桜が満開になってすっかり春爛漫になりました。
春は出会いの季節でもありますが、別れの季節でもあります。
「ハマの赤いあんちくしょう」こと京浜急行。その中で、春の訪れとともに、3月で去っていった鉄道車両がありました。
それが今回ご紹介する2000形電車です。
1987年に京急で再速達列車となる快速特急で運用することを前提に設計・製造されたこの電車。それまでの京急の常識だった車両設計から抜けだし、より近代的で斬新なデザイン、そして片側2扉でオールクロスシートという内装で登場しました。
それまでの京急の電車は原則として、前灯が正面上部中央に1灯のみで、乗客が乗降するための側扉は片開きでした。
ところが、この2000形はその原則を打ち破りました。
側扉は両開きになり、前灯は正面腰部に左右振り分け、尾灯と一緒のケースに収められるといった、より近代的でスタイリッシュなデザインになり、初めて見たときにはいい意味でのショックを覚えたものです。
2000形電車は当初の予定通り、品川と三浦半島を結ぶ最速達列車である快速特急を中心に活躍します。
京急は軌間(レールの幅)が1435mmと新幹線と同じ幅なので、JR在来線の1067mmに比べて安定感があります。その安定感を武器に、競合するJR線とデットヒートを繰り広げました。特に、住宅地の間を縫うように走るので、最高速度120km/hで疾走する様は圧巻でした。
その2000形電車は、登場時より常に高速で走り続け、朝夕には通勤・通学輸送に、夏になれば海水浴などで三浦を訪れるリゾート輸送にと多くの乗客を乗せて活躍します。
かくいう私もこの2000形で運転される快特列車に乗ったことがありますが、座席は常に満席、しかも立席も多くドア付近に設けられた補助席にもありつけないことがしばしば。料金不要で快適な車内設備の効果なのか、とにかく人気もあったようで常に混んでいるという印象をもちました。
しかし、品川-三崎口間の65.7kmを、常時高速で往復するという運用はかなり過酷だったようで、先に登場した800形電車よりも走行距離が伸びるなど老朽化が進行していきます。
そして、後継の2100形電車が登場すると、花形運用に就いていた2000形はその任を譲って普通列車や急行列車の運用へと移っていくようになります。さらに、自慢だったセミクロスシートからロングシートに交換、扉も増設して3扉車になるなどの通勤者化改造を受けてラッシュ時を中心にした運用に就き、先輩である初代1000形電車や700形電車を置き換えました。
さらに時が進むにつれ、後継車両の増備が進むと、さらに高性能の車両たちに押されはじめます。もともとが高速運転を前提に設計されたために加速度が低く、ダイヤ上のネックとなっていきました。加えて登場後の高速・長距離運用による疲れに加えて、3扉化などの改造がたたって老朽化がさらに進行したことから、2012年から廃車が始まります。
そして2018年3月25日のラストランをもって、1987年の登場以来、31年間の歴史に幕を閉じました。
最後は普通列車やエアポート急行など比較的地味な活躍でした。しかし、快特列車に重用され、まさに京急の看板列車だった経歴、そしてクロスシートやドア付近の補助席、京急初の両開きドアはその後の車両たちに受け継がれました。まさに、今日活躍する京急車の新たなDNAをつくったのがこの2000形といっていいでしょう。