《前回からのつづき》
国鉄が新たな旅客用電機を求めるようになった1960年代、電機の構造は従来のものとは大きく変わった車両を製作するようになっていました。
戦前から脈々とつくり続けられてきた電機は、台車枠を車両の基礎としていました。
台車枠に主電動機や歯車、動輪軸を装着することは現代の電機と同じでした。主電動機が回転することにより発生した運動エネルギーは、減速歯車を通じて動輪軸に伝わるとともに、車両を引き出したり押したりするエネルギーは、台車枠の先端に直接設置された連結器を通して伝えられていました。そのため、軸配置も旅客用のEF58方では2C+C2、貨物用のEF15方では1C+C1で、2つの台車枠も連結した構造になっていました。
しかし、EH10形でこの伝統的な機関車の構造は改められ、電機の台車も2軸ボギー台車となって、その牽引力は台車から台枠、そして台枠に設置された連結器を通して伝えられるようになり、従来の旧形電機にあった先輪や、それを覆うように設けられていたデッキは廃されたのでした。
そして、ED60形を嚆矢とする、いわゆる「60番台」機関車は、2軸ボギー台車を装着し、台枠に設置された連結器を通して牽引力を伝える方式はもちろんのこと、吊掛式駆動装置から新たに採用されたクイル式駆動装置を採用した「新性能電機機関車」となったのでした。
こうした新機軸を導入した直流電機は、1960年に貨物用機として設計製造されたEF60形が登場すると、これ以後は本格的に新しい国鉄電機の到来を告げるものだったのです。
そうした最中に、新たな旅客用電機を求められるようになると、当然、EF58形の増備ではなく、EF60形と同様の構造を持つ新型電機を開発することになります。EF60形は歯車設定がEF15形と変わらない低速車だったため、そのまま常時高速で走ることを前提とした運用には充てることができませんでした。
1961年に旅客用直流電機として、EF61形が登場しました。基本設計はEF60形と大きく変わることなく、主電動機は出力390kWのMT49形を6機搭載し、機関車出力は2,340kWとEF58形と比べて大幅に出力が向上しました。
EF61形の基本となったEF60形は、貨物用機として低速よりの歯車比設定、貨物列車の牽引に必要なバーニア制御器などを装備していた。100両以上が製造され、貨物列車の先頭に立つ姿が多く見られたという。このEF60形を高速運転に適した仕様にし、客車列車を牽くために必須となる暖房用の蒸気発生装置を搭載したのがEF61形だった。(©spaceaero2, CC BY 3.0, 出典:Wikimedia Commons)
駆動装置は、当時「60番台機関車」の標準として採用されていたクイル式駆動装置とされ、従来の吊掛式駆動装置と比べて振動が少ないことから軌道への負担を抑え、電車のカルダン式駆動措置と同様に、機器の小型軽量化や部品の損耗を減らし、運用コストを削減できる効果が期待されました。
軌道への負担が少なく、動力の伝達も効率が良いとして期待され、電車でいうところのカルダン駆動方式に匹敵する高性能なクイル式でしたが、実際に運用を始めると数々の問題を起こしてしまいました。特に動輪のスポーク部分にスパイダと呼ばれる支持機構が露出し、それが大歯車につながり変位することから、ギアボックスは必然的に密閉できない構造でした。そのため、このギアボックスの開口部から砂埃が侵入し、ギアの噛み合い部が摩耗して、走行中に異常振動を頻発させたのです。これはクイル式を採用した鉄道車両に共通した欠陥であり、EF61形も大歯車の入ったギアボックスを密閉することができるリンク式に改造されて、この問題を解決したのでした。
一方で、EF60形では不要とされた装備として、蒸気発生装置をEF61形では搭載しました。これは、当時の客車用の暖房は原則として蒸気暖房が使われていたため、冬季にその暖房用熱源となる高圧蒸気を機関車から送り込む必要がありました。蒸機牽引時代は走行用にボイラーで発生させた蒸気の一部を客車に送り込むだけで済みましたが、電機牽引となるとその蒸気を作り出すことができなくなりました。そのため、旅客用電機には小型の電気ボイラーである蒸気発生装置を搭載することが必須となり、EF56形やEF57形、EF58形に搭載されていましたが、EF61形も同様に蒸気発生装置を搭載しました。
しかし、この蒸気発生装置を搭載したため、車両重量が嵩んでしまいます。車両重量が重くなると、輪軸1つあたりにかかる重量、すなわち軸重が重くなってしまいます。軸重が重くなると、動輪軸と軌条の間に生じる摩擦係数は高くなり、ひいては粘着力が強くなります。一方で、軸重が重い分、軌道への負担も大きくなるため、その保守にかかる手間とコストが高くなるとともに、高速で走行するためには頑丈な構造をもった高規格の軌道が不可欠になるという欠点が露呈してしまうのです。
そこで、EF61形では車両重量を抑えるため、旅客用機では不要なバーニア制御器や再粘着装置といった装備を省略しました。こうすることで、最終的にはEF60形並の96.0tまで重量を減らすことができ、軸重は16tにまで抑えることができました。
他方、蒸気発生装置を搭載した分だけ、車体長は長くなりました。EF60形では1次車で16,000mm、2次車以降は16,500mmであったのに対し、EF61形はそれよりも長い17,600mmと大型電機の風格をさらに増したといえます。
車体前面は単機での運用を前提としていたため非貫通構造とし、中央上部には白熱灯1個の前部標識灯を設置、前面窓は2枚のパノラミックウィンドウを採用しました。そして、車両番号は切り抜き文字を車体に直接取り付け、その両側にはクロムメッキの飾帯が設置される新性能電機の基本的な意匠を取り入れました。
EF60形とEF61形の形式図。前面は非貫通形で、中央にピラーが入った2枚のパノラミックウィンドウ、前部標識灯は中央部に白熱電球1個を設置した、新性能電機黎明期の車両に共通した意匠である。一方、EF61形は蒸気発生装置を搭載したため、EF60形よりも全長も長くなり、側面のルーバー窓や採光用ガラス窓の形状や大きさは大きく変わり、これより後につくられた直流電機の基礎となったと言える。(出典:電気機関車形式図 1963年日本国有鉄道より抜粋
側面はEF60形1次車〜3次車まで採用されていた、ほぼ正方形に近いルーバー窓と、同じ大きさと形状の明かり取り用の窓が同じ高さで並んでいたのに対し、EF61形では長方形のルーバー窓がずらりと並ぶように設置され、その上に細い明かり取り用の窓が設置されました。これは、機器室内への採光効果を高めることを意図した設計で、これ以後、国鉄の電機はこの窓配置を基本とするようになりました。
EF61形は1961年に川崎電機・川崎車輌と東洋電機・汽車製造の2グループに発注されましたが、全部で18両が発注されたのみで終わってしまいました。そのため1962年以降にEF61形は発注・製造されることはなかったのでした。
この理由として、国鉄が推進していた動力近代開計画に基づき、客車による旅客列車は動力集中式の機関車+客車というものから、より運用効率に優れた電車による置き換えをすることになったためでした。こうすることにより、終着駅での機関車の付け替えや、それに必要な機回し線の設置などが必要なくなり、より運用コストを減らすことが可能だったことや、機関車と電車では運転操作の方法も異なり、電車のほうが格段に簡便であることから、乗務員の養成にかかるコストも削減することが目論まれたからでしょう。
このような国鉄の方針が背景にあったことから、EF61形は1961年度に1度の発注で終わり、わずか18両という小世帯になってしまったのでした。
《次回へつづく》
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