセンスのもとでオールステンレス車の製造を可能にしました。

 それにしても写真のクハ7901は、デハ7045として1966年につくられました。この世に送り出されてから既に50年以上が経っていますが、この程度の歪みで収まっているのが興味深いところです。

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 アングルを変えてみると、ステンレス鋼の特徴が色濃く出ているように思えました。極端にギラギラと輝くのではなく、反射を抑えた落ち着いた銀色とでもいいましょうか。

 こうした姿を見るだけでも50年以上も経っているとは思えませんでした。

 そして、7000系電車→7700系電車の特徴の一つでもある貫通扉が奥に引っ込んでいるのがよく分かります。これもまた、車体に強度をもたせるために柱を組み込んだためにできたものです。

 こうした構造が、長年に渡る活躍を支えたといえるでしょう。

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 さすがに運転台は製造当時のままというわけにはいきませんでした。

 もともと7000系時代は窓の下辺に合わせて運転台のコンソールがあったため、いわゆる低運転台の構造でした。しかし、電気機器を交換し7700系に改造した際に、運転台のコンソールや主幹制御器は、1000系電車に類似したワンハンドル式のユニットに交換され、それまでに比べて高い位置になりました。

 運転台の機器は新たな設備が導入されるに従って徐々に増えていきました。列車防護無線ワンマン運転対応のスイッチ類、そしてホームを監視するテレビモニターなどなど、狭い所にたくさんの機器が接地されました。

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 いつ、どこでつくられたのかを示す銘板。

 「東急車輌 昭和41年」とありました。1966年の製造は、これを書いている私が生まれるよりも前のこと。齢50以上というのには驚くとともに、改めて昔の車両というのは設計がしっかりしていて頑丈だと思わされました。

 頑丈な分だけ重量は嵩むのでしょうが、つくりがしっかりしているというのは信頼性にもつながります。その信頼性が高かったが故に、当の東急電鉄も電気機器を取り替えても50年も使い続けてきたのでしょう。

 社紋も歯車にレールと羽を組み合わせた意匠です。レールと羽の意匠は、今日の楕円形の社紋になる前の東急電鉄の社紋でした。

 そして、オレンジの銘板は改造したメーカーのもの。製造した東急車輌のほかに、東横車両電設の名前が刷られています。同じ東急電鉄傘下の会社の共同作業で施工されたことが分かります。

 7000系時代に掲げられていたバッド社のライセンスによる製造を示した銘板がなかったのは少々残念でした。

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 1962年から1965年につくられ、東横線日比谷線直通運転を中心に活躍した後、電気機器を最新のものに取り替え、支線級でもある大井町線目蒲線、池上線へと活躍の場を移し、21世紀に入っても走り続けてきました。

 50年以上にわたって使い続けることができたのは、そのつくりは確実で堅牢そのものであるためでした。実際に強度試験を行った時に、製造した時と変わらない強度を保っていたそうです。

 今日つくられている極端なまでに重量を削ぎ落とし、製造コストを抑えることに腐心したたステンレス車には、けして真似のできない芸当ではないでしょうか。実際、この7700系電車よりも後につくられたにもかかわらず、その強度が不足していたため老朽化が進み、20年も経たずに去っていったものもありました。

 日本初のオールステンレス車でもある7000系電車→7700系電車は、まさに今日の鉄道車両のトレンドでもあるステンレス車の始祖といってもいいでしょう。この7700系電車の経験がなければ、JRをはじめとした鉄道各社のステンレス車の繁栄はなかったかもしれません。

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 そして、50年以上もの長い間、東急線を走り続けてきた7700系電車も、2018年に入って続々と引退して行き始めました。この記事を書いている11月初めには、残るのはたったの1編成のみとなりました。その1編成も、恐らくこの記事を公開した頃には、すべての任を終えて花道を飾っているかも知れません。

 東急線からは姿を消していきますが、なんと驚くべきことにこの7700系電車を購入して、さらに30年は使い続けるという会社が現れました。岐阜県養老鉄道がそれで、老朽化した在来車をこの7700系電車で置き換えるそうです。

 この古い電車でも、財政事情の厳しい地方の鉄道会社にとっては貴重な戦力になるのも、やはりオールステンレス車であるが故のことでしょう。

 物心ついた時から慣れ親しんだ車両が去っていくのは本当に寂しい限りですが、その分だけ私自身も歳を重ねた証拠。心から感謝と労いを贈りたいものです。

(了)

 

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