旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらば札沼線末端区間【2】 《鉄路探訪》かつての「赤字83線」から、都市圏輸送を担う電化路線へと進化する鉄道・札沼線

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その1 札幌-桑園(2)

 札沼線の起点は、路線名称からも分かるとおり札幌駅である。札幌駅に降り立つのは、実にこれで4度目だ。前回は2008年の冬と夏で、その前は2005年と2004年だった。秋から冬に北海道を訪れることが多く、どういうわけか夏などの季節はあまりない。しかも、今回は羽田から空路で北海道入りしたが、他はほとんどが寝台特急で北海道入りしているのも、これまでと大きく違っているが、「鉄路探訪」を旨とする筆者にとって、やはり往復とも列車を使いたかったのだが、今回は予算と時間の制約もあったので諦めざるをえなかった。残念である。

 11月も終わりに近づいた札幌駅は、到着した時はちょうど吹雪いていた。確かに、当日朝の天気予報でも石狩地方は雪のち晴れとか言っていたが、横殴りの強い風が吹いてその中を雪が降っているのだから、吹雪…だと思う。前日までは「暴風雪」の予報だった気がするのだが。

 新千歳空港から乗ってきた快速「エアポート」を降りると、ホームは相変わらず地下駅のような雰囲気だ。札幌駅は高架駅なのだが、駅の上には「JRタワー」なる高層ビルが建ち、駅は「JRタワー」と一体化しているから、どうしてもホームは暗くなる。もちろん、雪が多い土地だけに、空を覆い隠す屋根の役割をしているという点ではよいのだが、札幌を起点とする特急列車のほとんどは気動車なので、そのエンジンの排気ガスがホームにこもってしまうのだ。それ故に札幌駅のホームは、気動車排気ガスである軽油の燃えた独特の匂いが漂う。

 札幌駅は前述の通り高架駅で、北海道の鉄道網の中心となる駅だ。5面10線という規模はターミナルとしては十分なもので、ここから道内各地の都市を連絡する特急列車が、文字通りひっきりなしに発着している。

 国鉄時代の道内特急は、札幌と旭川結ぶ「いしかり」を除いて、すべて本州との連絡に重点を置いたために函館を中心としたものだった。札幌駅を発着する特急列車は「いしかり」と「北斗」ぐらいで、それも「北斗」は函館から函館本線を通しで走破して旭川に向かう特急列車であり、札幌駅は単なる停車駅の一つに過ぎなかった。それが、民営化後は北海道の中心都市である札幌を中心にしたネットワークへと作りかえられ、ほとんどの特急列車は札幌駅を発着する列車へと変貌し、札幌駅の役割も当然変化している。

 

f:id:norichika583:20200418144508j:plain▲札幌駅のホームは高架化工事により、すべて「JRタワー」と一体となった上屋に覆われている。冬季は降雪からシェルターの役目をするが、その分だけ駅構内は薄暗い印象がする。また、長距離列車はすべて気動車による運転のため、排気ガスがこもるという難点を抱えている。

 

 そんな札幌駅は、1番線から8番線までが函館本線千歳線の列車が発着している。普通列車は3両編成で長いホームの中程に停車したかと思うと、反対側のホームには6両編成の空港連絡快速列車である「エアポート」が到着し、一方では函館へ向かう特急「北斗」のキハ183系気動車が、アイドリング中のディーゼルエンジンの音を構内に響かせながら発車を待っている…という光景は、まさに「ターミナル」にふさわしいものだ。

 そして、札沼線はというと、札幌駅の9番線と10番線からの発着と案内されていた。宿泊先のチェックインは17時過ぎと伝えていたので、投宿するにはまだ早過ぎる。とはいえ、荷物は取材の邪魔になるので、とりあえずコインロッカーに預けることにした。

 札幌駅のコインロッカーは、これまで北海道を訪れた際に何度もお世話になっている。そんなわけで、ある程度の場所は頭の中に入っていた。その場所へ行こうと階段を下りて、駅の改札へと通じる連絡通路へと足を運ぶ。連絡通路は広く、待ち合い室代わりにあちこちにベンチが備えられていたが、なにより厳しい寒さの北海道だけに石油ストーブを焚いて暖を取りながら列車を待つことができるようにしたコーナーは今年も健在だった。

 コインロッカーに荷物を預けようと、ロッカーを見るとあることに気がついた。それは「鍵がない」ということだ。筆者は思わず、「しまった!」と思った。常識で考えればコインロッカーの鍵がないということは、すべて「使用中」を意味している。ところが、よくよくこのコインロッカーを観察すると、鍵を差し込むべき「鍵穴」すらなかったのだ。

 元来、技術屋で説明書をあまり読むことなく、すぐにいじりだしてはその物の使い方を覚える質の筆者は、今回も待た説明書など読もうともしなかった。が、このコインロッカーの使い方はさすがに分からず、掲示してある説明書を読んでみると、このコインロッカーに鍵はないようだった。

 とりあえず荷物を空いているロッカーにしまい、料金を払うべくロッカー中央にある液晶パネルを操作すると、ここでもIC乗車券を使うことができ、しかもそのIC乗車券そのものが「ロッカーの鍵」になるというから驚きだ。それにしても、ここは北海道でIC乗車券も当然JR北海道の「kitaca」でなければと考えながらよく見ると、そこには見慣れた「suica」のロゴが。ここでも、JR東日本JR北海道の密接な関係が見て取れた。

 無事に荷物を預けて再びホームに立ってみると、冷たい空気が筆者の体を包み込んだ。やはり北海道の冬は寒い…と覚悟を決めてきたのだが、以前経験した「身を切られるような寒さ」までにはなっていないようで、我慢できないというほどでもなかった。それでも気温は5度、東京では真冬の寒さなのだが。

 札沼線は札幌-あいの里公園間は日中20~30分おきの運転で、その先石狩当別北海道医療大学は1時間おきの運転になっていた。もちろん、行き当たりばったりに乗っては、最悪は寒い中1時間も列車を待つ羽目になるので、今回はしっかりと計画を立てていた。

 そんなわけで、札幌を11時40分に発車するあいの里公園行きの普通列車に乗るのだが、やってきたのは厳つい顔つきをしたステンレス車体キハ201系気動車だった。筆者としては、客車改造の気動車の異端児・キハ141系を期待していたのだが、日中はこのキハ201系札沼線の運用に入っているようだ。

 3ドアのロングシート気動車としては「通勤形」と言うべきであろうキハ201系は、JR北海道が非電化区間の輸送力改善を目的に製造した。同時期に製造した731系電車と同等の性能、車体、接客設備をもち、気動車と電車の強調運転も可能という高性能気動車である。

 さっそく車内へ乗ろうとすると、何かがおかしい。そう、ドアが開いていないのだ。回送列車でないことは間違いなく、側面の行き先表示幕にも「あいの里公園」行きであることを表示しているし、車内にはすでに乗客の姿もあった。さて、どうしたものかと考えていると、その答えはドアのすぐそばにある押ボタンスイッチにあった。

 北海道という過酷な気候の中で運用するために、従来の国鉄形車両では窓は小型の二重窓、ドア部分にはデッキを設けて客室と仕切ることで、冬季の保温性を保っていたが、近年の人口増加とそれに伴う輸送量の増加により、特にラッシュ時などでは従来からのデッキ付車両では混雑を捌けない状態になり、列車の運行にも支障を来すほどになっていた。そこで、キハ201系気動車をはじめとする最近の新製車では、デッキを廃する代わりに押ボタン式半自動ドアとすることで、乗降時に乗客がスイッチ操作することでドアの開閉をするようになったのだ。それ故、このドアは開かなかったのだ。

 筆者の住む地域では、半自動ドアの車両も最近になって運転されているが、基本的にこうした設備を使用することはない。それだけに不慣れというか何というか、とにかく恥ずかしいことにボケーッと突っ立っていたのだ。そんな筆者の姿を見た地元の人は、おそらく「内地から来た人だろう」と思ったかもしれない。

 ようやく北国の掟に従って、ドアを開けて車内に入ると今度は閉めなければならない。そのスイッチも車内のドア脇に取り付けられていて、後から乗車してくる人がいないことを確かめてスイッチを操作してドアを閉めた。

 車内は暖房がしっかりと効いていて暖かい。気動車の暖房はエンジンの冷却水の熱を利用することが一般的だが、キハ201系気動車では遠赤外線暖房を装備している。この他にも、ドア付近には温風エアカーテンなるものも取り付けられているが、今回はまだ使用する時期ではないのだろう、温風は出ていなかった。

 座席はロングシートで、客室窓は面積の広い固定式窓で、白を基調とした内装と相まって非常に明るく感じる。この日のあいの里公園行き普通列車には、座席はほぼ埋まっていて、筆者を含めた数人が立っているといった程度だった。

 定刻が来ると列車は静かに、そして滑らかに走り出した。出力450PSという強力なエンジン(N-DMF13HZE)が唸りを上げているが、それは車内にはさして気になるような大きさではなかった。それでも、強力なエンジンが引き出すパワーによって、気動車とは思えない電車並みの加速度とともに、札幌駅のホームを後にしていく。

 

f:id:norichika583:20200418144549j:plain▲非電化時代の札沼線で、主力として運用されていたキハ141系。もともとは、札幌都市圏で普通列車として運用されていた50系51形客車だったが、スピードアップや合理化を背景として、電車化・気動車化が進められた中で、客車を気動車化して誕生した。財政的に余裕のないJR北海道は、余剰車両を活用することで輸送力を確保したが、こうした例は何度も試みられたものの、成功したのはこのキハ141系が唯一といっても過言ではない。車体塗装は帯色はJR北海道の標準だが、ライトグレー地が札沼線用車両の基本だった。先頭に連結されたキハ40形400番代のホワイト地との違いがよく分かる。(2011年11月22日 札沼線新川駅 筆者撮影)

(この記事は、筆者が運営したWebサイト「鉄路探訪」に掲載したものを、加除訂正の上再掲したものです。取材日は2011年11月22・23日。記事の内容は取材当時のものです。) 

 

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