旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【8】

ロングセラーであるが故のマイナーチェンジ

 1965年の登場以来、数多くの車両が製造がされ続け、首都圏や関西圏の通勤路線をはじめ、地下鉄への直通運転にまで進出し、名実ともに国鉄の標準通勤形電車としての地位を確立した103系電車は、1973年以降の製造からは冷房装置を標準装備としました。


前回までは 

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  これだけ数多く、そして大量に、長年に渡ってつくられ続けると、さすがに製造開始当時の設計のままというわけにもいきません。どの世界でもそうですが、ロングセラーの商品は常に改良が重ねられて進化し続けることで、お客さんからの支持を得ています。103系電車も同じで、やはりいろいろなところで改良がされていきます。もちろん、4ドアロングシートという通勤形電車としての形態は変えてはいけません。

 製造当初の103系電車の「顔」に取り付けられた前灯は、おでこの部分にあたる上部に白熱灯が1個でした。この白熱灯1個というスタイルは、戦前につくられた旧型電車から脈々と受け継がれてきたものです。大先輩でもある72系電車までは別部品で、ライトケースを頭の上に乗せていたのが、72系電車の920番台、いわゆる「全金属車」ではおでこに「内蔵」されました。先輩の101系電車も同じく白熱灯1個をおでこに内蔵していたので、それを受け継いだ形だったのです。

f:id:norichika583:20180709155357j:plain▲マイナーチェンジ前の103系電車は前面の「おでこ」にあたる部分に、白熱灯1灯を前灯として配置していた。側面の窓も旧来からの構造で、製造コストもかかっていたという。(©TRJN Wikimediaより)

 ところが白熱電球は安価でつくりが簡単な反面、輝度が低くて暗く、そして寿命も短いというデメリットがありました。寿命が短い分、電球を交換する回数も増えてしまいますが、この交換作業がとにかく煩雑でした。

 白熱電球の前灯は、レンズとリフレクター(反射板)を組み込んだランプハウスの中に白熱電球を組み込んでいるため、電球交換となるとランプハウスを開けなければなりませんでした。
 ランプハウスを開けると書くと簡単に感じられますが、その場所はあの高いところにあるだけでなく、ランプハウスは車体に埋め込まれた形になっているので容易ではありません。おまけに、今日のように昼間もライトオンという時代ではなく、暗くなってきたから前灯をつけるのが当たり前だったために、いざ夕方になってきたから前灯のスイッチを入れてみたら電球が切れてしまっていたなんてこともあり、薄暗い中での作業は容易ではありませんでした。

 そこで、マイナーチェンジ車は前灯を白熱電球1個から、寿命も長く交換作業も容易で、しかも輝度が高くて明るいシールドビーム灯2個へと変えました。
 シールドビーム灯という名前の電球、あまり馴染みのないものか知れません。なにしろ、これを書いている私も、鉄道マン時代にシールドビーム灯なんて扱う機会はなかったので、馴染みのないものです。簡単にいうと、ライトレンズとリフレクター、そして電球を一体にしたのがシールドビーム灯ということで、これなら万一電球が切れた時、一体型になった電球を交換すればお終いなので、ランプハウスを開ける作業もなく手間が省けます。

 シールドビーム灯になっても前灯の位置は変わらずおでこのところでしたが、少し小さめになった電球を横に2個並べた配置とし、その周りにはライトを縁取るような飾りもつけて、僅かながらですが印象も変わりました。
 このシールドビーム灯2個の配置は、実のところマイナーチェンジをする時に考えられたものではなく、前にもお話しした営団地下鉄千代田線への直通運転をするときに、乗り入れ先の営団との協定で車両の前灯は2個にしなければならなかったので、地下鉄直通用の1000番台で採用したのをそのままマイナーチェンジ車にも採用したというものでした。

f:id:norichika583:20180709155441j:plain▲マイナーチェンジでは前灯はシールドビーム2灯を配置し、メンテナンス性が向上するとともに、白熱灯に比べて寿命も長くなったためランニングコストを軽減させることができた。また、写真ではわかりにくいが、側窓もユニットサッシにしたことで製造コストも抑えることができた。(筆者撮影)

 このモデルチェンジでは、前にものお話ししたように冷房装置が標準で装備されていました。客室内を冷やすことはもちろんですが、先頭車の乗務員室にも冷気を送り込めるようにダクトを引いて、乗務員の作業環境を改善をしました。この乗務員室に冷房ダクトを設置したために、前面窓の下、ちょうど連結器の真上にあった乗務員室を換気するための通風口はなくなり、窓の下はスッキリとしたものへとなりました。

 さらに、行先表示幕を前面だけではなく、側面の客室窓の上にも設置しました。列車が駅で停車している時に、ホームにいるお客さんからどこ行きの列車なのかを確かめるのが容易になりました。この側面の行先表示幕は、特急列車では当たり前の装備でしたが、通勤形電車に装備することでサービス改善に一役買いました。

 そして、その客室の窓も、それまでのつくりとは異なるものになります。従来は、客室の窓一つひとつに開口部をつくり、その開口部に窓のサッシを組み込むためのガイドレールなどを作り込んでいました。
 ところが、この方法では車両を製造する時に手間になり、製造コストもかかっていました。マイナーチェンジ車では、この窓の開口部にあらかじめ別につくっておいた窓サッシのユニットを組み込む方法に変え、製造時の手間とコストを減らしました。

 こうして、基本的には同じ設計ですが、時代に合わせて使い勝手を少しでもよくしサービス面にも配慮した装いになった103系電車は、その後も量産が続けられていきました。もちろん、目で見えない部分では、車両を維持する保守の面でも改善し、メンテナンス性に優れた改良も施されていることも忘れてはいけません。
 それとともに、こうした改良の一部は、在来の103系電車に冷房装置を装備する「冷房化改造工事」を施す時に、同時に行われた改良もありました。側面の行先方向幕の設置はその一つで、やはりサービス面で少しでも改善していこうという国鉄の配慮が窺われます。