旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【3】

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《前回のつづきから》

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 元々が寝台設備をもつ特異な車両だったので、それを近郊形にするというのはかなり無理があったと考えられ、それ故に「魔改造」になってしまいました。種車の客用扉は700mm折戸を採用していましたが、可能な限り改造メニューを減らすため、これは無改造のまま活用することにしました。しかし扉が1箇所しかないのは近郊形としての体をなさず、なによりラッシュ時間帯に乗客の乗降に差し障りがあります。そこで、客用扉をもう1箇所増設して2扉車にしましたが、ここで問題が起こりました。

 ラッシュ時間帯に可能な限り乗降時間を減らすためには、できる限り扉を多くするか、あるいは扉の幅を広く取るか、またはその両方にしなければなりません。急行形電車を改造した413系は、1300mm両開き扉を採用していましたが、こちらは車体を新製していたので実現ができました。一方、581・583系の改造ではそうしたことはせず、あろうことか元からあった扉と同じ、700mmの折戸を採用したのでした。

 

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581・583系は多くが用途を失い、近郊形電車としての改造を受けて第二の人生を送ることになった。クハネから改造されたものは、写真のように「月光形」のままであったが、前面にあった「特急マーク」は取り外され、塗装もクリーム色1号に緑14号の帯を巻いた姿にされ、直流関係の機器も撤去されて交流専用車として、長崎本線佐世保線用として国鉄末期から民営化後初期にかけて運用された。(©spaceaero2 This photo was taken with Canon AE-1 Program, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 これは、1000mm引き戸や1300両開き戸にすると、戸袋を設置しなければなりませんでした。しかし、これを行うと改造が大掛かりになり、コストも増大してしまうことが懸念されました。折戸であれば、扉の増設部分を開けて、その部分に扉を設置するだけで増設ができるので、国鉄は安価で工作工数も少ない方法を選択したのでした。

 また、客室内も最低限の改造に留めました。種車は夜間に寝台を設置しますが、「プルマン式」と呼ばれる、下段は向かい合った座席の座面を引き延ばして設置し、中段と上段は収納部から下ろして設置していました。近郊形化改造では、中段と上段の寝台が使用できないように収納部の蓋をビスで固定し、下段は座面の引き延ばしができないように固定しました。昼行特急の時代に使われたのと同じ、ボックスシートのままにすることで、普通列車でも使えるようにしたのです。

 さらに、扉付近は他の近郊形電車と同じく、種車の座席と寝台収納部を撤去してロングシートを設け、釣り革も増設しました。加えてラッシュ時間帯の乗降がスムーズになるよう、在来の扉付近にあったデッキ仕切を撤去しました。

 こうした客室の改造はこれで終わらず、特急形時代は客室の窓は固定されていましたが、近郊形では固定窓というわけにはいきませんでした。客室内の換気という観点から、一部の窓は開閉可能なユニットサッシに交換されましたが、種車寝台特急としても使われていたので、窓の開口部サイズが非常に小さかったため、ユニットサッシに交換した際にはそのサイズを変えることはしませんでした。そのために、開閉可能な構造とも相俟って、非常に小さい印象が拭えないものになったのでした。

 

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近郊形に改造された419・715系の車内は、ドアとその両側にあったプルマン式寝台となる座席ユニットを撤去し、国鉄近郊形電車として共通の仕様となるロングシートを設け、ラッシュ時の乗降をスムーズにするようにした。しかし写真からも分かるように、乗降用の扉は幅700mmの折戸とされたため、その効果はあまり見られなかったという。ボックスシートは寝台車時代のものをそのまま使い、上部には上・中段寝台を収納した舟形のユニット、そして天地方向に短い窓もそのままであったため、車内は圧迫感がある暗いもので、利用者からはあまり好評ではなかったという。(クハ715−1(元クハネ581−8) 2007年10月 九州鉄道記念館 筆者撮影)

 

 種車となった581・583系は12両編成という長大編成を組むことが前提となっていましたが、近郊形電車への改造後は3両から4両編成を組むことが前提でした。国鉄の特急形電車を象徴する高運転台をもったクハネ581やクハネ583は、運転台部分の改造をせずにそのまま落成していますが、これでは短編成化した場合に先頭車が不足してしまいます。

 そこで、中間電動車であるモハネ581と中間付随車であるサハネ581には、先頭車化改造も施工して、不足する先頭車を補うことにしました。

 そもそも近郊形になるので、クモハ485などのように在来車と同じ先頭部を製作して結合するのでは、改造コストがかかってしまいます。419・715系は可能な限り改造コストを切り詰めることも目標にしていていたので、サハネ581は複雑な工程を必要とする在来車と同じデザインを捨て、切妻のまま運転台を設置することにしました。

 モハネ581とサハネ581のトイレ・洗面所部分は撤去し、代わりに切妻のデザインを持つ前頭部を接合させました。前面デザインはクモユ141やクモニ143と同じ、前面窓の上部を後退させた3連窓とし、前部標識灯と後部標識灯は前面の窓下に左右に振り分けて配置しました。また、幕板部には細長い行先表示窓を設けました。

 ところが、種車寝台特急でも使うため、車両限界いっぱいに屋根部分も広げられていたので、基本的なデザインはクモニ143などと同じでも、前面幕板部は車体断面に合わせた形状としたため、非常に深くそして角張った「八角形」となる特異なデザインになり、その断面から「食パン電車」という渾名をもらったのでした。

 また、モハネ580とモハネ582を種車に改造した中間電動車は、2基搭載していたパンタグラフを1期に減らしました。これは、特急列車として運用されるため、常に高速で走行することからパンタグラフの離線対策として、2基搭載していたのです。しかし近郊形として普通列車で運用するのであれば、高速走行による離線はあまりありません。また、2基のパンタグラフを常用するのは直流区間でのことで、交流区間では電圧が高いため1基のみでことが足ります。そこで、検修の省力化とコスト軽減のために、2基のパンタグラフのうち不要となる第2パンタグラフを撤去し、1基のみの搭載としたのです。

 北陸本線に配置された581・583系改造車は、419系という名を与えられました。

 かつては寝台特急や昼行の特急列車として檜舞台に立ち続けた車両たちは、仕事を失い廃車にならないまでも、大きく改造を受けた上で特急形から近郊形といういわば2階級の格下げという処遇でしたが、それでも窮状の真っ只中にある国鉄を救うべく、過去の栄光などには構うことなく登場したのでした。

 金沢運転所に配置になった419系は、計画通りに北陸本線での近距離輸送に充てられていきました。塗装も交直流電車を表す赤13号、いわゆる「ローズピンク」ではなく、赤2号に白帯を巻くという、国鉄の標準塗装から外れた塗装スタイルでした。すでにこの頃になると、国鉄が制定した標準塗装というのはコストがかかると見做されていて、可能な限り安価に抑えることができるようにしたのです。

 

 

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国鉄時代の北陸本線に投入された419系は、仙台、九州地区用に改造された715系の交直流版であった。運用する線区の実態に合わせ、419系は3両編成を基本としたため、先頭車が不足することから中間車であるサハネ581とモハネ581を先頭車化改造して賄った。元来は寝台車であり、屋根は車両限界いっぱいにまで深くとられていたことから、クモニ143などと同型の前面ではあるものの、屋根の形状に合わせたため八角形の特異な意匠になった。(©<spaceaero2, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 実のところ、筆者が鉄道マン時代に電機区の資材管理を担当したのですが、現場の区所で発注できる物品の一覧があり、その中にある塗料(当時はフタル酸エナメル樹脂塗料)というのは色ごとに価格が異なっていました。電気区で使う塗料は、主に黒色で電機転轍機や転轍リバーなどの塗装に使いますが、意外と単価はやすかったのを覚えています。これは、貨車の車体やそれ以外の車両の床下機器など用途が多いことと、調色の手間が少ないため安かったのです。

 ところが交直流車の標準色である赤13号は用途が限られるため需要が少ないことと、調色にも手間がかかることから単価は高くなる傾向がありました。一方赤2号は意外と需要がある色で、交流電機や特急形電車の帯色、さらに新性能化によって投入された身延線115系、50系客車などに使われていました。黒色と比べれば安くはありませんが、赤13号よりは安価だったのです。

 そうした事情もあって、北陸本線に投入されることになった419系は、赤2号と白色の帯を巻いた塗装になったものと考えられます。

 419系北陸本線の需要から、Tc+M+M'cの3両編成としました。クハネ581を種車としたクハ419はあまり大きく形が変わらなかったので、「月光形」の前面でしたが、一部はサハネから改造されたクハ418、さらに直江津方の先頭車はすべてモハネから改造された制御電動車のクモハ419だったので、両方の先頭車が「食パン」形になるという編成もあったほどでした。

 419系が投入された北陸本線は全線が交流電化ではなく、新潟県内に直流区間がありそこへ乗り入れる関係から、種車の電装品をほぼそのまま残した交直流車で、北陸本線の富山・金沢都市圏の普通列車増発に貢献することになります。

 

《次回へつづく》

 

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