門司港駅から続く鹿児島本線から、長崎へと伸びる長崎本線が分岐する鳥栖駅は、九州の駅の中でも最古の駅の一つだそうです。
それだけ駅の建物も風格があって、ホームの屋根を支える構造物もかなりの古さでした。
そのことを示す小さな札が、屋根の梁にあたる古レールから吊り下げてありました。
そこには、1897年の製造、しかもイギリス製。
鳥栖駅の開業が1889年だそうですから、このレールは8年間使われてお役御免になり、鳥栖駅の上屋を支え続けてきたのでしょうか。
実はレールというのは非常に「硬い」ものなんです。
ほかの稿でもお話ししていますが、なにせ重い車両が高速で走るのを支えるのですから、頑丈でなければなりません。同じ鉄鋼製品の中でも、レールは本当に頑丈なんです。
その硬いレールを写真のように曲げるのは、かなりの難しいと思います。
ほんの僅か、そして緩やかなカーブでも、レールを敷くときには屈強な作業員が大勢でゆっくりと曲げていくのですから、このような角度のある「曲げ」は大変な作業だったでしょう。
ホームを歩いていると、レールの刻印がはっきりと見えるものがありました。
というより、はっきり見えるようにしてありました(笑)
レトロな雰囲気を味わえるのか、それとも最古の駅であることを利用しているのかはわかりませんが、このようにわざわざ見えるようにしているのは珍しいです。
刻印には「UNION 1896 K.T.K.」とあります。
これは「ユニオン」ではなく「ウニオン」と読むようです。1896年にドイツのウニオン社でつくられたレール。先ほどのイギリス製もそうですが、相当古いものが21世紀も20年近く経ったいまでも屋根を支え続けていますから驚きです。
木造の上屋と、古レールを組んだ上屋の接続部。
上屋からは大きな時計が吊り下げられて、旅をする人たちに「時」を示し続けていました。
線路を走る列車こそ、今日のトレンドでもある「銀色」に輝くステンレス車でも、ホームの役割はいまも変わりませんでした。
比較的幅の広いこのホームは、鉄道が最盛期だった頃はたくさんの旅人で賑わっていたのでしょう。長時間停車する列車から降りた旅人たちは、今でこそなくなってしまいましたが、大きな水飲み場に集まって水分を取ったり、あるいは顔を洗ったりしていたそうです。
私が小学生の時に降りたときも、その水飲み場があったことを憶えています。
そしてまだまだ続く長い道中、お腹を満たそうと駅弁やお茶を買ったり、あるいは酒と肴を買ったりする旅人もいたことでしょう。
私が訪れた時は人通りも少なく、ひっそりとした感じがしましたが、多くの人と、多くの列車が行き交い、その隣では貨車の入れ換え作業もひっきりなしに行われていた往時を偲ばせる風格が、この鳥栖駅にはまだ残されていました。